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ようやく頭の整理がつきました。

攻撃性の高かった自分の性格が、相手を傷つけても平気で攻撃し続ける日々には、周りにはどうしても馴染めない妙な感覚がひたすら壁を作り続けていた。覇気がない、同じことを言っている、違うものに対する異様なアレルギーそういう感覚が周りに溢れていた。

歳をとるごとに友達が増えていき、攻撃性は少しずつ削られてゆき、柔らかくなったがむずがゆくもあった。誰もが何かを演じているように見えて仕方がなかったからである。何かもっと深いもの、真実に近ずけるもの、人々が見たくないもの、人々がやらないことを探していた。消去法であり、反過半数であり、達成率が100%だからである。風俗、季節労働者、リゾートホテルのスタッフ、自転車タクシー、ボーイ、バーテン、そして彫師。

嘉手納基地の目の前のtattoo shopである。毎日、基地から出てくる海兵隊に刺青を彫る生活が始まった。そこは明らかに異国な街並みで、アメリカであった。週末は海兵隊が暴徒のように飲み暴れ、ビールボトルを道端に投げ捨てまわるため、翌朝、朝日が差し込むその道は、キラキラと割れたガラスの反射で輝いていた。そのころは仕事を覚える日々に追われていたため、あまり全体的で具体な、今までの日本とは何かと理解していたものとの食い違いと、それでもこの場所は日本であるという事実との混乱を解決しないまま、時を5年ほど過ごした。店の兄弟子達はあんまり海兵隊のことを気にしていないか、もしくは毛嫌いしているような感覚で仕事をこなしていたが、私には、相手の欲しいものを知った方が創造力の豊かな作品が作れると思い、彼らの喋っている言葉を理解しようとしていた。店には常に二人の通訳がおり、彼らを通して刺青の下絵を作ることと、値段の交渉をしていた。彼らはニつの言語がわかる。私は、通訳達と仲良くなったこともあり、客との会話をより理解するようになった。

知れば知るほど、今まで知っていた世界とかけ離れていることに気づき、呆気にとられるばかりであった。体の一部が吹き飛んでも一番損傷しにくい場所として脇腹に自分の認証コードの刺青を入れる。通称:ミートタグ。キリスト教のシンボルがよく好まれ、そのころの英語ができなかった自分でも覚えていたフレーズが "Only God Can Judge Me。"

漢字もよく好まれ、自分の名前を漢字で入れたり、間違った意味を入れたり、左右反対であったりなど、差別的なもの、悪ふざけのもの、ただただ意味不明なもの、カッコイイもの。ひょんなことで若い米兵が通訳と深刻な顔で話しているもんなので何を喋っているのか聞いて見たところ、もうすぐ時期の詳細は不明だが、イラクに出兵しなければならないと言っていた。震えていた。仲間の誰かはもう帰ってこれなくなったと言っていた。この島の各地にある基地には個々の特性があり、エリートたちの基地や、貧乏人などが選択肢のうちの一つとして選んだ海兵隊の基地、そして犯罪者が刑務所か徴兵かで、軍を選んだ基地など。どこが良くてどこが悪いかというものではない、その規模の大きさにも頭があまり追いつかなかった。数回、基地の中に入りスーパーで買い物をしたことがある。全てがでかく、何一つ日本ではなかった。

彼らが暴れている姿にも見慣れてきた頃、時々彼らが起こす交通事故で渋滞になり、数回血だらけで車道に倒れている米兵を見たことがあった。深夜、友達と遊んでいた時、とてつもない大きな何か軍用の機材が港から運ばれてきたり、米軍車のタンクであろうところからオイルが漏れ、車道中油にまみれていたため、私がバイクでそこを通った時滑ってこけてバイクがちと損傷し、左手にケガを負ったが、警察に問い合わせても何も反応がなく、ニュースにも取り上げられていなかった。そしてニュースでは米軍のヘリコプターが大学にツッコミ、校舎が破壊されたが、米軍が瞬時にその回りを封鎖し、日本の警察も立ち入りの許可が降りなかった。沖縄の地元民も警察もただただ外から見守って、米軍が全ての処理が終わるのを待つのみである。そこで私は、ここは占領されている場所だと初めて気づいた。日本政府も何も言わず、事が過ぎ去って言ったのである。

不平等を感じた。

正義がないことを知った。

力とはなんなのかも広く理解した。

ニュースでよくレイプ事件も報道され、その現実が私はあまり理解できていなかった。米兵は基地に逃げれば日本の法律の裁きを受けなくてもイイのである。


つづく

サポートしようという考えに至って頂き誠にありがとうございます。私はお金を得ることを相手が心から喜んだ値に応じて受け取れるようにできる方法はないものかと思考錯誤して、このサイトに出会い試してみることにしました。これで生きていくのに十分な収入が入れば世の中が間違いなく高い意識に進化。