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佇む人

ある小雨の降る夜、傘を差しながら家路についていると、アパートの外階段の横に佇んでいる人影が見えた。

俺が住んでたアパートは駅から近くて便利なのだが、路地裏の袋小路のような場所にあって街灯もほとんどなく夜道はかなり暗い。
だから、例え知り合いが立っていても、かなり近づかなければその姿は見えなかった。 

ようやくその人影の正体が見えてきた時、その姿はかなり怪しげだった。
体格からみて男のようだが、全身黒いライダースーツを着ていて、小雨まで降っている暗い夜にフルフェイスのヘルメットを被ったまま。
誰かを待っているようだが、肝心なバイクが見当たらなかった。

俺は階段を上ろうとヘルメットの男に会釈をしながら前を通り過ぎた。
だが、ヘルメットの男は表情もわからず、何の反応も見せなかった。
気味が悪い男だ。
そう思いながら、俺は階段を上り自分の部屋に帰った。

ヘルメットの男はずっとそこで佇み、朝には居なくなっていた。

 その二日後。
その日も夕方過ぎからまたポツリポツリと雨が降り出し、傘を持っていなかった俺はアパートまで小走りで帰っていた。

通りから街灯に照らされたアパートが見えて来ると、また外階段の横に佇んでいる人影が見えた。
見覚えのあるシルエット。
近づくと、同じ格好をしたヘルメットの男だった。
初対面で会釈を無視された事もあり、今度は構うことなく階段を上がろうとした。

階段の一段目を上った時、くぐもった声で「すみません」と小さな声が聞こえた。
振り返ると、ヘルメットの男がこちらを向いていて少し驚いた。
ヘルメットの奥の表情は見えない。

 「何か?」

そう返事をすると、ヘルメットの男はアパートの201号室の方を指差しながら、「これを渡して欲しい」と、持っていたくしゃくしゃな茶色い紙袋を差し出してきた。

 あまり関わりたくなかった俺は、「自分で渡したら?」 と答えたのだが、男は「渡して欲しい」とまるで録音テープの音声のように繰り返し、まったく引き下がらなかった。

根負けした俺は、仕方なく男が持っていた紙袋を受け取った。
受け取って気づいたのだが、その紙袋はひどく濡れていて泥だらけ。
不審物でも入っていそうな見た目だった。

だとしたら渡したくはない。
201号室に住んでいる若い学生の女の子は、愛想がよくて可愛い。
いつも顔を合わせるたびにニッコリと笑って挨拶をしてくれるいい子だった。

「で、あなたは201号室の住人さんの何?」

彼女の為にも関係性は聞いておこうと思った。

だが、俺が顔を上げた時にはすでにヘルメットの男はいなくなっていた。
周囲を見回したがおらず、きっとまた来るだろうと思いながら階段を上った。

 預かり物はさっさと渡しておきたいところだが、201号室の彼女は学業が忙しいのかここ最近見かけていない。
台所のすりガラスは真っ暗で、試しにチャイムを鳴らしてみたがやはり留守のようだった。
仕方なく、濡れた紙袋は自宅に持ち帰り、玄関の靴箱の上に置いておいた。

それから数日が過ぎた。
201号室は留守のまま。
ヘルメットの男も、あの日以来現れなくなった。
置きっぱなしの預かり物。
中はまだ見ていない。
その泥だらけの紙袋、もう何日も経っているのに乾くことなく今も濡れたまま。
それに泥だらけで見栄えも悪い。
もう捨ててしまってもいいのではないか。
そう思うようになっていた。

そんなある日の夜、外廊下を歩く足音と共に台所のすりガラスを横切る女性の影が見えた。
すぐに隣の部屋の彼女だとわかり、急いで泥だらけの紙袋を持ってサンダル履きで外に出た。

すると、案の定201号室に入っていく彼女の姿が見え、ドアがゆっくり閉じようとしていた。

 「あの!」

声を掛けると、閉じかけたドアがピタリと止まり、彼女がドアの影から顔を出した。
その顔はまるで別人のように暗く沈んでいて、泣き腫らしたような目をしていた。

 「何でしょうか?」

 「突然で申し訳ないんだけど。あなたに渡して欲しいと頼まれたものがあって」

そう言いながら、俺は泥だらけの濡れた紙袋を差し出した。
当然、すんなりとは受け取ってはくれず、不審がっている様子だった。

「それは何でしょうか」

中身は知らないと答えた。
そういえば、俺はあのヘルメット男の名前すら知らないことを今更ながら気づいた。
彼女は濡れた紙袋を怪訝な表情で見つめている。

「あ、もしかしてストーカーに狙われたりとかしてる? もしそうなら、これこっちで処分するよ」

「あの……、一応中身を見て貰えませんか」

「開けていいの?」

「はい」

俺は彼女に頼まれ、濡れた紙袋の中を覗いた。

すると、そこには小さな白い箱が入っていて、開けて見ると桜色の宝石がついたイヤリングが二つ入っていた。
そして、紙袋の底には汚れた小さなメッセージカードがあり、そこには”𝐇𝐀𝐏𝐏𝐘 𝐁𝐈𝐑𝐓𝐇𝐃𝐀𝐘”の文字と、片隅には小さく男の名前が書かれていた。

それを見た彼女は動揺し、俺からイヤリングの入った小さな白い箱を受け取ると、それを胸に抱いて泣き崩れてしまった。

どうやらあのヘルメット男は彼女の恋人で、イヤリングは彼女への誕生日プレゼントだった。
だが、デートの待ち合わせをした雨の夜に、男はバイク事故で亡くなったそうだ。
彼女がずっと部屋を留守にしていたのも、突然の出来事に現実を受け入れられず、体調を崩して実家に帰っていたという。
彼女何も手がつかず、ずっと泣いていたという。
四十九日が間近に迫ってきた夜、彼が自分を呼んでいる夢を見た彼女は、何となくアパートに戻ってきたという。

俺はヘルメットを被ったライダースーツを着た男から、その濡れた紙袋を渡されたことを伝えたのだが、そうなると俺の前に現れたあの男は、すでにこの世の者ではなかったということになる。
俺は幽霊なんて信じていないが、彼女はそれが彼だったと信じているようだった。
別れ際、挨拶を交わした彼女に少し笑顔が戻ったのは救いだった。

それから数ヶ月が経ち、俺は近々引っ越すことになった。
雨の夜に現れたヘルメットの男は、あれから一度も目にしていない。
だが、201号室の彼女はあの日以来、雨が降ると傘を差しながら階段の横で佇んでいる。

彼のことを、ずっと待っているそうだ。

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