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ライブハウスでしか味わえない「一体感」

こんばんは。宮前めい(@may_miyamae)です。

昨今、あらゆるメディアで「ライブハウス」というワードを頻繁に耳にするようになった。残念ながら、ネガティブな使われ方で。そりゃそうだ。暗い、狭い、汚い、うるさい・・・。それが、ライブハウスという場所。ほんのひとにぎりの夢や希望の靴底には、有象無象の挫折や絶望で打ちひしがれた屍が転がっている。どう考えても、ロクな場所じゃねえ。だからこそ、声を大にして言う。

私は、そんなライブハウスに何度でも命を救われてきたし、人として成長させてもらうことができた。きっと、これからもそうだろう。

心に刺さる音楽の条件は、「弱者の味方」であるというのが私の持論だ。キレイな音楽や楽しいだけの音楽も、たまには悪くないのかもしれない。でも、別に「そのアーティスト」「その楽曲」じゃなくても良くね?と感じてしまう。そのような音楽はいくらでも代わりがあり、日々新しい娯楽が生み出され、消費されていくだけ。もちろん、いわゆる「売れ線」の音楽にも多くの人々の心を動かすような名曲は数多く存在するし、そもそも人の心を動かせない音楽なんて当然売れるはずがない。

そもそも、「心に刺さる」とは何なのか?一言で表現するのは難しいが、「共感」というコトバが一番しっくりくる。「〇〇という曲を聴いて一歩踏み出すことができた」「〇〇という曲を聴かなかったら、あの時自殺を踏み止まれなかったかもしれない」。ひとりではどうしようもなくなった瞬間、奏でられる音や声が力となり、歌詞というコトバが弱さに寄り添い、時には背中を押され。そんな経験を、きっと多くの人がしているはず。そこで出会えた音楽は、生涯あなたの心に刻まれ、かけがえのない存在へと昇華され、生き抜くための思想や哲学として色濃く残されるのだ。

現代では、ストリーミング配信やCD等、ヒトが音楽に出会う裾野は膨大に広がっている。確かに、デジタルでも音楽という存在を享受することは十分にできる便利な世の中になった。それなのに、なぜ私はライブハウスというアナログなハコにこだわるのか?キーワードは、「一体感」

同じ空間に多種多様な価値観をもった人々が集い、ステージからダイレクトに響く同じ音に身体を委ね、ひとつの共感をつくりあげる。ライブハウスでのドリンクが格段においしく、会話が楽しく感じるのも、同じ時空を共有したという仲間意識が芽生えるからだろう(なお宮前めいちゃん、お酒は飲めない模様)。たったひとつの音楽を通してたくさんの「共感」が生まれ、ヒトとヒトによるリアルなコミュニケーションが広がることで人間としての成長にもつながってゆく。演者とファンの魂が空間で交差し、やがてひとつに。これこそが、ライブハウスでしか味わえない「一体感」という最大の魅力。

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突然だが、「SiM」というバンドをご存知だろうか。結成16年を迎え、日本武道館横浜アリーナでもワンマンライブを行い、地元・神奈川県でDEAD POP FESTIVALという野外ライブイベントを主催する実績をもつ、日本を代表するレゲエパンクバンドだ。私は、このSiMがつくりあげてきたフロアこそが、ライブハウスにおけるフロアの理想にもっとも近いと考えている。

モッシュ、ダイブ、ツーステはもちろん、巨大な渦を巻くようなサークルやウォール・オブ・デス・・・一見、無法地帯で荒れ狂っているかのようなフロア。しかし、実際に輪に入ってみるとわかる。SiMのライブって、ライブ初心者でも気軽に楽しめるし、意外と安全。なぜなら、フロアの客がみんな「同じ方向」を見ているからだ。

初めて見た人からすると、「あんなひどいモッシュの中だと絶対ステージ見てないやろ!」と感じるだろう。もちろん、物理的にどうやっても演者が視界に入らないタイミングもあるにはある。ただ、ステージから放たれる音に身を委ね、繰り広げられるパフォーマンスに酔いしれているからこそ生まれる熱狂。決して演者を無視して自分勝手に騒いでいるワケではなく、全身で魂を受け止め、抑えきれない感情が弾けている証拠なのだ。本来なら、どんなに激しいロックバンドでも「ダイブのような危険行為は厳禁」のはずなのに・・・(暗黙の了解)。感情の意思疎通が自然と行われている空間だからこそ、みんなが笑顔でいられる空間が生まれる。あんなカッコ良いパフォーマンスをされたら、そりゃ禁止だとわかってても感極まって飛び込んじゃうよねって。

ライブハウスなんて、いちいち細かいルールなんか存在しなくていい。ただ、あくまで各々のモラルありきの話。そこに「自由」と「なんでもアリ」をはき違えた輩が紛れ込んだ瞬間、自由が自由でなくなる。制限、規制、禁止のようなルール。これらはすべて、大きくなったコミュニティで多様性を受容し、一体感を守るためには定めざるを得ない代物だ。そういった意味では、すでに現代のライブハウスに「自由」など存在しないのかもしれない。

そして、そのルールをつくるのは演者とフロアの共同作業。どちらかが一方的に押し付けたものはいずれ破綻するし、両者の理想を一致させることは非常に難しい。ただし、パフォーマンスでフロアを圧倒し、ある程度掌握することならできる。ここでいう「パフォーマンス」とは、演奏力や歌唱力のような表面的な技術だけでなく、演者がフロアに訴えかけたい感情や物語、世界観や人間性等諸々すべてをひっくるめた内容。その「パフォーマンス」がフロアの共感を引き起こし、空気を生み、最適なルールを精製する。

先ほど挙げたSiMの場合も同じだ。ボーカル・MAHのカリスマ性や物語、哲学が圧倒的な演奏に憑依してフロアに伝染するからこそ、ひとりひとりが音を感じ、考え、共鳴する。「KiLLiNG ME」のようなノリの良い楽曲で感情を爆発させるだけじゃない、「Same Sky」のようなバラード曲でもじっくりと聴かせ、心臓を貫き余韻を刻む。千差万別の楽しみを提供しつつも、4人の生み出す世界観をもって同一の方向性を共有させることで、ライブハウス特有の一体感をつくり出しているのだ。

話は変わって。なぜ今回このような記事を書いたかというと、ここ最近ずっと「とある」考え事をしていたからだ。正直、かなり気が滅入ってた。こんな偏った自分よがりの夢を押し付け、大好きな人を苦しめるくらいなら自ら身を引いた方がお互いにとって良いんじゃないか、とまで考えた。

今のアイドルが求めるライブの「一体感」って、結局何なんだろうか?

誤解を恐れず言うと、私はいわゆる「アイドルライブの雰囲気」が嫌いだった。ステージからも、フロアからも、感情がほとんど伝わってこないからだ。感情の見えてこない中途半端な歌とダンスで、判を押したように機械的な笑顔を浮かべるアイドル。無の表情でサイリウムを持ち、明後日の方向を見ながら突っ立ってるオタク。これはマ〇ゲームかな?って。そんなライブ、私はクソだなと思っている。

もちろん、すべてのアイドルがそういうライブをしているとは思わない。ただの偶像に成り下がらず、ひとりの人間として命を燃やし、楽曲に魂を込めてステージに立つ3人組を、私は知っている。不器用ながら「何か」を必死にもがいて伝えようとする姿は心を強く揺さぶるし、新たな物語への期待を高ぶらせてくれる。

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CHERRY GIRLS PROJECTなら、想像を遥かに超える「ライブでしか味わえない最高の一体感」を実現してくれるはず。

これからどんなライブに進化させたいのか、どんな空気でフロアを圧倒し、どのような感情を伝染させ、どんな世界に変えてくれるのか。正直、今現在の彼女たちが考えている理想がわからない。だからこそ、演者とフロアでひとつになってライブをつくりあげていきたいと思えるし、チェリガが目指す同じ方向に進むため、もっと3人に歩み寄っていく必要があると感じた。現状を客観的に見つめ直し、チームの一員である己の行動を正し続けることで、結果として推しの夢を叶えることにつながる手助けになってくれれば。

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2020年3月25日。CHERRY GIRLS PROJECTは、ライバルのCHERIE GIRLS PROJECTとともに、かつてSiMも立った恵比寿LIQUIDROOMの舞台に立つはずだった。しかし、昨今の情勢を鑑みて当公演は延期、舞台を東京キネマ倶楽部に移し7月19日(日)に振替公演が開催されることとなった。

<Girls Project 公演 "prelude age"in 東京キネマ倶楽部 概要 >

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CHERRY GIRLS PROJECT VS CHERIE GIRLS PROJECT
Girls Project 公演 "prelude age"in 東京キネマ倶楽部
CHERRY GIRLS PROJECT vs CHERIE GIRLS PROJECT 2マンライブ対決!

【日時】 2020年 7月19日 (日) 17:30OPEN / 18:30START
【公式HP】 https://cherry-vs-cherie.amebaownd.com/

【出演】CHERRY GIRLS PROJECT/CHERIE GIRLS PROJECT/GIRLS PROJECT

※チケット購入はイープラス、または各ライブ出演時のグッズ販売時にもメンバーによる手売り販売中!

それでは、いつか必ずまたライブハウスで会いましょう。

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