カミングアウトと葛藤
7月になりました。今日は、noteを始めて3周年だそうです。つまり、突然の休職から3周年。
うれしいことに、6月は、応援していたクラウドファンディングが、次々に良い結果を残しました。目標を達成したもの、惜しくも及ばなかったもの。
寄付は、自分が生きやすい社会を作る為に、今できること。
私は、今は無職の障害年金生活者、しかもLGBTQだから「なんの生産性もない人間だ、早くしんでくれ」と杉田水脈さんに言われそうな人間だけれど。それでも、自分が応援している様々な社会を変える為の活動に、少しでも貢献できたなら、幸せを感じる。
さて、下記の本ノ猪さんのnoteに引用されていた文章が、とても良かった。特に、
相手の誤りを指摘する際、そこに、今後も一緒に生きていきたいという「共生」の気持ちと、相手の気持ちを乱してしまうことへの「葛藤」があるかどうか。
元の著作は障害者についての本のようだが、LGBTQのカミングアウトに付いて回る葛藤にも通じることだと思った。
あなたの言動は誤りだと言われたら誰しも傷つく。もちろん、LGBTQが怖いとか気持ち悪いとか、安全じゃなくなると言う自由はあるけれど、それは相手を傷つけてでも口にしていい言葉なのか。
LGBTQが社会を変えるとか、危険になるとか、そんなのは、たいてい、現状の《誤った理解》に基づいていることがほとんどだ。世の中の大半を占める異性愛者のほうが、圧倒的に犯罪行為を働いている件数が多い。なんてったって、世の中の多数派なんだから。
LGBTQも障害者も、大半は、多数派に脅威を与えてやろう、などとは思っていない。今までもこれからも、大切な人と、ひっそりと生きていきたい人ばかり。
でも、声を上げなければ、困っていることは伝わらないし、一向に家族として認められないし、社会は使いづらい設備や制度だらけのまま。
だから、声をあげたり顔を出すことには危険も伴うけれど、自分の家族を守る為に、自分の人権を守る為に、顔を出して裁判費用を出してまで、訴えてる。
だれだって、必要もないのにカミングアウトをしようなんて思わない。嘘を吐き続けることに耐えられないとか、騙しているようで申し訳ない、とか。本人なりの事情がある。
当事者が目の前にいると知らずに、傷つく言葉を聞いたから、とかね。
この記事のように、笑いを取る為に、誰かを性的に傷つけても無罪を主張する人がいる。LGBTQもエイプリルフールネタにして、面白がる人がいる。
そして、それによって傷つく人のことは、たいてい、こう言って無視される。
「単なる気にしすぎ」「悪ふざけだろ」「悪意はなかった」「ただのイジり、イジメだろ」
オカマだ、オナベだ、ホモだ、レズだと蔑視されて笑われてネタにされてた時代を経て、今は当事者が顔出しで声を上げられる時代になった。
世の中には異性だけでなく、様々な恋愛をする人もいるし、恋愛しない人も、恋愛というのが分からない人もいる。
男性も女性も、それ以外を自認していても、性的欲求を持つ人もいれば、持たない人もいる。
どうか、皆さん、これからは、口を開く前に、一度考えてもらえませんか。あなたと同じように生きている自分と違う部分を持つ人をイジることが、本当に良いコミュニケーションですか。