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コメントと帯に関するライトな考察。

だれかのnoteをtwitterでシェアする際につける短い文章のことを「帯」と呼ぶことは、こうしてnoteを定期的に更新している人たちにはもう説明の必要はないと思う。
ひとたびtwitterを開けば、思わずリンクをクリックしたくなるような、帯、帯、帯...。
とくにぼくはほぼnote関係の人しかフォローしていないので、タイムラインが帯一色になることもしばしば。
みんながみんなのnoteを推す。
これ、ほんとうにいい流れ。
というか、もう「文化」って言ってしまってもいいような気がしている。


が。
その一方で。

...コメントが減ったと思いませんか?

これはあくまでぼくの体感なのだけれど。
でね。
今日はそのあたりについて、思うことをすこし。
題して、「コメントと帯に関するライトな考察」です。
3,000字弱と決して短くはないですが、難しく書いていないので、気軽に読んでください!


最初にお断りしておきますが、これはどちらがいい、悪いとか、あり、なし、とかいう話ではありません。
帯はみんながみんなの仕事に敬意をもって接することのできる非常に有益な方法だと思っていますし、コメントは自分の気持ちを相手に伝えるために最適な方法だと思っています。



コメントと帯、それぞれの特徴

コメントと帯を併用するという人もいるけれど(ぼくもそうする)、基本的には、「これまでコメントを残していたけれど、帯にスライドするようになった」人が多いのではないかと思っている。

それぞれの特徴について考えてみた。

~コメント(欄)~
 主に自分の感想や意見を伝える行為、場所。
 文字数制限なし。
 フィールドは、相手のnote内。
 コメントの内容は、noteの作者に向けられている。
 外部への影響、外部からの反響は、大きくはない。
~帯(シェア)~
 そのnoteの内容(要約)、紹介がメイン。感想はコメントよりすくなめ。
 文字数制限(基本的に)あり。
 フィールドは、あくまで自分のアカウント。
 ツイートの内容は、noteの作者以外の人にも同時に向けられている(ことが多い)。
 外部への影響、外部からの反響は、比較的大きい。

こんな感じだと思う。
見てもらえればわかると思うけれど、おそらくは帯の方が汎用性が高い。
感想も言えるし、良記事を見つけてそれをみんなに知ってほしいと拡散することもできる。
そう。
コメントにできることのほとんどは、帯にも可能なのだ。
だからみんな、帯に流れるのではないだろうか。
これは当たり前に納得してもらえると思うのだけれど、そこにはもうひとつの大きなポイント、これこそが帯をつくる側の最大のメリット、と呼べるものがあるような気がしている。


帯の最大のメリットは?

帯の最大のメリット。
それは、推しを自分のアカウントでみんなに紹介することができる、ということだ。
これはとても魅力的なことで、それは同時に、推しを発掘した、みんなに紹介した、という、仲介者的な立場にもなるというふうに言い換えることができるのではないかと思っている(※)。

※自己承認欲求を満たしたいがための行動と言っているように読めるかもしれませんが、そのような意図はまったくありません。
良かれと思ってしたシェアももちろん(というかこれがすべてなのですが)、そこを経由する人がいる限り仲介者です。

実際にぼくはよく、だれかの帯からまだ訪れたことのない記事へと飛んでいくことが多い。
仲介してもらわなければ出会うことがなかったであろう記事を、人を、知ることができる。
記事を読んで、多くの場合、スキを押して、twitterに戻る。
そのとき、その記事に帯をつけてシェアをし、ぼくをリンクに飛ばせてくれた人には感謝の言葉しかない。
教えてくれて、ありがとう。
そんな気持ちで、白いハートを赤く染めていく。
当然、そこに信用が生まれる。
この人の帯、好きだなぁ。
そんなふうに、思うことになる。
それが繰り返され、多くの人がそう思うようになれば、その人の信用度や好感度はもっと上がる。

ということは、帯をつけるという行為及びその内容には、その人の人柄やセンスが反映され、少々語弊があるのを承知で言えば、その人の「評価」「評判」にも影響する場合があると言ってもいいのではないかと思っている。

コメントでももちろん、「この人いいこと言うなぁ~」と思う人がいる。
そこからその人のページに飛んでいくこともある。
ただ、帯の場合は、その影響力がコメントと比較してかなり大きい。
外に開かれている分、その差は歴然としていると思う。


一方、コメントだからできること。

それでは、コメントだからできることは何か。
それは、一定のボリュームのあるメッセージを送ること。
書き手に自分の感想や意見を丁寧に綴る。
だれに伝えたいか。
それは明確に書き手であって、他者の意見や評価はほぼ二の次と言っていいと思う。
コメントの方が純粋ないち読み手の感想を受け取りやすいということは、書き手にとっても明らかなのではないだろうか。


で、何が言いたいの?

結局は、TPOに応じて帯とコメントを使い分け、書き手や周りの人により的確に自分の意見や感想が届く方法をその都度見極めればいいということになる。
ここまで帯を書くことが何だかハードルの高いことのように書いてしまったけれど、もちろんまったくそんなことはない。
逆に、じゃあコメントが簡単かと言われれば、もちろん気軽に書いていいと思うけれど、記事の内容によってはいつも気安く安易に書いていいわけではないとも思う(気軽に書いて欲しいと思っていることはだいたいみんな間違いないと思う)。
もともとnoteの人たちは書くことに長けているし、その分読みこむ力もしっかり備わっている。
だからきっと、みんな帯を書くことを楽しんでいるし、書いてもらってうれしくないはずがない。
そして、冒頭にも書いたけれど、帯はすでに文化。
illyさん#おびコレ 企画も盛り上がっているし、これからもみんなで大切な仲間のnoteを、新たな発見を、帯という形でシェアしていきましょう!


おわりに( ** #手書きnoteを書こう ** 企画の宣伝含む)

長文お付き合いありがとうございました。
帯とコメントの関係、帯が流行るにつれ、気になっていました。
もちろんどちらも書き手への敬意が含まれているわけで、どちらがいいとかそんな話ではありません。
上にも書きましたが、そのとき最適だと思われる選択をしていけばいいのだと思っています。

さて。
来週月曜日、28日は、企画「 #手書きnoteを書こう 」の開催日です!

上の記事で、すでにご参加を表明してくださった皆さんをご紹介しました。
何度も書いていますが、もちろん当日飛び込みでのご参加も大いに歓迎です!
お手紙でもショートストーリーでも大切にしている言葉でも、俳句でも短歌でも、はたまた手書きの文字を添えたイラストでも。
あなたの手で書かれた、あなたの温度が感じられるもの。
文字に自信がなくたって、大丈夫。
あなたのこころのこもった直筆noteを掲載してください!
興味を持っていただけたら、ぜひ上の記事を。
募集要項も、そちらに記載しています。シェアも大歓迎です!
どうか、お気軽にご参加を。みんなで楽しみましょう!
以上、よろしくお願いしまーす!


それでは今日もいい一日に。
お時間割いていただき、ありがとうございました!





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いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。