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女神か、悪魔か。

何にでも言えることだけれど、物ごとにはたくさんの側面があって、その解釈は人により見え方により、ほんとうに様々だ。

それは、花を見てもわかる。
今日はそんなことを感じさせてくれる、ニゲラという花について。



数年前はじめてニゲラを見たときのぼくの率直な感想は、

なんと禍々しい...。

だった。
花屋さんで見かけて、思わず連れて帰ってきてしまった。
その悪魔的な表情を、もっと撮りたいと思ったのだ。



カスミソウもあわせて、暗い部屋で撮った。
近づくものを絡めとるように尖った、たくさんの細い葉。
中心部はうねるように伸びて、まるで怪物の触覚のようだ。
これまでに見たことのない花の表情。
魅力的ではあるけれど、いつも見ているにはやっぱり気が重い。
不気味な花だなぁと思ったきり、その後はしばらく撮ることも、気にかけることもなかった。


その翌年か、もう少し後か。
公園を歩いていると、ニゲラを見つけた。

あ、悪魔がいた。

ぼくはそう思った。
けれど、何かが違う。
そこにいたのは間違いなくニゲラだったけれど、前に感じた悪魔的な禍々しさは、そこには欠片ほども窺えなかったのだ。



繊細で可愛らしい、幾重の花びら。
白や青を引き立たせる、幻想的な細い葉。
その禍々しさに敬遠していた花の、なんとうつくしいこと。
見方でこれほどまでに印象が変わるのだなぁと、思い知らされた。
それもそのはず。
ニゲラについて調べてみたところ、わかったことがある。


霧のなかの恋。
草むらの悪魔。
ヴィーナスの髪。
緑の処女。


英語、フランス語、ドイツ語。
これらはすべて、ニゲラを表す言葉なのだ。


ものの見方は、ほんとうに様々だ。
これらの言葉に共通項を見出すとすれば、「妖」だろうか。
近づきがたい神聖さや畏れを感じさせるような、そんなイメージ。


女神か、悪魔か。


ふだん当たり前に接しているものやこと、あるいは人でも。
すこし見方を変えてみると、これまでうかがい知れなかった表情が浮かんでくるのかもしれない。
それを知りたいと、思うかどうかは人それぞれ。
ただ、何においても自分の与り知らない側面があるかもしれないということ。
それだけは、こころにとどめておいてもいいのではないかと思う。







※これは、というストックがなかったので、下の5枚の写真は昨日撮ったものを使用しました。
リアルタイムのものではありませんので、ご了承おねがいします。

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