頭痛とアンパンマンの話
2021年9月17日。
たっしー28歳最後の夜である。
べ、べ、べつに自分の誕生日をカウントダウンしようとしたわけではなく!
最近「ブログ面白いね」と声を掛けられることがちょこちょこあって嬉しくなったので、次の記事を書かなきゃと思っただけなんだからあ。
褒められると調子に乗って筆が進むので、ぜひ褒めてください。笑
頭痛が当たり前になっていた
このところ、季節の変わり目で気圧変化が激しく、なかなか体調が優れない。
片頭痛とともに生きている私は、常に3種類の頭痛薬を持ち歩いている。
痛くなり始めにタイミング良く飲むと効くやつ、痛みが続く時に飲む強めのやつ、効き目は薄いけど副作用が少ないやつ。
タイミングが合わなかったりして効かない時は何を飲んでも効かないのだけれど、持っているという安心感だけでも心強いからお守りのようなものだ。
代わりに、薬ポーチを忘れるとソワソワする。
私がいわゆる「頭痛持ち」だと自覚し始めたのは、小学6年生くらいの頃。
一度痛みが起こると、こめかみや前頭部の奥の方がズキンズキンと脈打つように痛み、光が眩しくなるので薄目を開けて、振動が辛いので移動はすり足、こめかみを強く揉んだり、おでこを氷で冷やしたりしながら、同時に襲ってくる吐き気に耐えるという具合だった。
たしか生理が始まったのと同じ頃で、生理中は必ずひどい腰痛とともにこの頭痛に襲われていたから、これが生理痛というやつなのかと思って耐えていた。
中学に上がって、友達が生理痛薬として飲んでいたノーシンピュアを試してみたらよく効いたので、それから薬を常備するようになったのだが、飲み慣れていくうちに効果は薄くなった。
一方で頭痛の頻度は日を追うごとに高まり、生理中でなくても、天気の悪い日や、運動を終えて一息ついた時、集中して勉強した後、お風呂でのぼせた時、休日に寝すぎた時など、程度の差はあれ、むしろ頭痛が全くない日を探すのが難しいほど、ヤツと生活を共にするようになっていた。
小中高と無遅刻無欠席に命をかけていた私は(高3で寝坊して号泣した話は前に書いた気がする)、授業中に保健室へ行くのも1時限ごとの欠席扱いになると思っていたため、頭痛と生理痛のダブルパンチで授業どころではなくなると、
「トイレに行ってきます」
と手を挙げて、トイレ脇の女子更衣室に駆け込んで「3分だけ……」と心に決めて1人床にうずくまり、うめき声を上げながら耐え忍んだものだった。
地元のかかりつけの病院でも、市販薬よりは効くかな、というくらいの薬をもらうくらいで根本的なところは解決しなかったし、あまりに頭痛が日常になりすぎて、みんなそんなもんなのだろうと思って疑わなかった。
みんな多かれ少なかれ痛みに耐えながら生活していると思い込んでいたから、頭痛を理由に休むなんてズルいことできないと思っていたし、頭が痛いと口にすることもなかったのだ。
それが、大学生になったあたりから、どうやら頭痛がない人というのもいるらしい、と分かってきた。
実家を離れたのをきっかけに、セカンドオピニオンだ!と下宿先近くの病院で「長らく頭痛で悩んでいる」と相談すると
「肩こりしない?するでしょ?筋肉が固まってるから頭痛になるんだよ」
と言われて、筋肉を弛める薬をもらった。
が、全く効かなかった。
市販のロキソニンを常備する生活は変わらず、バレーサークルの練習後は薬と冷えピタで凌いだり、頭痛から来る吐き気に負けて通学電車を途中下車したりしながら、対処療法的に大学生活を送ったのだった。
頭痛の専門病院に駆け込む
転機は、社会人になり仙台転勤とともに訪れた。
赴任したショッピングモールの新館オープンに向けて業務が忙しくなるにつれ、頭痛の頻度がさらに増していた私は、ネットで病院を検索するうちに
『頭痛脳神経クリニック』
という病院に出会ったのだ。
初診の際、看護師さんの問診があまりに細かく的確で感動したのを覚えている。
あの日は前日から吐き気を伴う頭痛で全く眠れず、うめきのたうち回りながら夜を乗り越えて始発を待ち(救急車を呼ぼうか本気で迷った)、何とか始発の地下鉄に乗り込んでたどり着いた病院の扉の前に座り込んで、朦朧としながら受付開始時刻を待った。
朦朧とした意識の中での問診だったにも関わらず、どんな痛みか?の表現や、痛くなる時の選択肢など、聞かれる質問が全て
「そうそう!それそれ!」
という感じで、やっと分かってもらえた……と泣きそうになった。
そのまま点滴してもらい、若いイケメンの先生に告げられた診断は『片頭痛』だった。
それから色々と調べたところによると、世間一般的な頭痛は『緊張型頭痛』というやつで、ストレスや疲れで筋肉が緊張して起こるものらしく、片頭痛とはメカニズムが違うものらしい。
結局のところ、根本的に片頭痛を治す方法は未だ無いらしく、痛くなったら薬を飲むことと、痛みの誘因となるものを把握してうまく付き合っていくことを先生から勧められた。
病院に通ううちに、開発中の予防薬の治験対象になって毎月注射を打ったりしたが、イマイチ改善は見られない。
しかし、そこで処方された薬は効き目が凄くて、未だに飲み続けている。
痛くなり始めにタイミングよく飲めると、バチッと痛みが止まるやつだ。
岩手に来てしまって通院出来なくなったため、今のかかりつけ病院で同じ薬を処方してもらうことにしたのだが、何かあったらまたあそこに行こうと思うくらい、あの病院には感謝している。
先生があんなに若くてイケメンでなかったとしても、また通いたいと思う。(蛇足)
今もやっぱり頭痛の頻度は高いけれど、最盛期と比べると、ずいぶんうまく付き合えるようになったなと感じる。
病院って、治療って、「治す」ことだけが答えじゃないんだなあ。
こどもは元気、は当たり前じゃない
今、私は小児科で働いている。
正確には、小児科に併設された『病児保育室』で保育士として働いている。
これまで、保育園やイベントでたくさんのこどもたちと触れ合ってきたが、そのほとんどの子たちが「元気」な状態だった。
これって、当たり前なようで当たり前じゃない。
子育てしたことがないので知らなかった。
こどもってこんなにも体調を崩しやすいものなのか、と。
教科書に書いてあっても、知識として分かったつもりでいても、毎週、いや、毎日のように病院に通ってくる子たちが珍しくないという事実を目の当たりにして、心底驚いた。
熱などの症状があって通常の保育園などに預けられないこどもたちが来る病児保育室だが、今週来て、復活したと思ったらまた次の週にも来たりする。
そして、熱が38度、9度もある子たちでも結構元気、ということにも驚いた。
ゴホゴホ咳をしながら、楽しそうにプラレールを走らせていたりする。
これが、熱を出した我が子のために無理やり仕事を休んで家で看病していたら、と思うと、キャッキャと遊ぶ姿を横目にどんな気持ちになるかなあ……と、世のお母さんお父さんの本音は想像に難くない。
ほんと、ご苦労様です。
「お気に入り」の安心感
一方で、どうにもこうにも機嫌が悪い子もいる。
そりゃあそうだ。
体調が悪いんだもの。
普段どんなにニコニコしている可愛い子でも、ギャン泣きで抱っこから離れず何も飲まない何も食べない寝られない、ということだってある。
そこで、病児保育士になって痛感したことがある。
「お気に入り」がある子は強い。
好きなぬいぐるみとか、安心できる毛布とか。
お気に入りのおもちゃや、キャラクターがあるだけでも。
ほんの一瞬でも、好きなもので気が紛れることは、本人にとっても、そして看病するこちらも、かなり助かる。
回復のために水分をとって、できれば何か食べて、少しでも寝て欲しいと思うのだが、断固拒否の子がいた。
お腹がすいて眠れず、さらに泣く。
の無限ループ。
水筒のお茶も拒否、お母さんが作ってくれたお弁当も要らない。
しかし、藁にもすがる思いで出したアンパンマンのゼリーを、パクッと食べたのだ。
──アンパンマン様・・・!!
と、こういうことが結構ある。
アンパンマン最強説。笑
まあ、この子はアンパンマン大好きだっただけで。
ポケモンや、すみっコぐらしや、色々あるのだけれど、市販の飲食物やお菓子とコラボすることの多いメジャーなキャラクター好きな子は、助かるなあ~と思った。
前に勤めていた園では、キャラクターものは出来るだけ使わない方針(というか、ほぼ禁止)だったし、個人的にも、いくらこどもとは言えあまりキャラキャラしてるのはなあ……と思っていた。
だから意識してなかったのだけれど、こどもに人気のキャラクターがパッケージなどに使われている商品は結構多い。
食べ物だけじゃない。
元気な時はオーガニックな感じの無地のオシャレ着を着こなしてもらうのもいいけれど、機嫌が悪い時はアンパンマンやポケモンのシャツや靴下が、やっぱり強いなあ。
やだやだ、と着替えを嫌がっていた子も、ポケモンのTシャツを見てケロリだもの。
自分にこどもが生まれたら、まずアンパンマンのぬいぐるみを買ってあげよう。
アンパンマン好きに育てよう。
と、強く思った。笑
そうだ、20代のうちに結婚して子育てするつもりだったんだ。
明日から20代最後の1年が始まるなあ...(遠い目)
ひとまず、キュンを探すところから始めたいと思います。笑
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