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つめたい雨の隙間に。

どんよりと灰色に濁った雲は、思いきりジャンプすれば届きそうなくらい低い位置にあって、もくもくと太ったその身体を絞るように、ぼたぼたと粒の大きな雨を、無造作に地面に叩きつけていた。

身体が重い。
たくさん寝たはずなのに、疲労感はずっと前からぼくの一部であるかのように、身体から剥がれてはくれない。
雲が低いから、空が狭い。
押しつぶされそうで、窮屈で、逃げ出したくなる。
重い足を引きずるように、歩く。
怪我もしていないのに。

水たまりを避けようと、下を見て歩く。
正面から力づよい足取りで歩いてくるサラリーマンと、傘と肩が勢いよくぶつかる。
ぼくは驚いて振り返ったけれど、彼はぶつかったことすら気づかなかったかのように、ひたすらに前を向いて歩いていた。
使命感にあふれているのか単に急いでいるのかわからないけれど、こんなにも重たい雲も狭い空も意に介さずに颯爽と歩くその姿はなんだかとても勇ましくて、よれよれと歩く自分の情けなさとのコントラストがぼくの足取りをより重くしていた。


月曜日は、なんて、憂鬱な...。


ぼくは、何となくジーンズのポケットのiPhoneに手を伸ばした。
と、LINEの着信があり、ロックを解除する。
久々に見る名前と、次々送られてくる写真。
何の報告かピンと来た。

お元気?
私事だけど、6/6に無事男の子を出産しました!

ぼくの数少ない友人からの報告だった。
まだくしゃくしゃの、ちいさな赤ちゃんの写真とともに。
中学の同級生である彼女は昨年結婚して、とにかく早く子どもが欲しいと言っていた。
ぼくは1979年生まれなので、当然彼女も同じ。
なかなかリスクも高かっただろうに。
実際予定日より3週間あまり早かったそうだ。
こころ細くて泣いてしまって、生まれた我が子も小さくて、今日まで不安な日々だったと、出産の報告のあとにつづいていた。

四角い画面のなかの、活き活きとした赤ちゃんの表情に見入る。
ぼくのなかの憂鬱な気持ちはどこかへ消え去って、喜びと感動がかわりに湧き上がってきた。

瞬間。

つめたい雨の隙間にふと温度を感じて、ぼくは顔をあげた。
どんより重たい雲の切れ間から、太陽がすこしだけ顔を覗かせている。
粒の大きかった雨は線の細い優しい雨にかわり、それらが光の筋に照らされて、キラキラと光った。
雲の切れ間は拡がり、光はそのボリュームを増した。
優しい雨に光がより反射して、温度が上がる。
ぼくは思わず立ち止まって、空を眺めた。
灰色の雲と清々しい青空の、美しいコントラスト。
後ろを振り返ってもさっきのサラリーマンの姿はもう見えなかったけれど、ぼくは彼が、この喜ばしい報告を連れてきてくれた気がした。
自然と笑みがこぼれ、ぼくはそんな美しいコントラストの下を、傘を閉じ、前を向いて歩きはじめた。

太陽がさらに顔を出し、祝福してくれているように感じた。
雨はまだすこしパラついていたけれど、その光を浴びながら舞うように地面に降り立っては、すっと消えていった。

いつも寄るパン屋さんで買ったフランスパンは焼きたてで温かくて香ばしくておいしそうで、ぼくはふたたびLINEの写真に目を落とした。







<おわりに>
今日はほんとうにうれしい報告がありました。
だるい、重い。はやく帰りたい。
そんなぼくの月曜日のこころをまるまるそっくり喜びに変えてくれた、すてきな報告でした。

うれしい報告は、もうひとつ。

先日投稿した、はるさんの記事の紹介note
これはもう、ぼくなんかの力じゃありません。
はるさん、みなさん、ほんとうにありがとうございます。

男の子をもうけた彼女は今日のLINEのやりとりで、ぼくがパートナーと一緒に暮らすことになったことをとても喜んでくれていました。
しあわせの連鎖だね、と。

ほんとだね、うれしいね。
ここで感じているそんなしあわせの連鎖が、もっと広い世界に及んでいる気がしました。
それならもっと、拡げていこう。
気持ちを一気に前向きにしてくれた、そんな月曜日でした。
すこし疲れていただけで、べつに後ろ向きで迎えたわけではなかったんですけどね。

本日もさいごまでお付き合いいただきありがとうございました。
よかったらまた、遊びに来てください。






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