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黒い獣

子供の頃、地元にはある噂があって、僕も一度それを見たことがある。

僕が育ったところは自然豊かな小さな村。田畑が広がり、山や小川なんかもあって、みんなのんびり暮らしていた。

だが、村の外れにはそんな村に不似合いなコンクリートの建物が一棟建っていた。

そこはゴミ処理施設であり、大きな煙突からは時々もくもくと雲より白い煙が上がっていた。

ゴミ処理施設の建設が決まった時、周辺に住んでいた人々は村に近い場所へ引っ越した。

けれど、一人だけ立ち退きを拒んだじいさんがいた。

そのじいさんは偏屈で変わり者だと有名だった。

村の行事には一切関わらず、交流ももたない。

家は古くて蔦や草で覆われ、常に獣臭が漂っていた。

噂では野犬を飼い慣らしているとか、食っているとか言われていた。

だから、村の人たちはそのじいさんのことを避けていた。

ゴミ処理施設が出来てからも、そのじいさんだけは隣接した家に住み続けていたのだった。

大人からはそのじいさんに関わらないようにと散々注意されていたが、それは僕らの好奇心を高めるものでしか無かった。

僕もじいさんの家に面白半分で覗きに行ったりした。

ある子は壁や表札に落書きをしたり、石を投げて窓を割ったりしたことのある子もいた。

そんな事が増えてか、いつの間にかじいさんの姿を見かけなくなり、みんなは引っ越したのだと思っていた。

 

ある時、村で変な噂が流れた。

山の中で見たこともない大きな野犬のような黒い獣を見たと。

山には山菜を取りに来る人達もいて野放しには出来ないと、討伐隊として男たちが集まり山に入ったが、その大きな黒い獣を見つけることが出来なかった。

ただ、討伐隊として山に入った父について行った少年はそれを見たという。

そして、口にしたのは化け物の一言だった。

あまりの恐怖からか、それを見た少年は家に引き籠ってしまった。

 

だが、僕らはそれを聞いて胸が高鳴った。

その怪物が見たくて、僕は友達二人を誘ってこっそりと山に向かった。

良く晴れた日。

ゴミ処理施設の煙突から、空に向かってもくもくと煙が上がっていた。

その隣にはあの変わり者のじいさんが住んでいた家が残っている。

すでに廃屋のように庭は荒れ、誰かがいる気配もない。

しかし、相変わらず周囲に獣臭が漂い、ほんの少し腐敗臭も混じっていた。

その悪臭は、以前に来た時よりも増していた。

 

「じいさん中で死んでたりして」

 

「変なこと言うなよ」

 

僕らは不安に思いながら、庭に回ってガラス戸から部屋の中を覗こうとした。

けれど、中は暗くてよく見えない。

すると、友達が反射する光を手で遮りながら、ガラス戸にくっついて中を覗いた。

そして、何かを見たのか友達は突然その場に嘔吐した。

「大丈夫?」

「やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい」

嘔吐しながら、友達が何度もそう呟いた。

僕も同じようにガラス戸にくっつくように中を覗いた。

部屋の中には骨と皮だけになった野犬の死骸が至るところに吊られていた。

暗く見えていたのは無数に部屋を飛び回る虫だった。

込み上げてくる胃酸を我慢できずに僕も吐いてしまった。

部屋にじいさんの姿はなくて少し安心したが、僕らはもう噂どころではなくなり帰ることにした。

 

そして、庭を出てゴミ処理施設の方へ戻ろうとした時、僕らの背後から草木を踏む足音が聞こえ、僕らはとっさに振り向いた。

「じいさんかな……。早く出ないと、怒られちゃうよ」

友達の一人がそう呟き、僕らはゆっくりと後退りをした。

すると、裏庭の方からそれがゆっくりと姿を現した。

 

それは体の形状は犬のようだが、大きさがまるで違う。

まるで育ちきった熊のようだった。覆われた毛はどす黒く、胴は蛇のように長く、太い足はムカデのようにいくつもあり、尻尾の先は二つに分かれていた。

そして、何よりおかしかったのは「顔」が犬でも獣でもない人間の年老いた男の顔だった。

 

「本当に化け物だ……」

 

友達の一人がそう呟いた。

その声に反応した黒い化け物は、僕らの方に近づいてきた。

白濁した大きな目でこちらを見ている。

 

目を合してはいけない。

 

とっさにそう感じて、僕は視線を反らした。

あまりの恐怖で、僕らは叫ぶことも逃げることも出来なかった。

だが、動かずにじっとしていると、黒い化け物は山の方へ走っていった。

 

姿が見えなくなると、僕はホッと胸をなでおろしながらその場に座り込んだ。

もう一人の友達も、怖かったと座り込んだ。

けれど、もう一人の友達は目を輝かせながら、追いかけようと言った。

当然、僕らは拒否をした。

すると、友達は一人でも行くと言って、僕らの制止を押し切って山の奥へ行ってしまった。

 

僕らは幼い頃から、山の中で遊んでいる。

中で迷子になんかならないし、すぐに戻ってくると思っていた。

けれど、黒い化け物を追っていった友達はいつまで経っても戻らず、そのまま行方不明になってしまった。

そして山での不可解な事故が増え、また別の黒い化け物を探しに入った子供が行方不明になったことで誰かが言った。

「山が祟られた」と。

その元凶がゴミ処理施設だという話になったようで、話し合いの末建物は解体され更地となった。

そして、そのままじいさんの家も解体された。

すると、山での不可解な事故はなくなり、黒い化け物の噂も次第に耳にしなくなっていった。

 

だが、山へ行った子供たちは時々見かけるという。

山奥の草むらを歩く、胴の長い大きな獣のような影を。

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