本を読む。本を読む。そして本を読む。

本格的にライターのお仕事をするようになって、読書量が増えました。
アウトプットをするには、良質なインプットが必要だと体感したので。

そう、体感なのです。

結構初心者ライターさんで、「正しい日本語が書けない」というところで躓いて相談をされる人がいるのだけれど、正しい日本語を書くには二つ方法があって、
一つは「正しい日本語を読むこと」
もう一つは「正しくない日本語を読まないこと」

つまりは商業出版されている小説あたりを読んでおけば綺麗な日本語が自分の中に蓄積されていくし、web小説や個人ブログみたいなのを自分の中から排除していけば、間違った日本語が蓄積されていくことはない。

言語の習得って触れることで身についてしまうから。
間違った日本語を習得してしまうのは、間違った日本語に触れてしまうから。

高校生、大学生くらいの頃に携帯小説が流行って、自分でも書いたし気に入ったシリーズは更新を楽しみに読んでいたけれど、気が付いたらみんな同じような日本語の間違いをするようになっていて。

じわじわと伝染するんだよね、日本語の間違いが。
なんとなくそれに慣れちゃって、違和感を覚えなくなって。

単純な流行り廃りで携帯小説の世界からは離れたけれど、離れられて正解だったと思う。
初心者の書く小説は、web小説からの書籍化とかも含めてなるべく読まないようにしている、今は。

っていう説教みたいな話をしたかったんじゃないんだよ。書き出しのノリを完全に間違えたね。

単純に最近小説を読むのが楽しくて楽しくてたまらないっていう話をしようと思っていたのだった。

本は私の精神安定剤

私が読むのは基本的には小説が多いけれど、稀に友達の薦めでエッセイを読んだりもしている。
朝井リョウの「時をかけるゆとり」は常時面白くて、マスクをしていなかったら不審者になってしまうレベルで笑ってしまっていた。

ちなみにこの本は読書の趣味からマブダチになった友達が「私と笑いのツボが一緒か確かめたくて」っていうメンヘラな理由で薦めてきました。
笑いのツボがちゃんと一緒で良かったです。
これで笑えなかったら友情にヒビでも入っていたのかな……。

下品なネタも相当入っているので読むのには若干の覚悟がいると思うのだけれど、私と笑いのツボが一緒か確かめたい人はぜひ読んでみてください。
私はすっごく元気が出ました。

うん、こんな感じでマブダチから薦められた本と、自分で読みたい本と交互くらいのペースで読んでいます。
読める日はなるべく一日に一冊。
読めない時は数日かけて。

インプット量が多くなればなるほど、アウトプットのスピードが速くなるから、実は読書タイムを取る方が仕事の進みも早いという面白現象が起こっています。
しかもクオリティも上がる。当社比だけど。

もちろん小説を読むのは、仕事のためだけじゃない。
むしろ自分のため、の方が圧倒的に理由としては大きい。

本の世界に没頭している間って、精神が凪ぐんだよね。
この世と私の間に目に見えない膜が張って、私は本の世界にいる。
そこには何の苦しみもなくて、ただ物語の中のできごとに気持ちを揺さぶられている。

苦しいシーンもあるよ。
悲しいシーンもあるよ。
「君の膵臓をたべたい」を読んだときなんか、そろそろヒロイン死んじゃうかなって思い始めたあたりですごくドキドキしていたし。

でも、本の中の苦しみも悲しみも、現実の私の苦しみでも悲しみでもないんだ。
あ、さすがにヒロインが死んだらちょっと泣く。現実でも。

でもなんだかこう、すっきりとした涙なんだよね。
たぶんサウナで汗を流すのと同じ感覚なんだと思う。

他人に丁寧に感情を並べてもらって、他人の導きのままに感情を発散させる。
ちょっとしたセラピーか何かなのかな、読書って。

しばらくメンタル的に不調な時期が続いていたのだけれど、集中して読書をする、を意識した途端に心が元気になった。

誰にでも効く薬ではないかもしれないけれど、私には読書は一番の精神安定剤なんだと思う。

小説の世界はいつも何かしらの気づきを与えてくれる

「教訓のない文学は文学とは言わない」
というような言葉を好きな作家さんが言っていたような気がする。
「救いのない文学は文学とは言わない」だったかもしれない。

救うために書いて、救われるために読む、そんな作家さんは多い。

「小学校の頃は友達がいなくて、休み時間は読書をしていました。一番の友達は小説でした」
っていう作家さんは、珍しくない。
辻村深月とかもそう。

そういう作家さんの書いた小説は、読み終わった後にストーリーだけじゃなくて、何かしらの教訓が心に残る。
生きていくために大切なことを教えてくれる。

生きるって、人と関わっていくことなんだ、とか。
人を助けることって、回り回って自分のためになるんだ、とか。

努力は決して裏切らない、なんてその言葉単体で聞いたら薄っぺらく感じる言葉も、物語の中で伝えられてしまえば、「あぁじゃあ私も頑張ってみよう」って思ってしまう。

もちろん、どの小説にも教訓があるかといえばそうじゃないと思う。
私が見つけられないだけかもしれないし、作者さんがそこは重要視していないのかもしれないし。

単にエンタメであることが大切だという価値観だって、ある。

最近はSFとミステリが好きっぽい

エンタメといえば、SFとミステリだと思う。

ファンタジーも好きなんだけれど、好みど真ん中、みたいなのがなかなかなかったり、どうしても長編になりがちで途中で脱落したりしちゃう。

その点SFとミステリは一巻完結ものも多くて、手を出しやすい。

人におすすめするのに無難なのは野崎まど。
最近だとNetflixに「HELLO WORLD」っていう野崎まどが脚本を書いたSFアニメ映画が入ったから、ネトフリ加入している人は見てみて。
野崎まどが猫を被ったら秀逸なボーイミーツガールができるんだなっていう、昔からのまどファンにはニヤニヤできる要素がある。

野崎まどは天才小説家じゃなくて「天才が小説を書いている」タイプだと思っていて、書いてるものの幅がヤバイ。鬼才。
なんでこんな発想になるのこの人頭おかしいって思いながら読まされるのは気持ちが良すぎる。読むドラッグ。

あとデビュー当時は上手いこと人気が出てくれなくて打ち切りの憂き目に遭いまくっていた作家さんなのだけど、乙野四方字先生が昔からちょっとした推し。

最近読んだ乙野先生の本がどれも良かったから全部紹介させてほしい。

これはミステリ。
死んだはずの同級生のツイッターにログインできてしまったことから始まる殺人事件と人間の歪みを書いた百合小説でもある。

謎が謎を呼ぶのに全部解決されていく様があまりにも気持ち良くて、主人公が普通の人っぽいのに一番歪んでいて、読後の達成感がめちゃくちゃ良かった。

この2冊は10月に別々の監督の手によってアニメ映画化される。
2冊でひとつの物語。
かつ、読む順序によって感想が変わる不思議な本。

一度読んだら記憶を消してもう一度読むことは残念ながら今の技術ではできないので、どっちから読むか選択したらあとは迷わずに突き進んでほしい。で、読み終わったら感想をぜひ聞かせてほしい。

並行世界モノのSFなのだけれど、読んだタイミングがタイミングだったから「あ、ブレンドコーヒーだ」って思った。

ブレンドコーヒーって、「常に一定のお店の味を作る」ために作られるけれど、スプーンで掬った瞬間にブレンドの配合はその都度微妙に変わってしまう。

ブレンド全体が世界のすべての可能性で、ブレンドのひとさじひとさじは、並行世界。
スプーンの中の配合が近ければ些細な差だし、大きく変わってしまえば味の変化としてもわかるんじゃないかな。

みたいなことを考えてしまったのは「僕が愛したすべての君へ」の方。
「君を愛したひとりの僕へ」の方は無理矢理喩えるならシングルオリジンかな。

並行世界が観測されるようになって、世界の差が小さければ朝ご飯がパンかお米かくらいの小さな差で気付かないかもしれないけれど、世界の差が大きければ、誰かが死んだり死ななかったりする。

並行世界のすべての可能性を愛するか、他の並行世界なんて許さずにひとつの世界だけを愛するか。
並行世界が観測されるようになった世界だからこそ生まれる倫理的な問い。

ふたつでひとつの作品だから、何が正解とは言わない。
けれど、たぶん読者の心の中にはこうでありたいという願いは生まれると思う。

この2冊、本当は親友同士とか恋人同士とかで読む順番を相談して、逆の順番で読んで感想会をするのが一番楽しいと思うんだよね。

でも「この人と読みたい」って人が捕まえられなかったから、我慢出来ずに私は読んじゃった。

小説版で読んでくれてもいいし、10月の映画公開を待ってくれてもいい。
今ならkindleで安くなってるみたい(2022/08/24時点の観測)。

映画見に行きたいって人がいたら、誘われたら行くかもしれない。
ので、ちょっと試しに誘ってみてください。
私はどっちの順番で見てもいいので、お任せします。

いただいたサポートで、おいしいコーヒーや気になっていたコーヒー器具を買って心の栄養にしたいと思います。