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人は一人では生きられないぜい

もっと事務担当者を敬え、バックオフィスに尊敬を、と言いたいのではなく、自分たちが快適に生活できているのは、税務があってこそ。それを担う事務担当者がいてこそ。そこに思いを馳せている人が、あまりに少ない気がする。

逢坂さんのように、デジタル化の歴史を身をもって知っている人の言葉は重い。その上、税の課税の末端の、そのまた末端を任されていた人間として、今ですら役所側の苦労は察するに余りある複雑さ、わざわざ都会の業者に頼んでいた時代があったとはね…。


(「あの発言」は、結局のところ、今の与党にいる人たちは、何でもかんでも過去の与党になすりつけて、悪いのは自分じゃない誰かだと責任転嫁しても、なんの違和感もないほどに、慢心してるんだろうと思った。自分たちが野党になるなんて、考えもしないから。)

『問題点を克服して全国展開すべき』
本当に、逢坂さんの日記は同意を超えて共感することが多い。

問題点を克服してから展開すべき、で思い出したのは、前職で、慶弔金の支給にまつわる申請書類を変えることになった時のことだった。

何かしら、仕事のやり方を変えるというのは、現場に負担をかけることになることなのに、自分たちだけで、思いつきのような形で進めていいのか?とずっと疑問だった。
便利に簡潔になる変更ならば、私も賛成したけれど、全くそうとは思えなかった。そして、結局その話は、上の上のほうに話が回った結果「変更はなしで」と立ち消えた。

つくづく、嫌になった。負担を掛けたのは幸い1、2件だけで済んだけれど、現場担当のリーダーから文句を受けたのは私だ。散々やり取りして、何とか提出書類を揃えてもらって「(向こうは納得できない中で進めてくれたんだもんな…)ご苦労お掛けしてすみませんでした」と言うのは、いつも私。

会社の決まりのことなんだから、私が申し訳なく感じる必要はない、と親には言われた。
けれど、残念ながら、自分の決めたことではないから自分に責任はない、と思えるほど器用な人間じゃない。

こういう人間を自他境界が薄い、というのだろうか。何でもかんでも自分に責任があるように思ってしまうのは、いかにも生きづらさの大元って感じがする。何故なら、時々、資源を消費して自分がのうのうと生きていることにすら、申し訳なく思うくらいなので。


会社員が何も考えずに自分の担当業務に専念できるのは、事務担当者がいてこそだ。社会が回っているのだって、税務を担う多くの人々がいてこそなのだ、と痛感している。その人たちの仕事、そして、税金がなければ、道路や水道は、とっくに使い物にならなくなっている。

外食をする際に、給仕してくれる店員がいてこそ、食事ができるみたいに。既婚者多くが、家の事をしてくれる妻のおかげで、家のことは何も気にせず、仕事に行って働けているように、自分の生活を裏方で支えている人やモノや仕組みがある。

そういうことに思いが至っていない言動をする人々が、最近よく目につく気がするのは、きっと、社会が複雑になりすぎてしまったからだろう。この複雑な現代に、自分の食べた米つぶが人の手で育てられているのだ、と思いを馳せるのは、ひどく難しいことだから。


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