見出し画像

錆びた郵便受け

私は幼い頃、諸事情で兄と共に祖父母と団地で暮らしていた。
昭和の半ばに作られたというその団地はとても古くて、外壁は黒く汚れていて、コンクリートの階段は所々欠けていた。エレベーターなど当然なかった。
天井は低くて、部屋も手狭。
部屋数も少なく、私と兄は一つの部屋で寝起きを共にしていた。
それは祖父母も同じだった。
電気を付けていてもどこか薄暗くて、夜中のトイレは怖かった。

兄は中学を卒業すると寮のある高校へ進学し、団地を出ていった。
一方私は、就職を機に一人暮らしを始めたのだった。

それから数年が経った頃、祖父が突然亡くなった。
病気を患い、治療するまもなくあっという間に亡くなってしまった。
団地には祖母が一人残された。
当時8割ほど埋まっていた団地の部屋も、その頃には一割ほどになっていた。
高齢だった人達はいつの間にか亡くなり、若い人達は以前団地の建て替えの噂が出た時に、みな引っ越してしまったようだ。
ただ、実際には建て替えの計画は進んでいない様子だった。

祖母を一人残すわけにはいかず、かといって出張の多い兄には頼めず、私が住んでいたマンションに同居を提案したが、祖母は首を縦には振らなかった。
順番だから。
と祖母はポツリと言ったが、きっと思い出が詰まったこの部屋を出ていきたくないのだろう、と私は思い、仕方なく私が団地へ戻ることになった。
祖母は足腰も丈夫であったから、世話がかかることはなかったが、天井がさらに低く感じて圧迫感はあの頃以上だった。
団地はますます老朽し、住人もほとんど居なくなり寂れていた。

団地で暮らすようになってひと月ほど経った頃だった。
その日は残業で遅くなり、駅に着いた時には0時を越えていた。
静まり返った住宅街を抜けると、月夜の下で古い街頭に照らされた団地が不気味にそびえ建っていた。
階段を上ろうとした時、ふと郵便受けが目に入った。
階段横に並んだ縦長の郵便受け。かなり古く、表面の塗装は剥がれ錆びている。
いくつかの表札には名前が書かれ、その中に私の名前もある。
既に空き家となっているいくつかの表札は黒く塗り潰されていて、投函口には郵便物が入らないようテープが貼られている。
しばらく開けていなかったせいか、投函口からは旨そうな寿司のチラシが舌を出すように垂れ下がっていた。
鍵を開ければ案の定、チラシばかり。
大事な郵便物など一通もなかった。
チラシに嫌気を差しながら取り出そうとした時、郵便受けの天井に指をぶつけた痛みでとっさに手を退いた。
すると指先には赤錆と血が少し滲んでいた。
痛みとチラシに苛立ち、私は思い切り郵便受けの扉を閉めた。

その時、左上401号室の郵便受けに貼られたテープがペロリと剥がれ落ちた。
そして、その扉がゆっくりと錆びた金属の音を立てながら開いた。
私はびくりと驚き、生唾を飲み込みながら開いた郵便受けの中を覗き込んだ。

すると、真っ暗な郵便受けの中に艶やかな黒髪の若い女の頭が、まるで無理やりねじ込まれたようにみっちりと入っていた。その顔は青白く、目線はじっと前に向け、口元にはうっすら紅を差して微笑んでいた。

生首かと思った私は、驚いて腰を抜かした。
どうやら人形のようだが、それはとてもリアルだった。
どうしてこんなものが郵便受けに。
そんなことを思いながら立ち上がった時、前を向いていた女の目線がこちらを向いた。
私は全身の毛が逆立ち、無我夢中で階段を駆け上がり、そのまま部屋に逃げ込んだ。
真っ暗な部屋の中で自分の鼓動だけが響いていた。

翌朝、郵便受けを見に行ってみると、401号室の郵便受けには投函口と扉の四隅に何重ものテープが貼られていた。
それを剥がしてまで中を覗く勇気はなかった。

それから少しして祖母も病気で亡くなり、私は部屋を引き払った。
今でもその団地は建て替えられることなく、あの場所に存在している。
ただ、そこで暮らしているのは残り後一軒ほどだという。


よかったらサポートお願いします(>▽<*) よろしくお願いします(´ω`*)