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菩薩たちのパーティー

伊藤マヤ 著

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 "もしもブッダと居酒屋で
  お酒がのめたなら?"

ワクワクする投げかけで始まる一冊。

興味が加速して、サンスクリット語で
いろいろな作品を読む講座に通い出してか一年以上経った。

本論の知識は、遅々として進まないが、
それでも懲りずに続けていると、何かしらの繋がりが自然に訪れるものだ。

今年初の講座が終わって、帰り支度をしていたら、生徒さんの一人が、
「本の紹介をさせて下さい!」と。

講師の先生も
「あ、そうでした!ご本人からお声がけされた方がよろしいかと思って、すっかり忘れていました。私も読ませて頂きましたが、読みやすくて大変良い内容でした。」と、おススメされていた。

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受講されている生徒さん達は、熟練者ばかり。生徒同士で和気藹々と言葉を交わすことがほとんど無く、挨拶程度の交流。

なので、そんな凄い方だとは、存じ上げずに居た。初めてお会いしたときに、少しだけ会話を交わした事があった。

ハンドパンやタブラの楽器の話をして、
インド大使館のイベント等に出られたり、
博識な素敵な方だなぁという印象が鮮明に残っている。

その後は、ほとんどお話する機会がなかったけれど、今回の告知を聞いて早速、読ませて頂いた。

ブッダに関する本は、星の数ほどあるけれど、どれも難解だったりする。
それが、どうだろう?

ニヤリとするキャッチコピーと新鮮な視点から、書かれた本作は、早く次の展開を読みたい!
と、グイグイと引き込まれた。

ブッダが自分の辿った道を旅する。

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自分が自分を見守り感じながら旅をする。
弟子の言葉や、時を超えた自分の言葉。
言葉の森。

経典に残されたものが、真実かどうかは
人間若きがいくら研究し尽くしても、本当の真理に辿り着くことは難しい。

けれど、長い年月を経て伝えられた教えはきっと、その真理に限りなく近いものなのかもしれない。

変わらず、人の心を揺さぶり、何かを湧き上がらせ、気付きを遺す言葉や教えは、
受け取る人が持っている器によって、色も形も変わるように観えるかもしれない。

その器は、自分が選んで生まれてきた、魂を納めた鉢なのかもしれない。

ずっと壊れずに持ち続けて終わるか、
ヒビが入って漏れても気がつかずに持ち続けて終わるか、壊れて、また新たな鉢を得て、全く違う何かを観て旅を進めるか。

難解な問答に執着することなく、
生まれて、生きて、終わることの旅に
大切なエッセンスを垂らしてくれる一冊。

多くを語り過ぎずに、軽快なリズムで描かれていく物語は、受け取った人が、それぞれの想いや興味を抱いて、
もっと知りたい!
と自ら学びを深めるもよし、
ふぅん、そうなんだ?
と今はサラりと通り過ぎるもよし。

私は、取り立てて、仏教を深く突き詰めたい、というワケではないつもりで居るが、何故か何かにつけて、触れたり情報が入ってくる。
都合よく、素晴らしいな!
と感覚で受け取った、何か閃めくものに導かれるまま、あまり好き嫌いを固めずに受け入れている。

面白い一冊なので、内容を詳しく書くのが惜しいので、触れないけれど、旅先の場所を表す名前のネーミングセンスや登場人物の描き方が、ポップで楽しい。
クスッとなる場面が沢山ある。

学びの種が散りばめられている。
拾って、水をやり育てるかどうかは、
読んだ人それぞれ。
 
楽しい一冊で、一気に読み終えた。
なかなか感想が纏められずに居たけれど。
出逢いに感謝。

次回の講座で著者にお会い出来たら、
伝えたいと思う。

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