感染症や災害時にデマはなぜ広がるのか(明治期のコレラ騒動より)

唐突に休校要請を行ったり、経済対策に現金給付ではなくクーポン発行を検討したりと、新型コロナウイルスへの政府の対応に賛否が巻き起こっている。

実は、明治期に爆発的に流行し、37万人の死者を出したコレラのときも、やはり政府への不満が爆発していた。このときは暴動にまで発展し、暴徒と化した民衆が、警察署や病院を襲撃。デマを流された人は撲殺されるなど、死者が出る騒ぎにもなった。

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コレラは、19世紀初期から20世紀初期にかけて、世界的に流行した。コレラに感染すると、激しい下痢と嘔吐が始まり、やがて全身痙攣を引き起こす。

死亡率も高く、ころりと死んでしまうことから「コロリ」と呼ばれて恐れられたコレラ。江戸後期から猛威を振るい、明治時代に感染のピークを迎えることになる。

江戸でコレラの感染が広がり始めたのは、幕府が日米修好通商条約に調印して国交が始まった頃だ。江戸だけで3~4万人に上る死亡者が出たともいわれているが、それは序章に過ぎなかった。

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