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ぼくの問いとシュティルナーの答え④

 前回はシュティルナーの「唯一者」についてみてきました。今回は唯一者を構成する要素である「唯一性」についてみていきます。
(ぼくの問いへのシュティルナーの答えに辿り着くまでまだまだかかります。端的に言ってしまえるのですが、皆さまにシュティルナーを味わっていただきたい。もう少々お付き合いください)

 ✍唯一者の四大元素

①概念に現実的な意味を与える。
②説明不可能性。
③個体性(唯一無二かつ完全なもの)。
④自己性=エゴイズムに基づいて活動する。

 人間であること。日本人であること。男性であること。夏を好むこと。肉じゃがを作れること。声が低いこと。会いたい人に会えなくて淋しさを感じること。いずれも僕の特性です。僕がいるからこれらの言葉、概念は現実に意味をもちうるのです。現実に意味をもちうるというのは、例えば僕が「日本人です」と言えば、他者に僕を日本人として見てもらうことができるということです。「日本人」という概念に僕という肉がついてこそ、概念は現実に何かしらの具体的な変化を起こすことができる。これが①です。

 ②説明不可能性については前回(ぼくの問いとシュティルナーの答え③)詳しく書いたので省略しますね。

 ③個体性(唯一無二かつ完全なもの)についてシュティルナーはこういっています。

 「唯一者の展開は君の展開であり、私の展開であり、完全に唯一無二の展開なのだ 」
*良知力・廣松渉 編『ヘーゲル左派論叢第1巻 ドイツ・イデオロギー内部論争』御茶の水書房、1986年、48項。

 唯一者=「他ではないこの私」がまさに生きてここに在ることは、二度とくりかえしえない出来事(一回性)だという意味で「唯一無二」であり、かつ代替不可能な生あるいは存在であることから「完全」なのです。唯一者の完全さは、「完璧」を意味しない点に気をつけてください。

 「一個の人間は、何に「召命」されているわけでもなければ、何の「課題」、何の「天職」を有するわけでもない。それはすなわち、草木動物が何の「使命」を有するわけでもないのと同断だ。花はべつに自己を完成させるとの使命を有しているわけではない。ただ、花は己れの力のすべてを用いて、能うかぎり世界を享受し消尽するだけなのだ。すなわち、花は能うかぎり多くの糧を地から吸いあげ、空の空気を吸い、得られ蓄えられるかぎりの光を太陽から吸いとるだけのことなのだ」
*EE287、『唯一者』下261。

 唯一者は、自己を発揮して生きていくための必要を持っていて、その必要を満たすための手段をも持っている。個々のいま・ここを個別に生き抜いている。こうした生き様の代替不可能性から「完全」なのです。
 
 唯一性は、善悪の価値を判断する基準ではありません。「唯一性は良いものだから、唯一性を獲得できるように生きる」とはいえません。ただ僕は唯一性をもって生きているのです。また、全体にとって重要な一部分であることを前提とした「かけがえのない個体」という見方をシュティルナーは排除しています。彼が強く主張したいことは、個体の数だけ唯一者は存在し、それぞれの個体が生きている環境の多様性の数だけ生きられている事実の積み重ね、つまり唯一性があるのだということです。

④自己性=エゴイズムについては長くなるので次回に持ち越すことにします。

✍まとめ
①猫と花と虫と僕、その他の事物は、在るように生きて、在るだけ。

  では、またご縁をお待ちして。

 

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