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片方の靴

橋のすぐそばにあるスーパーで買い物を済ませて外に出ると、橋の方で学生服姿の女の子が何やら通行人に駆け寄って話しかけている姿が見えた。
彼女は必死な様子だったけれど、話し掛けられた方はみんな彼女を無視して通り過ぎていた。
(何かの勧誘でもしているのだろうか)
そんなことを思いながらも、彼女の様子が気になってさりげなく近づいた。
 すると、彼女がこちらを向いた拍子に私と目が合った。

私はとっさに視線を反らしたけれど、彼女は私の方に小走りで駆け寄ってきた。
そして彼女は、
「すみません。私の靴を一緒に探してくれませんか。」
と泣き腫らした目をしてそう言った。
彼女の足元を見ると、片方では白い靴を履いているのに、もう片方は裸足だった。

「どの辺で靴を失くしたの」

そう尋ねると、「この辺り」と答え、

「どうして片方の靴だけ脱げたの」

そう尋ねると、「覚えていない。気づいたら片方の靴がなかった」と答えた。

「このままではお母さんに叱られるから家に帰れない」

そう言って泣き出す彼女を見て不憫に思い、私は彼女の片方の靴を一緒に探すことにした。

空はすっかり日も落ちて暗く、橋の下を流れる川も土手道も真っ暗だった。
幸い、橋の上には街灯とヘッドライトをつけた車のおかげで十分な明るさがあった。

しかし、どこを探しても彼女の片方の白い靴が見当たらない。
それほど長くはない橋を何度も往復し、その間ずっと彼女は私にくっついて歩いていた。

反対側の歩道は探していないらしく、私は念のためとそちらも探したが見つからない。
途中、通りすがりの学生さんも一緒に探してくれたが見つからなかった。

橋の上は時間と共に冷えてきて、冷たい風が身に染みるようになった。
手に持っていた買い物袋が、風に持っていかれそうになる。
橋の上は十分探した。

これだけ探しても見つからないとなれば……。

と、私は橋の下を見下ろした。
下に流れる川は真っ暗で、月の明かりで水面がわずかに見える程度だった。もし何かの拍子で川に落ちたとすれば、川底に沈むか流されるか。
何れにしてももう見つけることは困難。
それに私もそろそろ家に帰らないといけなかった。

それを伝えようと彼女の姿を探したが、私がいる位置からは見えなかった。彼女を探しに行こうと歩いている時、ふと車道の方に目をやった。
すると、車が通り過ぎていく車道の真ん中に何か落ちているのが見えた。
近寄ってみると、それは彼女が履いていた白い靴の片方だった。

(あった!!)

私は喜びで胸が震えた。
片側二車線の車道はいつも交通量が多く、通り過ぎる車のスピードはどれも早い。
私は橋の先に信号が赤になるのを待った。

私の前を何台もの車が通り過ぎていく。
その何台かは、落ちている彼女の白い靴を踏みつけていくのが見えた。
白い靴は汚れ、灰色に変わっていく。
信号がなかなか変わらないのか、車は一向に止まらない。
踏み潰されながら、少しずつ位置を変えていく白い靴。
それを見ていて、私は可愛そうに思えてきてしまった。
早く拾ってあげたくて、体が自然と車道の方に傾いていく。

その時だった。
背後からドンッと背中を押され、私の体が中に浮いた。
車道に私の体が押し出され、左から大きなクラクションが聞こえた。
顔を向けると、大型トラックが目の前に迫っていた。
私は息を止め、思わず目を瞑った。

すると、今度は背後から誰かに服を引っ張られたようで、体が歩道側に戻された。

「危ないよ。そんなに身を乗り出していると、誰かに背中を押されちゃうよ」

優しく穏やかな声が聞こえて振り返ると、そこには小柄なおばあさんが微笑んで立っていた。
私は歩道にいて、車道では何事もなく車が通り過ぎていく。
迫って来た大型トラックの姿もなかった。
気のせいだったのか。
誰かに背中を押された感覚はあり、大型トラックの姿も目に焼き付いていて、クラクションも耳に残っているというのに。
私の頭は混乱していた。

「車道に何か落とし物?」

おばあさんにそう尋ねられ、私は頼まれて白い靴の片方を一緒に探していたことを伝えた。
そして、それを車道で見つけて拾おうとしていたことも。

その話を聞いたおばあさんは言った。

 「それはきっと見間違いよ」と。

怖い思いをしてまで、車道に落ちた片方の白い靴を拾おうとしたのに、それが“見間違い”だなんて、なんて失礼なことを言う人だと思った。
しかし車道の方を見てみると、さっきまで落ちていたはずの白い靴がなくなっていた。

「もしかして、それを探していたのは女子学生かしら」

「ええ、たぶん」

そう答えると、にこやかだったおばあさんが表情を曇らせながら、それは仏さんだと言った。
昔、まだ橋のそばに横断歩道が出来る前。
ある女子学生が、反対側の歩道を歩いていた友達を追いかけて車道を横切ろうとして、走って来た大型トラックに跳ねられ死亡したという事故があった。
それ以来、この橋ではその女子学生の霊が出るという噂があるのだという。

「可哀想にねぇ。その事故はもう三十年以上も前のことだから、探し物なんてもう見つからないというのに」

そう言って、おばあさんは車道に手を合わせ南無阿弥陀仏と唱えると、さようならと言って帰っていった。
 

橋に彼女の姿はなく、私も車道に向かって手を合わせながら、

「見つけられなくてごめんなさい」

と心の中で謝罪して家路についたのだった。

あの橋にはスーパーに行くたびに通るけれど、あれ以来私が彼女を見ることはなかった。
ただ、時々橋の上で何か探し物をしている人を見かけると、きっとその人には彼女のことが見えているんだなと、そう思うのだった。

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