判らないは判らないなりに

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久しぶりの暖かい日差しがありがたい朝ですね。
全然異業種に転職しましてまだまもないのですが、早々にして心が折れそうになっています。
入社3日目にしてコロナでリモート、実際の現場を見ることなくベテラン営業の顧客を引き継ぐことになりました。できる気がしないという段階を超えて不安で潰れそうです。
先輩方はしっかりフォローするから!と言ってくださいますが、ネガティブ思考が不安というもの抱えるとひたすらネガティブに陥ってしまうので、何を言われても残念ながら「がんばろ!大丈夫!」とはならないのですよ。
この引き継ぎ、私にとってはコロナに罹患する可能性より重く私の心にのしかかってます。

確かに、客観的に見たら、座学だけの営業の電話だけのフォローに誰が期待するかってわかり切っていることなんですが、お客様にとって新人か玄人かというのは関係ないことですしね。

この時点で私が何が苦手で怖いかっていうと、営業のロープレという、対お客様のトークを仲間内で練習する行為。ある程度必要だと理解はしているのですが、苦手で苦手で血を吐くほど嫌いなんです。
飲食店店員をしている時はお客様とお話しするのは全然平気なんですが、先輩相手の営業トークはいくら店員スイッチを入れてもなぜか苦痛なんです。

この苦手意識、遡っていって分析をしていきたいと思います。

まず苦手な理由

・照れくさい
・ダメ出しこわい

ロープレ苦手な人って大抵これだと思います。これをさらに分解していくと

・照れくさい→知り合いに失敗を見られるのが恥ずかしい
・ダメ出し怖い→失敗するのが嫌

こうなりました。要は、「失敗」が一番恐れているということです。私。
別に練習なんだから失敗が当たり前なのにね!
わかってるんだけど!

ではその失敗が怖いはどこからきているのか?
ロープレに限らず、何を思い返してもいつも、「失敗したらどうしよう」というマインドが出ているんです。失敗したら何か悪いことでも起きるんだろうか?
死ぬような失敗って早々ないですよね。社内で失敗しても最悪クビになるくらいですよ。
なのになぜ「失敗が怖い」のか。いつからそう思うようになったのか。

私が思い出せる限りで最初の「失敗怖い」は幼稚園の時。
お遊戯の時間が嫌いで嫌いで登園拒否しました。うまくできないのが嫌だったんです。そこから

「完璧じゃない」「きちんとしなければ」=失敗

という意識がありました。小さい時なので、どこかで刷り込まれた可能性はあります。

人のせいにしたいわけではないことを最初に言っておきますが、心当たりは両親です。

私は昔からよく様子とか機嫌を伺う子でした。
両親はアスリートで、いつも試合について行ったり練習を見ていたりしました。
いつも完璧を目指していく姿勢は子供ながらに気迫を感じていました。
でも試合で負けていれば完璧ではないということです。
どれだけ練習していようとも、ミス1つで勝てない世界を子供ながらに見ていました。

どうやらその記憶が、完璧=成功という方程式になり、完璧ではない=失敗という刷り込みになってしまったのではないかと思います。誰に言われたわけでもない、自分で刷り込んでしまったんです。

年齢一桁の頃の刷り込みが、いい大人になっても引きずっています。
頭でわかっているのに失敗が怖い。
完璧なんてそうそうできないし、失敗してもいいのに。

原因が分かったのなら次にどうやって解消するかです。今はまだ解消できてないので、いろいろ試している段階です。

・本当に苦痛を伴うけど、無理やり失敗(完璧ではない)状態を周りに晒して、誰も気にしないんだ、大したことじゃない、という事を学習する。

今はこれを試しています。マジ辛いです。
毎日何処かから飛び降りたいほどしんどいですが、そういう状況になってしまったのでやらないわけにはいきません。

神様がくれた試練のハードルが高過ぎくんじゃないですか?

明日もその試練の日なんですが、正直しんどいです。でもこれをクリアした先に何が起きるのかも気になります。
人付き合いが苦じゃなくなったりするかな?

まとめると、ただ一方的な苦手意識にはどこかトラウマの原因があるということ。
それを解決しない限りどれだけ避けても同じ状況が巡ってくるということです。
怖くても一個ずつ原因を究明して解決していくこと。
これが人間を鍛えていくことになるんじゃないだろうか。

ということです。

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