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公園の池

会社で受けた健康診断で肥満ぎみという結果が出た。
嫁さんにも少し運動しろと言われてしまい、私は毎朝三十分早く起きて近所の公園をジョギングすることにした。
当初は面倒だし、すぐに息切れも起こしてつらいだけだったが、毎日続けているうちに体重も少し減り、スタミナもついてきて長く走れるようになった。

ジョギングを始めて五ヶ月ほどが過ぎた頃だった。
その日、私はどうしてもいつもの時間に起きることが出来なかった。
アラームが鳴る中、嫁さんにも何度も起こされたのだが、頭痛と吐き気でベッドから起き上がることもままならなかった。
というのも、前夜に取引先の接待でかなり飲んでしまい、ひどい二日酔いを起こしていた。
だからジョギングどころではなかった。
それでも会社には行かなくてはと、私は這うように出社をしたのだった。

午後になると、出社前に飲んだ薬のおかげでかなりよくなった。
だが、日課になっていたジョギングを怠ったせいか、どうにも集中力とやる気がでないまま夜を迎えてしまった。
家に帰ってからも気になってしまい、私は夕食を食べ終えた後で日課をこなすことを決めた。

すでに外は暗く、嫁さんからは危ないからと止められた。
公園の入口には以前から不審者注意のポスターが張られていたが、それらしき怪しい人物を私は見たことがなく気にはしていなかった。
「大丈夫、大丈夫」
嫁さんにそう言い聞かせ、私はとっととジャージに着替えて家を出た。
 

そして、日課として利用している公園に着いた。
街灯は公園の入口にも中にもあるのだが、やはり朝とはまるで違う景色。
光が当たらない木々の奥は真っ暗で、何か潜んでいてもわからない。
加えて不審者注意のポスターが、その不気味さを増長させていた。
しかし、公園内にはまだ犬の散歩をしている人や、私のようにジョギングをしている人の姿があり安堵した。

そんな公園の中には一周一キロほどの池と遊歩道があり、私は毎日そこを周回していた。
明るければ見晴らしのよい池。朝日が水面を照らすと、キラキラと輝いていて綺麗だった。
そして遊歩道も走りやすく、早朝でもジョギングをする人の姿をよく見る。
だが今は暗くて向こう岸なんて見えない。
周囲は誰もおらず、入口で見かけた人たちも池の方にはきていないようだった。
目の前に広がる池は、月明かりで水面が揺らめいている。
しかしその水面を覗いても、泳いでいるはずの鯉は暗くて見えなかった。
 
私は軽い準備運動のあと、いつも通りに遊歩道を池に沿って走り出した。
草むらからは虫の鳴く声が聞こえ、上空ではコウモリが飛んでいた。

池を半周ほどした時だった。
ふと視界の隅で、何か黒いものが横切ったような気がした。
(またコウモリか)
そう思いながら池の方に目を向けると、薄暗い池の水面近くを黒い物体が旋回しながら移動しているようだった。
それはコウモリよりも大きく見えた。
鳥かとも思ったが、こんな時間に、こんな暗い場所で鳥なんか飛んでいるだろうか。
それとも、餌になるものが池に浮かんでいるのか。
私は気になり、しばらくその場に止まって様子を見ていた。
どうやらそれは池の水面に着水することもなく、ただ池の上をゆっくりと旋回しながら移動しているだけのようだった。

あれは一体何なのか。

いつしか子供のような好奇心が生まれ、私はそれがより近くで見るために遊歩道を進んだ。
すると、薄暗い池の上を移動していた黒い物体が、ぐるりと回ってゆっくりと遊歩道の方へ近づいてくると、街灯の明かりでその姿が露になった。
 
それを見た私は、思わず足を止めて息を呑んだ。
暗闇から現れたのは、青白い肌に落ち武者のような乱れた黒髪。
膨らんだ顔に、だらしなく開いた口と虚ろな目をした男の首だった。
それも常人の倍はありそうな大きさだった。
男の首は、まるで巡回するように私の前を横切っていった。

その時、ふと気づいたことがあった。
それは池の上を移動している「それ」が一つではないことに。
目を凝らすと、薄暗い水面上に他にもいくつか動いている影が見えた。

「探しとるのよ」

背後から聞こえた突然の声に驚き、口から変な声が出た。
振り返ると、そこには背の低い猫背のじいさんが、私のことをニタニタと笑いながら見上げていた。

「さ、探しているとは?」

「そりゃ、体に決まっとる。あんた知ってるかい。昔、この池のそばに首切り場があったことを。切られた首がそのまま地面に落ちればよいが、運悪くこの池に転げ落ちてしまうとな、首はそのまま池の中で腐って己の体とは離れ離れになる。いくつもの魂が首だけになり、ああやって体を探しとる」

「そんなこと信じられない……」

「早く立ち去りなされ。でなければ、気づかれてしまうよ」

「気づく? 何にです」

「あんたが見えているってことに。そしたらあんた、体取られちゃうよ」

そう言ってじいさんは不気味に笑った。
 
池の方に目をやると、黒い影がいくつも旋回している。
先ほど見た男の首も同じように旋回をして、また遊歩道の方に戻ってきた。
そして私の前を通りすぎようとした時、男の首がピタリと止まったのだ。
私はとっさに見てはいけない。
そう理解しつつも、何故かその視線をはずすことが出来なかった。

緊張で呼吸が苦しくなり、心臓の鼓動が早くなっていく。

「ニオイ……スル……」

しゃがれた低い声と共に、男の首がゆっくりとこちらを向こうとした。
その瞬間全身に鳥肌が立ち、とっさに息を止めて走って逃げだした。

しかし、私に話しかけてきたじいさんのことが気になりすぐに足を止めたが、振り返ることに抵抗があった。
あの首がこちらを見ているかもしれない。

私は迷いながら、それでも恐る恐る振り返った。

すると、男の首はまた池の上を移動していて、じいさんはどこかに行ってしまったのか姿が見えなかった。
それから、私はなるべく息を殺して出口まで走った。
公園を出た時、ようやく安心することが出来た。

家に帰った後で嫁さんにこの話をしたが予想通り信じてもらえなかった。
あの時、あの首と目を合わせていたらどうなっていたのか。
想像するだけで寒気がした。


あれ以来、私は日が落ちて暗くなったあの池には決して近づかないことにしている。
ジョギングは必ず日が出ている明るい時間だけと決めている。
私はもう二度とあんなものは見たくないから。

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