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搬送者

その日、夜遅くに帰宅していると、自宅のマンションの前で一台の救急車が止まっていて、
周囲を赤色灯が照らし、暗い夜道にもぼんやりとした赤い光が漏れていた。救急車はエンジン音がするものの、運転席にも車内には誰もいなかった。きっと急病者を迎えに行ったのだろうと思いながら、私は階段で二階へ上った。

廊下を進み、自宅の玄関前で鍵を探している時だった。
一階の方からドン、ドン、ドンという何かを叩くような鈍い音が聞こえてきた。
その音が気になり、二階の手すりから身を乗り出して一階を見下ろしてみると、救急車の後部ドアのガラスに内側からへばりついている老人がいた。
救急車の後部ドアが開かないのか、必死でガラスを叩いていた。

救急車の中には誰もいなかったはずなのに……。
 
よく見ると、老人の顔は青紫色に肥大しているように見えた。
生きている人の顔色には見えなかった。
老人は悲痛な面持ちで何か叫びながらガラスを叩き続けているが、その声は私には聞こえなかった。

 不意に私はその老人と目が合ってしまった。
すると老人は今まで以上に何度も何度もガラスを叩きながら、何かを叫んでいた。
声は聞こえなかったが、何となく私には「助けてくれ」と言っているように感じた。
しかし老人は泣き崩れるようにして、後部ドアから見えなくなった。

その時、一階のエントランスの方から足音が聞こえた。
見れば、中から三人の救急隊員が担架におばあさんを乗せて出てきた。
救急隊の一人が救急車に駆け寄り後部ドアを開けた。

しかし、へばりついていた老人の姿はなく、出てくる様子もなかった。
救急隊も何事もなくおばあさんを乗せた担架を運び入れていた。
そして、二人の救急隊と後から追いかけてきた家族らしき中年女性が車内に乗り込み、残った一人の救急隊が運転席に乗り込むと、救急車はサイレンを鳴らしながら行ってしまった。

あの老人は後部ドアが開いたにも関わらず、結局外に出ては来なかった。
老人は一体何者だったのか、わからずじまい。
遠ざかるサイレンの音と赤いランプを見送りながら、私は思った。

もしかしたら、かつての搬送患者だったのかもしれない。
もしかしたら、あの中で亡くなってしまった搬送患者だったのかもしれない、と。

 搬送された患者の未来は人それぞれ。

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