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我が子

その日は朝から本降りの雨でした。
息子は買ったばかりの黄色いレインコートと長靴を履いて、私は大きめの傘を差して幼稚園まで送り届けましたが、自宅に帰ってきた時には服はびしょ濡れでした。

家では家事と昼食を済ませ、少し休んだ後にリビングでパソコン仕事を行い、その仕事が一段落着いた時にはもうお迎えの時間が近づいていました。
雨は未だ止まず、私はまた傘を差して幼稚園に向かいました。
幼稚園の門を抜けると、すでに他のママたちが迎えに来ていました。

帰り支度をしている子供たちの中に、一際目立つ黄色いレインコートを着た息子がいました。
息子は水溜まりに飛び込んで、楽しそうに遊んでいました。

「ユウター! 帰るよ」

私が名前を呼ぶと、息子は私の顔を少しだけ見て、また水溜まりで遊びました。

「ほら、早くしないと置いてくよ」

聞こえているのに、聞こえないふりをする息子。
私が置いていくなんてありえないと鷹を括っているのか。

一向に遊びをやめない。
それとも舐められている?

仕方なく私から近づいて手を繋ぐと息子は素直に歩き出し、先生に手を振りながら園を出たのでした。

止まない雨の中、私は息子と夕食の買い出しでスーパーに立ち寄りました。
こんな日に限って、お義母さんが夕食を食べにやってくる。

こんな日に限って、洗剤も歯磨き粉が切れてしまう。
息子だけが、楽しそうに浮かれていました。
私が持つ買い物袋の中は、食材と日用品でいっぱい。
その買い物袋とバッグを肩にかけ、左手は雨に濡れないように傘を差し、右手は息子の手を握って歩くのでした。

しばらく歩くと、いつも渡っている片側二車線の横断歩道に着きました。

そこには傘を差した多くの人が、信号待ちをしていました。

その人集りの中で、私と息子も並んで待っていました。
私たちの前を、何台もの車が通り過ぎていきました。

傘に滴る雨の音の中で、突然聞き慣れた着信音が流れ始めました。
それは私のバッグの中から聞こえるようで、中を覗くとスマホのランプが点滅していました。
着信音からして電話のようで、私は息子の手を一旦離して傘の柄を肩と首に挟みながらバッグの中からスマホを取り出しました。
電話の相手はお義母さんからでした。
急いで電話に出ると、

『今日は雨がひどいからそちらへは行かないわ』

そう言って切られた。

相変わらずマイペースな人と思いながらも、内心気を遣わずに済んでほっとしました。
そして、信号がようやく青に変り、私は隣に立つ息子の手を握って横断歩道を渡りました。

家まであと少し。
いつもなら、そろそろ疲れたと駄々を捏ねる頃。
けれど、今日はしっかりと歩いてくれて助かる。
お気に入りの黄色いレインコートのおかげで、雨が好きになったのでしょう。
私の肩は雨でびしょ濡れだけれど。

ようやく我が家が近づいて、私はバッグから家の鍵を探していました。
息子は早く家に入りたいのか、玄関に向かって走り出し、玄関の前でドアノブをガチャガチャと回していました。

「そんなに回さないで。壊れるから」

注意をしてもやめない息子。
早く鍵を探さなきゃ、またぐずりだす。
家の鍵はバッグの底で見つけました。

その時、またスマホの着信音が鳴り響きました。

こんな時、いつもなら部屋に入ってひと息ついてからかけ直します。
どうせまたお義母さんだろうと思っていましたし……。
けれど、その時は握った家の鍵を手放してスマホを探したのです。

すると、スマホの画面には息子と同じ幼稚園のママ友の名前が表示されていました。

「どうしただろ?」

そう思いながらも通話ボタンを押しました。
すると、電話に出るや否やママ友のいきり立つ声が聞こえました。
私はビックリして、思わずスマホを耳から少し遠ざけました。

「ユウタくんママ! 今どこにいるの!」

彼女は、何故か怒っているようでした。
私が何かしたのかしら。
けれど、そんな心当たりはありませんでした。

「もう家だけど。どうかした?」

「どうかしたじゃないよ! ユウタくんをこんなところで置いてけぼりで、なんで一人で帰っちゃうの!」

「ユウタなら目の前にいるけど」

玄関の前でドアを開けようとしている黄色いレインコートを着た息子。
私が朝、傘は危ないからって着させた買ったばかりの黄色いレインコート。
鏡に映る自分を見て、
 

「これ可愛いね、ママ」

なんて言っていたわ。

「早く迎えに来てあげてよ。スーパーの近くにある大きな交差点のところ!わかるでしょ? 早く来な。ユウタくん、泣いてるよ!」

 

大きな交差点。

すぐに、先ほど渡った横断歩道のことだとわかりました。

ちょうどお義母さんからの電話を受けたあの場所。

けれど、息子は私の目の前にいるのです。
玄関のドアに向かって、「早く開けて!」と叫んでいるのです。

何より私が息子を置いていくはずがないのです。

「ちょっと、変なドッキリやめてよ。ユウタなら、一緒にいるって」

「何、言ってるの? 大丈夫? 声、聞こえている?」
 

聞こえているよ。
さっきからドアノブを回しながら「開けて!開けろ!」と叫び続ける息子の声が。

「ママー!」

その時、電話の向こうで泣いている男の子の声が聞こえました。

「ママー! どこにいるの? ママー!」

その声は、息子の声でした。

電話の向こうで、泣きながら私のことを呼び続けていました。
 

だとすると、私の視線の先にいる黄色いレインコートの子供は誰?
そう思った瞬間、ドアノブを回し続けていた子供の手がピタリと止まりました。

「……早く開ケテヨ……ォ母サン……」

振り返るその顔はフードでよく見えませんでしたが、その声は息子とは似ても似つかない、まるで野太い男の声がいくつも入り混じったような気味の悪い声でした。

その声を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ちました。
それに、息子は私のことを『お母さん』とは呼ばないのです。

私は急いで交差点に向かいました。
そして、交差点の横断歩道が見えてくると、その手前で傘を差して立っているママ友とそのママ友と手を繋いで泣きじゃくっている黄色いレインコートの子供が見えました。
ママ友は私に気づくと、隣で泣いている黄色いレインコートの肩を叩いて私に指を差しました。

すると、黄色いレインコートの子供は「ママー!」と叫びながら、走ってきました。
その顔は正しく私の息子でした。
泣きじゃくる息子を抱きしめながら、私は何度も謝りました。
そして、ママ友に何があったかを説明をしました。
 

息子の話では、私が電話を切った後に信号が青に変わると、突然知らない子供が現れて、その子供が私の手を握り、私もその子供の手をひいて横断歩道を渡り始めてしまった。
追いかけようとしたけれど、息子は人混みの中で私を見失ってしまったそうです。

「まったく、自分の子供を間違えるなんて」

ママ友は呆れていました。
私もその通りだと思いました。

「身長も同じぐらいだったし、黄色いレインコートも着ていて、顔はフードで見えなかったけれど、私の手を握ってきたからつい息子だと思ってしまったわ」

私がそう言い訳をしていると、泣いていた息子が目を擦りながら言いました。

「黄色いレインコートなんて着てないよ。真っ黒な子だったよ」

それを聞いて私は、困惑して一瞬息が止まりました。

「で、その子はどうしたの?」

「分からない。玄関前で鍵を探していた時にあなたから電話が来て、そのまま来ちゃったから……」

「そう。どこの子かしらね」

「もし、まだ家の前にいたら警察に相談してみる」

私はママ友にお礼を伝え、そこで別れました。
隣で歩く黄色いレインコートを着た息子は、私の手をいつもより強く握っていました。
離さないで。
と言わんばかりに。

家に戻ると、あのレインコートの子供はいなくなっていました。

周辺を探してみましたが、やはりいませんでした。

 

後日、ママ友会でこの話をしてみました。

すると、レインコートの子供を知っているというママ友が二人いました。
彼女たちは昔からこの地に住んでいて、それは都市伝説のようなものだと言っていました。
その子は雨の日にだけ現れ、気に入った大人の後をつけては家に入り込もうとするそうです。
けれど座敷童子とは違い、招き入れてしまうと訪れるのは災いだそうです。

小さい災いから大きな災いまで。
それは家が空っぽになるまで続くという噂だそうです。
 

だから、あの横断歩道でレインコートを着た子供を見かけたら、注意するべきだと言われました。
それが本当に「人」の子なのかを。

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