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あとがき05:仙石線を墓碑にした男。山本豊次の生きざま

仙石線の前身、宮城電気鉄道をつくった男の話

先日の冬コミの新刊「仙石線・仙石東北ライン 海風回廊64.0」のあとがきを連載でおとどけします。今回は仙石線の前身、宮城電気鉄道をつくった山本豊次氏の生きざまは大河ドラマにできるレベルなんじゃないか、というおはなしです。

東京大学理学部出身、化学専攻

仙石線の前身、宮城電気鉄道という会社の初代社長は山本豊次という人物です。彼は山口県生まれ、学生時代は東京大学の理学部で化学を専攻し、卒業後は中国大陸の学校で働いていたといいます。ここまでの経歴からは、東北地方とも鉄道会社とも全く縁が無いように見えますが、彼の人生の転機となったのは、中国から帰国した後のこと。1912年に宮城県栗原郡の細倉鉱山に技師として招聘されたことがきっかけとなっています。

細倉鉱山は古くから鉛の鉱山として知られていましたが、明治以降は鉛と同時に産出される亜鉛に注目が集まっていました。しかし、現在のような精錬方法は確立されておらず、一方で亜鉛は薬莢の材料として軍事的な需要が高まっていました。そこで豊次は亜鉛の精錬方法の開発に取り組み、その結果、純度99.97%という高品質の亜鉛を作り出すことに成功します。豊次が作り出した亜鉛は軍による評価も行われ、お墨付きも得たのだといいます。

ちょうど世の中では第一次世界大戦が勃発した時期で、イギリスからの亜鉛の輸入がストップしていました。そのため、豊次は軍に亜鉛を供給するために大規模な精錬工場を建設しようとします。しかし、亜鉛の精錬には大量の電気が必要でした。そこで豊次は江合水電という水力発電所と契約を結んで、亜鉛の大量生産に備えることにしたのです。ただ、江合水電はまだ完成していない発電所だったため、暫定的に猪苗代の水力発電所の電力を利用することにし、福島県内に工場を建てて当面の需要に応えることにしました。

電力余りと資金不足

ところが1918年に第一次世界大戦は休戦に入ると、亜鉛の需要は無くなってしまい、一方で1919年に江合水電の発電所が完成したことで、相当量の電力が余ることになります。しかも細倉鉱山は江合水電から10年間にわたってすべての電力を買い取るという契約を結んでいたため、豊次はこの余剰電力の始末に奔走する羽目になってしまいました。

まずは仙台市内に紡績工場を建てたものの、まだまだ電力は残っており、更なる消費先が必要となっていました。そのとき豊次が注目したのが電気鉄道事業だったのです。こうして、化学専攻出身の技師、という異色の経歴をもつ鉄道会社の社長が誕生したのです。1922年9月9日、仙台市公会堂で会社設立総会が開かれ、宮城電気鉄道(宮電)はその第一歩を踏み出しました。

ところが、宮電はなかなか出資者が見つからず資金集めに苦戦します。さらに1923年4月26日には細倉鉱山で大火災が発生し、鉱山は操業停止に追い込まれてしまいました。そこに追い打ちをかけるように1923年9月1日には関東大震災が発生し、細倉鉱山の親会社である高田商会の本社も被災。加えて震災後の経済の混乱によって高田商会は破綻してしまいました。こうして、株主が集まらず、設立母体は操業停止、その親会社は破綻、と、次々と後ろ盾を失った宮電は、営業開始前にもかかわらず存続の危機を迎えてしまいました。数年前に電力の売却に奔走した豊次は、今度は資金調達に奔走する羽目になったのです。

紆余曲折を経て、藤本ビルブローカー(大和証券の前身)の仲介で日本生命からの融資を受けることが決まり、ひとまず資金の問題は解消したものの、今度は1927年からの昭和金融恐慌の影響を受け、5年間にわたって無配当という厳しい経営が続きました。

一方、別の記事で触れた通り、開業直後の宮電は需要予測を大きく見誤り、仙台寄りでは輸送がひっ迫し、石巻寄りでは需要が低迷していました。豊次は、資金繰りが苦しい中で正反対の課題を抱えた路線を経営するという難しいかじ取りを迫られていたのです。

結論から言えば、仙台寄りの輸送力増強に関しては資金難が尾を引いて大した対策を取ることが出来ませんでした。一方、石巻寄りの需要の掘り起こしに関しては宮電は色々と興味深い施策を行いました。ここでは宮電の利用促進策についてみていきましょう。

先達に倣え

宮電が利用促進策として特に力を入れたのは、観光開発、しかも松島海岸駅(当時は松島公園駅)と野蒜駅の2駅の周辺でした。それぞれ何をしたかというと・・・

・松島公園駅前に遊園地を建設し、食堂や劇場を併設する。高村光雲に依頼して仏像を作り、駅の近くに設置する
・野蒜は海水浴客向けの休憩所やバンガロー村を建設し、夏場に臨時列車を走らせる。のちに駅名を「東北須磨」に改める
・野蒜からは船を手配して大高森へ向かう観光ルートを整備し、セット乗車券を販売する

といった具合で、王道な手法ながらも積極的な策を打っていたことがわかります。

ところで、「遊園地、食堂、劇場」という組み合わせを聞いて、何か引っかかった方もいらっしゃるかもしれません。そう、関西の阪急が宝塚に建設していた施設がこの組み合わせでした。宝塚には食堂や劇場は1910年代から存在していましたが、遊園地ができたのが1924年のことで、宮電が松島を開発する直前です。要するに宮電は直近の事例を忠実に再現した、といえます。

そしてなんと、宮電には実際に阪急の創業者・小林一三が訪れて現地指導を行ったという話も残っています。単に手法が似ているだけではなく、きちんと教えを乞うていた、というところがポイントかなと思います。

思い返してみれば山本豊次という人は技術者で、鉱山にいた時も先行事例を研究して、それをもとに純度99.97%の亜鉛を作った人です。ただ、化学というのは先行事例通りにやったとしても、先行事例で使った材料と手元にある材料との微妙な違いなんかでうまく再現できないことも多々あります。豊次はきっと手直しを繰り返して純度99.97%に漕ぎつけたはずです。そして、おそらく宮電でも、阪急の模倣だけではなく現地にあわせた手直しをしたんじゃないかな、と思います(ここは調べ切れていないので推測です)

理想は高く、足は地に着けて

一方、野蒜では別の興味深い話があります。宮城県公文書館が保管している「野蒜海岸土地借用払下願関連書類」という公文書の綴りによれば、実は宮電が当初計画していたルートでは野蒜は通過せず、陸前富山-陸前小野間は内陸部を直線的に通るルートが想定されていたようです。しかし、周囲の町村から海岸回りに変更するようにとの意見書が出され、県もこの案を推し、これを宮電が受け入れる形で旧線のルートに落ち着いたのだそうです。

さて、この地元から出た意見書には野蒜を経由する利点として、「貨物の利用が見込めること」と「観光地としての開発に向いていること」が挙げられていました。そう、野蒜を観光地として開発するアイデアがこの意見書に出ていたのです。そして別の書類には宮電がルート変更を受け入れた理由が掛かれているのですが、そこには「遠回りすることで建設費や維持費が増えるが、観光開発で得る利益で埋め合わせができる」と書かれていました。つまり、宮電は野蒜で観光地開発をしたい、という点だけでルートを決めたのではなく、地元からの要望を無批判に受け入れたのでもなく、増加する費用とのバランスも踏まえた判断をしていた、ということになります。

(ここまでが本文に書いてあった内容です)

ここから感想です。

豊次は晩年、「宮電はわが墓碑」という言葉を残していたそうです。この言葉からもわかる通り、豊次は宮電に並々ならぬ情熱を注いでいましたし、当時としては高規格な設備を採用するなど、高い理想を掲げていた人物だということも伺えます。しかしその一方、宮電は野蒜の一件のように地に足を付けた判断も行ってきたことも事実です。もちろんこの社としての判断が豊次だけの判断ではなかった可能性もありますが(当時の監査役の中村梅三氏は七十七銀行出身で、黒字化を実現したキーマンだったらしい)、他にも、軍部からの要求に対して、口を出すなら資金調達に協力してほしいという趣旨の発言を残していたりと、情熱だけで動いていたわけではないことが伺える逸話も残っています。この辺りはやはり、豊次が技術者出身だというバックボーンが影響しているようにも思えます。

そして、少し現代に視点を変えてみると、昨今のローカル線をめぐる問題では「工夫をすればなんとかなる」「使わないけれども気持ち的に無くさないでほしい」といった理想論だけに終始して、鉄道側に一方的に負担をかけるだけで、「じゃあ実際に誰が使っているのか」「どこから運営資金を持ってくるのか」といった地に足のついた議論が置き去りにされている感があります。野蒜のルート変更の一件のように、地元の要望を通すだけではなく、地に足を付けて鉄道側の収支の折り合いも付くような議論をしないといけないんじゃないか、と思います。

こうしてみると、豊次の半生というのは物語的に面白いだけでなく、現代にも通じるヒントがあるような気がするのです。個人的には映画かドラマの題材にしても良いんじゃないかというぐらいの人だと思っています。


と、こんな調子でしばらく「あとがき」を連載でお届けしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。なお、今作では他にも、海の波間に消えた野蒜築港とその後の近隣の港で起こった駆け引きの歴史であったり、松島が観光地になっていった歴史などにも触れつつ、沿線地域の色々な歴史を紹介しています

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1722377


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