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【議事録】2024年度第3回真山ゼミ 『疑う力』読書会

5月ゼミ
5/11(土)18:00~
『疑う力』の読書会を行いました。

5月ゼミ議事録

感想
印象に残っているところ、私は違う、と思ったところ

Hさん
p271天才を担ぐ文化
天才を担ぐには財力が必要、できる人が限られているのではないか(孫正義育英財団がその例)。
実際「自分の利益はどうでもいい」と割り切れる大人がどれくらいいるか疑問。
疑うならば、この主張は理想主義に聞こえる。
日本は集団主義、助け合いの精神と言われているが、実際は日本全体として私人主義化してしまっているように感じる。(私人主義:自身の利害関心で動く。他者に対する関心のなさが顕著にみられる。 例:スマホで撮影しているだけの傍観者、昔は”近所のオジサン・オバサン”などがいて、地域で子供たちを教育したが、今ではそうした地域住民の関係が薄れてしまった。)

感想
ゼミ内での真山先生の発言と関連する点が多々あって面白かった。さらに理解が深まった。
今後はぜひミステリー小説も読んでいきたい。
安全保障分野で共感する点が多かった(日本は「なあなあ」でやってきてしまった)。

Gさん
感想
過去に友達と政治の話しをしたら喧嘩になりかけた、政治に関する議論と友情のどっちをとるか。

原発
父親が電力関係の会社に勤めている、東日本大震災の時に東電の影響でボーナスカット。
原発反対と言っているが、原発で勤めている人に新しい受け皿はあるのか。
父親が原発関連の仕事に勤めている、自分はある種原発で食ってきたようなもの。
再稼働の代わりに地熱はアリだと思った。

Fさん
相手の話しを鵜呑みをしてしまう。
質問とかありますか?と聞かれた時に何も思いつかない、わからないことはあるはずなのに、どうしたらそれが解決されるかわからない。与えられたテキストをそのまま読んでしまう。

真山先生
自分の好きな分野とかだと、これはこの人の価値観だなと思える。
なぜなら自分の好きな分野だと、ある程度の知識や自分の考え方があるから、違和感を抱くことができる。

偉い人の話だと、わからなければいけないとダメなんだという強迫観念がある。
わからない方が大事というくらいの価値観。たいていの人が”わかってない”のだから
「どういうことですか?」という質問ができるかどうか。
無理にわかろうとすると疑う力を発揮できない。

Dさん
「意識高い」とは、「社会問題や政治に興味がある」というより、就活やインターンを周囲より早い時期から始める人のイメージ

Iさん
自身の中身が伴っていないのに、人脈を広げたがる、自慢する人のイメージ
虎の威を借りて自分を大きく見せようとする人

Bさん
自分の専門分野とは異なる分野に関心がある人、政治、社会問題などを勉強する人だと思っていた。

Cさん
意識高いと意識高い”系”は異なる
意識高いはしっかりと考えて取り組んでいる。
意識高い系は何かをやっているパフォーマンスのような印象。

Aさん 集団によって定義が変わってくる

Cさん
自分がまさに政治に興味がない若者だと思った。
そもそもの知識がなさすぎて所々調べながら読んでいった。

自分から取りに行かないと、政治の情報は入ってこない。
→強制的に政治的な情報に触れさせる方法はないか?

ミステリ小説をよく読む
ミステリを読む時はミステリを読む脳になる、常に疑う姿勢。
ただ日常では疑う力を使うには違う方法が必要なのでは。

真山先生
日本のミステリーは「これはミステリーだぞ」という前提を感じさせる作品が多い。
アガサ・クリスティー特に後半 モザイクのように嘘をちりばめる
自然な話の流れでウソをつく。日常生活での嘘のつき方がわかる。

ミステリを数千冊読んでいるが、そうすると自然になぜ嘘つくのか、耳を触るとかそういう身体的な特徴ではなく、シチュエーションで嘘をつく場面がわかる。

アガサクリスティーはミステリの平均点が高い。
疑う力を養うにはたくさん読む必要があるから良質な作品の多いアガサクリスティが良い。

クリスティーはウソのバリエーションが豊富。

ミステリは2週目を読むのが大事。
どういう時に人がウソをつくのかがわかる。

世の中では、嘘をつくことよりも、本当に不都合なことは「何も言わない」事のほうが多い。
ジャーナリストの仕事は政治家や経営者が「喋っていないところ」を探り出す。

小説は文字から想像していかないと前に進まない。

Aさん
教科書を疑うような友人がいて、一緒に疑っていた。
このゼミ中でも、なぜ普通に座っているのか。などを考えてしまう。

東北出身なので、原発には関心がある。
廃炉研に進みたいという人が多い。

電力を使うのは東京の人なら、東京に原発を作れば良いのではないか。
なぜ、東京で一番電力を使っているのに、東北に原発を作るのか。

真山先生
東京に原発を作らない本当の理由は、東京の人を犠牲にしたくないから。

関電は福井、福井なら事故が起きても大阪などに放射能が飛ばない。
東北で事故が起きても都市に放射能が飛んでいかない。
原発建設の際にまず考えるのは風向き、事故が起こった時に放射能がどこに飛んでいくか。

政治力が強い政治家のところに原発ができる、新潟は原発が7機
原発を密集させると、事故が起こった時に大変だが発電効率が良い。

田中角栄「俺たちが東京の電力を握ってやろうぜ」と言って、新潟に原発を誘致。
裏日本と言われていた新潟のコンプレックスをうまく活用。

地方交付税交付金が必要のない自治体。
・東京
・自衛隊の基地があるところ→迷惑税金
・原発→燃料に対する税金が還元される

福島の原発が起きた時、東京にいる人は「どこに逃げれば良いですか」と質問した。
当日、西日本のホテルがほぼ満員になった。泊まっていたのは東北の人ではなく東京の人。
当事者になってみないとわからない。

こんなのおかしいだろ、となった時に法律で説明できるのが先進国。
人口が多いところに原発を作ってはいけないという法律は後付け。

傍観者で疑う時と当事者で疑う時にスタンスが異なる。
自分が傍観者の時に当事者の視点を持てるか、自分が当事者の時に傍観者の視点を持てるか。疑う時に重要なのは、いかに複数の視点を持てるか。
他の人に意見を求めるなども。

Bさん
『正しいを疑え』と『疑う力』の差
『正しいを疑え』にあったSNSへの向き合い方が『疑う力』ではないのはなぜか。
大人の方がSNSに慣れてない分

p29幸せ論
物質的な豊かさは追い求めづらくなったが、時間的、精神的豊かさは求めやすいのではないか。

p71
応援したい政治家を立てるところまではわかるが、当選させるのは政治家の仕事ではないか。

真山先生
民主主義
間接民主主義は本来、この人に意見を託したいという人をみんなで議会に送り出す。
今は逆になってしまっている、意見を代弁してくれそうな人を選ぶ。
みんなの代弁者になる人に発信力があるのか、
その本来の民主主義に立ち返らず、民主主義を守れというのがおかしい、と言いたかった。
重病の人、介護が必要な身内、子供ができる、などが起こると社会の見方が変わる。
そのうえ、被選挙権は高く、そもそも若い人が代弁者を立てられる状況にない。

Iさん
この本は若者は『疑う力』が足りないという前提に立っている。
信じる力も足りていない。信じる力の前提が疑う力。
昨今の若者は全力で帰依することがない。
帰依が足りずに片足を突っ込んで終わっている。
疑った後に全力で信じなければならない。
没入→離脱→没入→離脱が理想だが、そもそも没入できている人がいないのではないか。

取り上げられてるものにイギリス的なものが多い。
イギリス経験論っぽい。絶対的な真実はなく、社交して議論していくという立場。

一方大陸系の哲学には、絶対的な真理があるとされている。

超越した何かがないから、信じる力が欠落しているのでは。

真山先生
日本には強く信じられている宗教がないから、何かを信じる力が弱い。
多くの人が言う「自信」とは過信か傲慢で、ここまでやってきたのだからできるという「自信」がない。

リスクをとる時の最後の信じる相手は自分

信じる力がないと疑う力が芽生えない
疑うためには自分の軸がなければならない。

自分の根本の軸を作らない方が否定されないから楽ではある。

Jさん
新聞社の研修で原発を見に行き、避難して13年間帰れなくなった人の話をきいた。
思ったよりショックを受けていなかった。
「原発の誘致によって豊かな生活をすることができた」と思っている。

地熱発電なら日本がルールメーカーになれる?
そもそも日本がルールメーカーになれるのか、なるべきなのか?

真山先生
原発事故が起きた際に漁業や農業をやっている人などに取材をしたが、誰も起こっていない。→補助金をたくさんもらっているから。

原発があることによっていい思いをしている、という後ろめたさ。
いつか事故は起こると薄々気づいていた。

東京のリスクを引き受けているのだから、良い生活をするのは当たり前な話ではある。
しかし、いざ事故が起きて取材されると、良い思いしていたのに被害者ヅラするわけ?と問われるのを恐れてしまう。→あまり否定的な意見が出てこない。

ごみ処理場をつくるときもどこで作るのかもめる。沖縄の基地もそう。

原発や基地の周りには本当に何もなかったが、便利なので家が立ってスーパーなどが立つ。

事件が起こった時に、一番最初に何が起きたのかまで遡れると、事件や事故の見方が変わる。

ルールメーカーとは国際競争で重要。地熱を輸出することはなかなか考えにくいので、あまりルールメーカーとは考えられない。

小説で地熱を書く理由は、日本の電力を賄えるポテンシャルを持っているから。
ただ、原子力や火力という既存の発電を乗り越えなければならない。

ルールメーカー、サステナブルという新しい概念は良いが、実際それができるのかと思う。

Eさん
質問:若者で応援したい人とはどのような人か?

p150原発
砂漠に100個くらい原発を作って、管理を適当にやって事故を起こせばもっと原発に対する知見がたまるが、倫理的、経済的な問題で難しい。
原発事故のシミュレーションゲームを内部での安全管理も、外部広報の意味でもやってみると良いのではないかと思った。

5章最後の政治の話
最終的な結論として政治に関心を持とうというところ。
国防と政治を絡めて話している部分が面白いと感じた。

真山ゼミの話しがでてきて嬉しかった。

真山先生
日本には、原発と全く繋がっていない情報管理室があり、そこでトレーニングしている。

ロスアラモスでアメリカは自分たちが作った原発で実験している。
アメリカではアメリカだけでなく日本の原発で起きた事故のシュミレーションが行われている。

水蒸気爆発、メルトダウンが起きて、水と接した時に爆発する、起こったのはチェルノブイリ原発だけ。
3.11で起きたのは水素爆発

残りの時間で議論したいこと
今の日本人は他人はどうでも良いのか?
私人主義

Cさん
自分の印象のために他人の目を気にする。
他者への関心も突き詰めて考えると自分のため。

まったく気にしないわけではないが……

Fさん
他の人のことを気にしてしまう。
他の人を気にしすぎると自分がなくなってしまう、どうしよう。

Gさん
気が利かない方
電車に乗って本を読んでいた時、目の前に立っている妊婦さんに席を譲れなかった。

Aさん
最終的には他人からどうみられるか、ということに

Bさん
「周りのことをあまり気にしないよね」と言われてショックだった。
~ハラスメント、という言葉がある。
他人と距離をとり、自分のスペースを確保するような傾向があるのではないか。

Hさん
現代日本の私人主義化について
一つの例だが、「人脈」という言葉の含蓄
地元の代議士が人を手段として使い何かを成し遂げようといったニュアンスで「人脈」という言葉を使っていた。最近この手の言葉に利己主義を感じる

Eさん
日本人は周りの人のことを気にしすぎ。自粛警察など。
日本人はマナーが良い。それを他人にも求めるのはちょっと違うのではないか。

公共の場でのみられ方はある程度気にするが、本当に気にしていたら選挙好きなどとは公言出来ない。

「人を手段としてしか考えていない」というのは政治家や経営者など限られた人では

真山先生
人を手段としか思っていない人は、相手からも手段だと思われている。
「ほっておけない」という日本人的な発想。

外資系金融機関などのしあがってやろうという発想の人たち、は何かの虚しさに途中で気づく。
若い人にはまず自分を信じてほしい。自分を愛せない人は他の人を愛せないというのはよく言う。

Iさん
今の日本人は、他人に干渉したくない。波風を立てたくない。他人との関係を0にしておきたい。それは、自分のコンフォートゾーンをまもるため。
自分の関心が昔は周りの人も多少なり含まれているが、今の人は、本当に自分1人のことしか関心がないのではないか。
ある意味で成功されている人たちがもっとコンフォートゾーンを広げてくれれば良いが、どうしてそうしてくれないのか?

真山先生
自分の成功にしか関心を持てないのは、余裕がないから。
日本人はよく人と比べるが、最終的に人と比べないところで落ち着く。

コンフォートゾーンを広げるためには、自分はここまでこれたのは自分の力だけではない、という実感が必要。
それか、大きく成功するか。→必然的に他人のおかげだと感じるから。
そもそも成功している、と思っている人が少ないのでは?団塊の世代以上は自信がある。

自分を信じる強い人は何歳になっても挑戦できる。
何かをやろうとした時に自分を説得してしまう人が多い。

若者は幸せを感じているのでは、ということには驚いた。
好きな何かがある人は幸せだと思う。ただ、長続きする幸せを感じている若者はどれだけいるのか?

不自由がなくなってしまったために、不自由から自由を得られたときの幸せを感じられない。

お金があったらいいなぁと思っている人も、その先にある何かを見つめていない。

Cさん
比較的幸せな人間だと思っている。
手に入れた幸せを忘れずに生きていく、という人生の目標。
些細な幸せを大切にしていこうと考えている。
お金がなくても幸せになれる方法がある。

Aさん
お金に関しては困りたくないと思う。本を読んで議論できる友人、
幸せとは何かはわからない、理想はあるがそれは他者に依存している
予定を詰め込むことによって、幸せでないのではないかという考えが湧き上がってこないようにしている、のかもしれない。

Dさん
一日の中でこうすると幸せ、というのはありつつも、何かを達成する幸せのバランスをとりたい

Iさん
不幸せの定義
現状維持をできることが出来なくなるのが不幸せなのではないか。
現状維持が出来なくなることに対する不安。

真山先生
私たちの世代は、幸せは現状をはるかに超えるものを手に入れない限り手に入れることが出来ない、という考え。
現状維持は本来、やれて当然という前提がある。
現状維持ができなくなったら不幸せ、というのは生きにくくないか?

Iさん
自分がそれまで享受してきた水準を維持したい、という人が多いのではないか。
親と同じかそれ以上の年収を目標にしている人が周りにいる。

Jさん
新聞記者として働いているが、新聞は幸せな人を見つけなければならない。
他者に興味を持たなくなっている、コンフォートゾーンが縮小してしまっている。

Hさん
幸せという感情は、嬉しい、楽しいというのと何が違うのか?幸せとは疑似命題でそもそも存在しないのではないか?

Cさん
幸せはポジティブな感情の総称

Eさん
分類しないと幸せになれないのか?

Hさん
日本に生まれた時点で、貧困国と比べたら幸せ。「幸せ」は相対的な価値尺度で測られるものであり、主観によって更にそれが変化してしまう。一意に定まらない。

真山先生
幸せでも不幸せでもない、という状況。
ひもじい状況なら、幸せはわかりやすい。
選択肢が多い中での幸せを探すのは難しい。
人間は渇望がある方が強くなる。

「幸せですか」と聞くと、もっと幸せにならないといけないのではないか、と考えてしまう。

Iさん
Hさんくんが言いたかったのは恒常的な幸せ(恋と愛の違い)はどこにあるのかということではないか。
『疑う力』にもあるがそれは与えることでしか得られない。

真山先生
幸せは考え方次第というのが少なくなってきているのではないか。
これが幸せですと社会が認めたものでしか幸せになれないと思い始めているのではないか。
幸せを求める
いつの時代であっても、幸せか、不幸せかといわれるとどちらでもない、と20代は答えるだろう。ただ、幸せを求めなくなっているように思う。
希望を描けない。真山ゼミで現状に何か不満があるか、と聞かれた時に答えがでない。

多くの日本人は自分たちが幸せではないのは誰かのせいだと思いたい。
自分の思いを代弁してくれているXやYoutubeをみてそうだそうだと思うが、そうではない。

Eさん
幸せとは、自分に自信が持てることと、それができること。
切羽詰まっているときに誰かに何かされると幸せを感じる。

Jさん
新聞がどう幸せを作っていくか
頑張って報われている人を取材して伝えていけば幸せになれるのでは?

真山先生
そもそも頑張って報われている人がそんなにいるのか?
高校野球などは、毎年一校は幸せな人たちが現れる。
普通の社会の中から幸せを見つけるとなると、問題意識と、自分なりの幸せの定義が出来ていないと難しい。
違和感を抱くには、もともと自分の中にルールが必要。
自分の中にルールがあるひとは行動もできるし、疑うこともできる。
優先席で譲らなければならないという自分のルールがあるから席を譲れる。

自分の考えを絶対善とはしてほしくないが、自分はこうして行きたいという軸を持てるか。

自分からこれを幸せと思おう、ということをしないといつまでも幸せにはならない。

Eさん
満足感・達成感という幸せ
ゼミの資料を作っているときは大変だったが、達成感はあった。
自分の力をいかせているという幸せ、自分のやったことが役に立っているという幸せ。

Dさん
幸せを感じるためには他者の存在が必要
直接的に賞賛されないとしても、頭の片隅に賞賛してくれるであろう人たちがいることによって幸せになれる。

Bさん
他者からの賞賛に快感を感じるというのは、生物学的に考えても、人間は社会的な動物だから納得がいく考え方。

Jさん
20代は自分たちの世代を「私たち」と思えていない、社会を自分のコミュニティと思えていないのではないか?団塊の世代は「自分たち」に自信がある。

真山先生
日本初ができた世代は幸せ
公務員に日本を背負っているのか?と聞くと、若手の財務官僚はこの国を良くしたい、と語る人が多い。昔より苦難がある方がモチベーションがあがるのではないか?
団塊の世代は圧倒的に数が多い、共感してくれる人が多い。いつまでその状態に酔っているのか、というのが彼らの問題。

高度経済成長時代は疑うと損だった。自分で考えないといけない社会になってくると従順と疑う力のバランスが大事になってくる。


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