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おんぶ

職場で仲良くなったAさんの趣味はロードバイクだった。
熱心に話すAさんに触発されて、俺もロードバイクにハマったのはもう五年も前のこと。
形から入るタイプの俺はすぐにロードバイク用の自転車やらウェアやら道具を買い揃え、暇さえあればロードバイクに跨り、休日には奥さんそっちのけでAさんとサイクリンに出掛けていた。
今思えば、新婚だったというのに申し訳ないことをした。

ロードバイクを初めて三ヶ月ほど経った時、Aさんから島一周のコースに誘われて快く承諾した。
島へはフェリーで向かうため、当日Aさんと港で待ち合わせた。

港までロードバイクで向かい、そのまま島行きのフェリーに乗船した。
フェリーは時間通りに港を出航し、船内で一泊をして早朝には島に着いた。
下船して軽く朝食をとった後、俺とAさんは準備を整えて出発をした。
予定では観光をしながら一周して、その日の内に帰るつもりだった。

島は快晴で風も穏やかで絶好のサイクリング日和だった。
昨今、島には多くのロードバイク乗りや観光客が訪れるためか車道は整備されていて初心者にも走りやすかった。
加えて他のロードバイク乗りの姿もほとんどおらず、車も少なくて快適だった。

Aさんを先頭に、起伏ある道をいくつか超えて海が見える観光地をいくつか巡り、観光雑誌で見つけた蕎麦屋で早めの昼食をとることにした。
ここまでとても順調で、予定よりも早く着くことが出来た。

だが、後半になると予期せぬトラブルが続いた。
予定していた道が、数週前の大雨で土砂崩れが起きたようで通行止めになっていて通り抜けることが出来ず、途中まで引き返さなくてはならなくなった。
その道中では、Aさんのロードバイクの後部に乗せていた荷物を括りつけていたロープが突然切れてしまい、路上に荷物が転げ落ちてしまった。
後ろを走っていた俺は、危うくその荷物に乗り上げてしまうところだった。
また少し進んだ先で、今度は俺のロードバイクのタイヤがパンクしてしまい修理をする羽目になった。
晴天だった空には、いつしか厚い雲が広がるようになった。
出港の時間には間に合いそうではあったが、前半よりは余裕がなくなっていたのは確かだった。
俺は急いでタイヤを修理して再出発をした。

それからしばらくは何事もなく進んでいたが、海沿いの道を走っている時に前を走行していたAさんが急ブレーキを掛けて止まった。

「どうしました。また、何かトラブルですか?」

そう声を掛けながら、俺はAさんのすぐ後ろで止まった。
すると、Aさんは斜め上の岩がむき出しになった崖の方に指を差した。

「今、あの崖の上に女性がいただよ」

Aさんはそう言ったが、崖の上に人の姿など見えなかった。

「今はいないが……」

「見間違えじゃないですか?」

「確かに見えた気がしたんだけどな」

Aさんは納得していない様子だったが、時間が迫っていたこともあり再び走り出した。
島一周コースは想像よりも大変で、すでに俺の太ももは限界寸前だった。
 そしてようやく最後の山道が見えてきて、それを超えれば港まであと少しのところまで来た。
山道は木々が多く、上り坂の境目あたりから日が遮られていて薄暗かった。

ずっと続いている上り坂。
疲労で速度が落ちてきた俺とは違い、Aさんはずんずん進んでいく。
一時は姿が見えなくなるほど引き離されてしまったが、Aさんは俺を置いていくことなく少し先で待っていてくれた。

「もう少し進めば、後は下り坂だから。頑張ろう!」

そう励ましてくれるAさん。

しかも、俺を合わせて走行してくれた。
俺もそんなAさんに迷惑をかけまいと必死でペダルを漕いだ。
視線は前を走るAさんの背中よりも、手元を見る方が多くなっていた。

そして、視界を自分の手元からAさんに移した時、Aさんの背中に俺は違和感を覚えた。
一瞬よくわからなかったが、その違和感の正体はそれがAさんの背中ではなかったからだ。

それはAさんとはまるで違う、細身で髪の長い女の背中だった。

無論、Aさんのロードバイクは一人乗りでサドルも一つ。
後ろには道具などが入ったバッグが括りつけられているが、人が乗れるような頑丈な固定はされていない。
 何より、ほんの少し前までそんな女がAさんの背後にはいなかった。
それなのに、髪の長い女がAさんにおぶさるようにくっついていた。
俺の理解が追いつかないうちに、車道は下り坂に変わってAさんは速度を上げて坂を下っていった。
それを追う俺のロードバイクも速度を上げた。

とにかくAさんに教えないと。
俺は声を上げようと息を吸い込んだ。
その瞬間、まるで察したように髪の長い女が首だけをグググと振り向かせ、後ろを走っているに俺を見た。
その両目はまるで目玉をくり抜かれたように大きな穴がぽっかりと開き、その穴はまるで漆黒の闇のようだった。

思わず、息が止まった。

その時、俺のロードバイクの後輪に何か絡まり、急ブレーキがかかった。
予期せぬブレーキに危うく転倒するところだった。

安堵しながら前を向くと、スピードを上げて坂を下っていくAさんが、カーブでその姿が見えなくなってしまった。

「くそ、こんな時に」

俺は自転車を降りて後輪を確認した。

だが、確かに何か絡まったような感触があったというのに、後輪には何もなく正常に回った。
俺は困惑しながら、急いでAさんを追いかけた。

すると、カーブを曲がった先のガードレールの手前で、Aさんのロードバイクが倒れていた。
その先は小さな崖になっていて、Aさんが唸り声を上げながら倒れていた。

俺はすぐに救急車を呼び、Aさんは島の病院に運ばれた。

病院で治療を受けている時、Aさんは言った。
下り坂を走行中に気が遠くなってしまい、気がつくと目の前にガードレールが迫っていた。とっさにブレーキをかけたが止まらず、そのままガードレールに突っ込み崖の下に放り出されてしまったと。
俺はそれとなくAさんに尋ねた。

「Aさんの近くに誰かいませんでしたか?」

すると、Aさんは怪訝な顔で俺を見ながら、「別に誰もいなかったよ」と言った。
どうやらAさんには見えていなかったようだ。
Aさんの怪我は左足と左腕の骨折だったが、派手に崖下に落ちた割にはそれで済んで良かった、と正直そう思った。

結局、船は出港してしまいその日に帰ることは出来ず、翌日の予定もすべてキャンセル。
そのせいで奥さんには怒られてしまい、散々な遠征となったのだった。

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