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ホクロ

同僚のK君が三ヶ月の海外出張を終えて帰ってきた。

「おはようございます」

若さゆえか疲れた表情を一切見せず、相変わらず女心をくすぐる笑顔で挨拶をしてきたK君。
そんなK君のデスクは私の隣。
寂しかった空席がようやく埋まった。
挨拶と近況報告が終わると、K君は海外での生活を語りながらバッグから出した書類を整理し始めた。
ふと、私はK君の左手に目がいった。
ちょうど薬指の付け根の少し下に直径0.5ミリ程の黒いものが見えた。
シミ? それともホクロ?
凝視していた私に気づいたK君は、自分の左手を見ながら言った。

「あー、これ。やっぱ気になります? ホクロですよ」

「以前はなかったよね。気づかなかっただけかな」

「いや、俺も気づかないうちに出来ていたんですよ。こっちに帰ってくる一週間くらい前に。で、もしかしたらこのホクロ、移動してきたのかもって」

「え、ホクロが移動?」

「元々、背中にもホクロがあったんですけど。まぁ、それもいつの間にか出来ていたんですけどね。それが左手のホクロに気づいた時、脱衣所でたまたま服を脱いで鏡を見たら、背中のホクロがなくなっていたんですよ。だから、きっと移動したんだろうなって」

「そんなわけないじゃない」

「ホントなんですって。見せましょうか?」

「やめなさい」

K君はハハハと笑っていた。


その後、書類の整理を終えたK君はまた別の書類をバッグに詰め込むと、忙しなく取引先との打ち合わせに出かけていった。
営業成績もよく、部長からもとても期待されているK君は私よりもずっと忙しそうだった。
そして、私も外回りに出かけているうちに、K君のホクロのことは忘れていた。

翌日、出社してきたK君が私のデスクの隣に座った。
また何気なくK君の左手を見た時、ホクロがわずかに大きくなっているように感じた。

「ねぇ、そのホクロ昨日より大きくなってない?」

「そうですか?」

そう言いながら、K君は首を傾げた。
本人としてはそれほど気にしていないようだ。
しかし、そのホクロは日に日に少しずつではあるが、確実に大きくなっていた。
そのうち複数の女子社員からも指摘されるようになり、さすがのK君も気になるようになったらしく、除去することを決めたそうだ。

そんなある時、K君は出社早々に私の前に立ち、満面の笑みを浮かべながら左手を見せてきた。

「見てくださいよ」

すると、K君の左手にあったホクロがキレイさっぱり消えてなくなっていた。

「綺麗に取ってもらえたじゃない。痕も残ってない」

「違いますよ。病院へは今週末に行く予定だったんですよ」

「どういうこと?」

「移動したんですよ! 今朝起きたら、手のホクロが消えていたんです」

と、K君は興奮気味にそう言った。

ホクロが移動するだなんてこと、にわかには信じ難い。
かといって、あれほどハッキリとしたホクロが突然消えるなんてことがあるのだろうか。
困惑している私に、K君は左腕のワイシャツの袖を捲りあげた。
すると、二の腕の内側にホクロがあり、それは左手にあったホクロと大きさも形もそっくりだった。

「なんか不思議ですよね。まぁ、ここなら目立たないでしょうから放置でもいいかなって」

そう言いながら、K君はまるで瘡蓋を取るかのようにホクロを引っ掻いたが、その程度でホクロが取れるはずも無い。
けれど、左手のホクロが消えたことで女子社員たちからいじられることもなくなり、K君は安堵しているようだった。

それからも、ホクロは移動しながら少しずつ大きくなっているようだった。
移動する度に、K君は私に見せてくれた。
左腕の二の腕にあったホクロは右の上腕へ。
そこから右足の太腿(証言)、左足の脹ら脛、左足の裏、右腰、右胸、そして首元へと移動した。
とても奇怪なそのホクロ。
その頃には大きさも1センチを超えるようになっていた。
私はそんなK君のホクロを見るたび、何故か胸騒ぎがするようになっていた。
 

そして、それは起こってしまった。
朝、私が始業前に自分のデスクでコーヒーを飲んでいると、出社してくる社員の中にK君の姿があった。
K君は顔色が悪く、左目には眼帯をしていた。
いつもは陽オーラを放っているK君が、絶望的な暗い表情を浮かべて隣の席に座った。

「どうしたの、その目。怪我でもした?」

「おはようございます。先輩。怪我とかではないんですけど……」

「わかった。ものもらいね?」

「違いますよ」

「じゃ、何よ。見せてみな」

「いいですけど、気味悪がらないでくださいよ」

「気味悪がる?」

それがどういう意味なのかわからなかったが、K君の目を見て初めてその意味がわかった。
K君は私の方に体を向けると、周囲からは見えないようにそっと眼帯を外した。
顕になるK君の左目。
その黒目は明らかにおかしかった。
眼球には黒目が何故か二つ並んでいた。
近づいてよく見てみると、一つは正常な黒目で瞳孔があるが、もう一つの黒目にはそれがなかった。
それにもう一つの黒い部分は眼球から少し盛り上がっていて、その形は歪だった。
あまりにも奇妙な光景で、私は思わず息を飲んだ。
昨夜までは異常がなかった。それが今朝になって目の痛みで目が覚めたK君は、鏡を見て愕然としたという。
そしてすぐに首元を確認してみると、そこにあったホクロはやはり消えていたという。

K君は眼帯をつけ直しながら、ホクロが目の中に移動したんだ、と信じられないことを口にした。
だが、これまでのことを考えると……。

そうなのかもしれない。

K君はひどく落ち込んでいた。
どうやら出社前に薬局屋で眼帯を買おうとした際、店員さんがK君の目を見た瞬間、顔が強張ったのがわかってしまい、会計時の店員さんはまるで化け物でも見るかのようにK君のことを見ていて、それがショックだったという。

そして、異変が起こったのは午後になってからだった。
昼休みにコンビニで買ったお弁当を食べ終えたK君は、トイレに行くと言って席を立った。

しかし、それからいつまで経っても戻って来ず、心配になった私は向かいの席で談笑していた同僚のT君に、K君の様子を見てきて欲しいとお願いした。
T君がトイレにK君を探しに行った数分後、何やら廊下の外が騒がしくなった。
何事かと、フロアにいた他の社員たちも様子を伺っていた。
すると、廊下を数名の社員が小走りで横切った後、後ずさりをしながらT君が現れた。
そしてその後から、左目を手で押さえながら覚束無い足取りのK君がフロアに戻ってきた。
周りの社員は何事かと見ている。

K君は荒い息遣いで、「痛い、痛い」と呟きながら自分の席に座った。

「大丈夫?」

そう声をかけると、K君は私の顔を見ながら、

「先輩、目が痛いんです」

そう言いながら、押さえていた手をゆっくりと離すと、左目から出血しているようで目の周囲が真っ赤に染まっていた。

その眼球は少し飛び出していて、痙攣するように動いていた。
そして、正常の黒目ではない方の黒い部分は、まるで心臓のように脈打っていた。

「……痛い……痛い」

と蹲り、K君はそのまま倒れてしまった。
すぐに救急車を呼び、K君はそのまま病院に運ばれていった。
職場は騒然となり、私も戸惑うばかりだった。


それから一週間ほどが経ち、K君が入院する病院へお見舞いに行くことにした。
病室のベッドにいたK君は、左目に何重にも包帯が巻かれ、その姿はとても痛々しかった。
K君は左目を失っていた。
病室にはすでにたくさんの来客があったようで、豪華な花束やフルーツが飾られていた。
そして、K君は私が思っていたよりもずっと前向きだった。
体のどこにもホクロが現れていないらしく、これでまた仕事に集中が出来ると、早い復帰を意気込んでいた。
私もそれを望んでいた。

だが、その後K君は一度も職場に現れることなく退職してしまった。

ここから先は聞いた話となるが、退院日が決まった翌日に酷い頭痛に襲われたK君。
すぐに脳の精密検査をしたところ、脳内に二センチほどの腫瘍が見つかったそうだ。
医者からはそれを取り除くことは困難だと言われたが、それでもK君は諦めずに別の病院を探しているというが、K君がその後どうなったのかは私にもわからない。

 

それから二ヶ月ほどが過ぎた。
朝、目覚まし時計のアラームで目が覚めた私は、寝ぼけ眼で洗面台に向かった。
洗面台の鏡には、睡魔で体がゆらゆらと揺れている自分が映っていた。
蛇口をひねると冷たい水が勢いよく流れ、私はその水で顔を洗った。
そして、水飛沫をあげながら顔をあげた時、ふと鎖骨部分に何か黒いものが見えた。

それは今までなかったはずの、ほんの小さなホクロだった。
それを見た瞬間、私は一気に血の気が引いた。

しばらく呆然と立ち尽くした後、私はそのホクロに触れながら祈った。

「お願い。そこに留まって」と。

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