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201号室

妹が専門学校への入学を機に、一人暮らしをする事になった。
大人しくて気が弱い妹。
しかも、周りからは甘やかされて育った妹を両親は心配して反対をしていたが、学校までの距離を考えると仕方なく、何より妹の意思が固かった。
そこで、両親は条件をつけた。
それは兄である俺が何かあった時にすぐに駆けつけられる距離に住むこと。
妹はそれを承諾し、どうやら一人で物件を探してきたようだった。

そしてその週末、俺は妹の引越しを手伝うことになった。
そこは俺が暮らす街から電車で三つほどの閑静な住宅街にある小さな二階建てのアパートだった。
外観はかなり古く見え、もっといい物件があっただろうと窘めたが、妹は「両親からの仕送りで暮らすのだから、バイトが見つかって家賃が払えるようになるまでは安いところでいい」のだと言った。

妹の部屋は201号室。
階段を上がって一番奥の部屋。
階段も外廊下も年季が入っていたが、部屋の中は壁も畳も新しく張り替えられ、風呂もトイレもしっかりと清掃されていて新築のように綺麗だった。
窓も大きく、陽の光がよく入る明るい部屋だった。
家賃も安いらしく、ラッキーな物件だったと妹は喜んでいた。

車に積んできた妹の荷物を部屋に運び終えると、妹は荷解きと整理は一人でやるから平気だと言うので、俺は帰ることにした。
成長したな。そう感慨しく思いながら、
「あとで引っ越しましたって周りにちゃんと挨拶しに行けよ。それと、何かあったらすぐに連絡しろ」

そう伝えた。
妹は「はいはい」と手を振りながら答えてはいたが、その顔は俺の方など見てはいなかった。
そんな妹のことを心配に思いながらも、その日は帰ることにした。

それから一週間が経った。
妹からの連絡はなく、便りがないのはよい便り。
と思った矢先に妹から電話が掛かってきた。

話を聞くと、どうやら夜になると隣人がわざと大きな足音をたてたり、壁を何度も叩いたり、唸り声をあげたりと、迷惑行為をしてくるというものだった。
我慢はしていたが、連日深夜まで騒音が続き、寝不足で辛いという事だった。
不動産屋に相談することも出来ず、隣人に直接クレームを言える勇気がないと言うので、俺は現状を知るために妹の部屋に泊まることにした。

一週間ぶりに会った妹は、寝不足のせいかかなり疲れた顔をしていた。
それでも学校は楽しいと笑顔で話す妹に俺は安堵していた。

妹は引越しの翌日、アパートの住人に挨拶に行ったそうだが、どの部屋も留守のようで出てこなかったそうだ。
隣人も女性か男性かすら分からないという
それはよくある事だから仕方ないと思った。

妹の部屋に着いた時にはすでに日が暮れていたが、隣の部屋は静かで物音なんて聞こえて来なかった。気配すらもなかった。

妹の気のせいなんじゃないか?
初めての一人暮らしで神経が高まっているだけでは。
隣で美味そうにスパゲティを食べている妹を見てそう思っていた。

夜が更け、妹は自分のベッドに横になり、俺は床に敷いたタオルケットの上で寝転んだ。
すると、突然202号室側の壁からドンッという音が聞こえた。
妹の方を向くと、音がした壁を見ながら険しい顔をしていた。
ドンッドンッドンッ!!
確かに壁を叩くような音で、何度も何度も繰り返された。
壁の向こうから苛立ちの感情が伝わって来るようだった。
怯え泣きそうになっている妹をみて、俺は怒りがこみあげてきた。

「わかった。俺が注意してくる」

妹にそう伝え、オレは部屋着のまま隣の部屋に向かった。
そして、隣人の部屋の前に立つと、大きく深呼吸をしてドア横にあるインターホンを押した。
だが、何も音がしない。
もう一度押したが、壊れているのかうんともすんとも鳴らなかった。
仕方なく、俺は控えめにドアをノックした。
「すみません。隣の部屋に引っ越して来た者ですけど」
と、声をかけた。

すると、ドアノブが音を立てて回りドアが開いたが、チェーンを掛けているのかその隙間はわずかだった。
「あの、すみません」
俺はそう声をかけながら、僅かなドアの隙間を覗き込むと、ドアノブを握った隣人の手が見えた。
その瞬間、部屋から猛烈な腐敗臭が漂ってきた。
あまりの悪臭で吐き気に襲われ、俺は思わず顔を伏せた。

なんてにおいだ・・・・・・。
ネズミでも死んでいるんじゃないか。
とにかく苦情だけ伝えて、とっとと部屋に戻もう。
そう思い、俺は隣人の顔を見た。

隣人は年老いた男だった。
ドアの隙間から見えたその顔はひどくやつれていてどす黒く、目は赤く充血して視点が定まっていなかった。
そして、何かブツブツと呟いているようだった。

目を合わしてはいけない。
そんな気がした。

男は独り言を呟きながら、部屋の中に戻ろうとドアノブから手を離した。
閉まりそうになるドアを、俺は咄嗟に抑えた。
騒音のことは注意しないと。
妹のために。

「すみません!」
声を掛けたが、男は止まらない。
チェーンがかかったドアは、当然人が入れるほどの隙間は開かない。
絶え間なく漂ってくる悪臭の中、俺は何気なく玄関の足元を見た。

すると、床には黒く染った新聞紙が敷き詰められ、その上には空の酒瓶と生ゴミが剥き出しになっているビニール袋がいくつも転がっていた。そして、そこから黒い液体が漏れ広がっていた。
あまりのひどい状況に、俺は吐きそうになった。

男はブツブツと呟きながら、部屋の中を歩き回っているようだった。
その足音は、まるで水溜まりの上を歩いているような異様な音をたてていた。
隣人に声をかけても反応がない。
限界だった。
俺は注意できないままドアノブから手を離し、妹の部屋に戻った。

また隣人が壁を叩く音が始まり、それは朝まで続いた。
俺も妹も眠ることが出来なかった。

朝になり、俺はすぐに不動産屋に電話をかけて隣人のことを話した。
不動産屋はアパート名と部屋番号を聞いた途端、あっという声を発した後、「すぐ行きます」
と言って電話を切った。

妹と二人で食事に出かけ、昼頃にアパートに戻ると、202号室の前にスーツ姿の若い男が立っているのが見えた。
妹が不動産屋だと言った。
俺たちに気づいた不動産屋はこちらに軽く会釈をして、「すぐ終わりますんで」と言うと、鍵を開けて中に入っていってしまった。

「勝手に入って平気なのか?」
「許可とってるんじゃない?」
「あんな臭い部屋によく入れる」
「そんなに臭かったの?」
「臭いなんてものじゃない。玄関に生ゴミとかそのままだったし。そうだ、ドアポストから中が覗けるかも」
俺はいたずら心でドアポストを開けた。

すると、ドアポストは内側が壊れてはずれているようで、室内が丸見えだった。
そして、俺はそれを見て唖然とした。
玄関には昨夜見た新聞紙もゴミ袋も空の酒瓶も一切なく、あの腐敗臭も感じられなかった。
だが、変わりに鼻についたのは線香のにおい。
部屋の奥で、不動産屋が腰を下ろして何かしているのが見えた。
俺は202号室のドアをこっそりと開けた。
隣で心配そうに妹が見ている。

玄関には革靴が一足だけ置いてある。
廊下は綺麗で、何も置かれてはいない。
奥の部屋にも家具はもちろん、カーテンすらもなかったが、変わりに異様な光景が目に入った。
不動産屋の足元には香炉がいくつも置かれ、火のついた線香が何本も立っていた。
床には灰と折れた線香のカスが散らばっていた。
気配に気づいたのか、不動産屋が立ち上がり振り返った。

「勝手に入ってきたらダメですよ。どちら様ですか?」

「201号室の者です」

「あ、すみません。お隣さんでしたか。色々すみませんでした。実は二ヶ月ほど前にここの担当者が急に辞めてしまって。引き継ぎとか忙しくてつい忘れてしまって。でも、もう大丈夫ですから」

ニコニコしながら、不動産屋はそう言った。

「事故物件てことですか?」

「あの夏は大変でした。ここだけの話、首吊りだったんですけどね。見つかった時にはもうね。虫とか、においとか、それはもう」

「聞きたくないです」

「ですよねー。あ、忘れてた。あの、塩ありません?」

「塩?」

「玄関の隅見ました?」

そう言われ、玄関の床をよく見ると、黒くなった塩が不自然に散らばっていた。

「黒くなったら変えるように言われているんですけど。すぐに黒くなっちゃうんですよ」

不動産屋は妹から塩を受け取ると、玄関の隅に山盛りに置いた。

「ちなみに亡くなったのここですよ」

不動産屋は意地悪そうにニヤリと笑いながら帰っていった。
なんてデリカシーのない奴だ、と俺は呆れた。


その後、妹の話では騒音は消えたという。
202号室には、頻繁に不動産屋の男が訪れているそうだ。

あんな話を聞いて、俺は早く引っ越せと言っているのだが、当の妹は「騒音が消えたから問題ない」
と言って、今も住み続けている。


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