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私たちは機会を失ったまま大人になっていく。

これはただの恨み節になってしまうのだけれど、たまにこのまま大学生活を終えてしまうことに軽く絶望を覚えることがある。

何もできなかった。大学生活、なんでもできるはずだったのに、何もしようがなかった。せめて最後の年は、と足掻いてみたかったけれど、どうやら私たちは何も得られないまま“人生の夏休み”とやらを終えることになりそうだ。

人生の夏休みってなんだ。夏休みならもっと、暇なら暇なりにできる体験や学びがあったはずじゃないか。私たちが学んだのは夜のくだらない遊び方でも、めちゃくちゃなドライブ旅行のめちゃくちゃな行程でもない。授業終了の合図きっかりに目を覚まし、退出前のチャットを残してZoomを抜ける無駄な技術だけだ。


できないなりにやれることをやればよかったじゃないか、なんてよく言うけれど、それはあまりにも無責任だ。その気力があればやっていた。だけど機会を何もかも奪われ、いつ自分が死ぬかもわからない恐怖と同調圧力に押しつぶされ、ぐちゃぐちゃな世の中とインターネットに振り回されて、暗く狭い一人きりの部屋の中で何かをやろうと思える方がすごいと思う。2020年の記憶は、私にはない。

ネット上で宅飲みしたいと呟くだけで炎上するほどの田舎だから、せっかくお酒が飲めるようになっても飲み屋に行くことはなかった。
学部のコースの交流会は全て中止になり、プライベートで話す機会を完全に絶たれた。同期たちと頭を突き合わせ、学問について語り合う時間なんてなかった。未だに話したことのない同期だっているのに。

私たちは、かろうじて画面上の繋がりを保つだけで精一杯だった。逆に言えば、今の時代じゃなかったらいったいどうなっていたのだろう。


大人たちはみんな、誰もが学生時代に体験するはずの思い出を当たり前に持っていて、それを当たり前のように振り返る。私たちにはそれすら与えてもらえなかった、という事実は、案外理解してもらえていない。学生時代は二度とやり直せないのだから、このギャップだけはきっと一生埋まらないのだろう。

たぶん、「学生時代に何もできなかったこと」をコンプレックスとして抱えたまま社会に出る人は私の他にもいるはずだ、そう思いたい。この世代にガクチカを尋ねるのは酷なのだ、だって何かに力を入れたくても、入れようがなかったんだから。

ここ最近までは穏やかな状況が続いていたものの、それもほんの束の間で。ただでさえ短い学生生活の中で、数年分の自由が奪われたのはあまりにも大きい。しかも大学生の自由なんて、成人しているにもかかわらず社会に縛られることもない、極限まで制約が取り払われた自由なのだ。

本当なら、もっといろんな場所に行って、もっとたくさんの景色を見て、もっと若さゆえの無茶ができるはずだったのに。
なんて言っても仕方ないことはわかっているのだけれど、どうしてもその思考のループから逃れられなくなってしまうことがある。どうしようもない。どうしようもないから、ただただ虚しいだけだ。

大人が思っている以上に、私たちは何もできなかった。もちろん水面下でできることをやっていた人はいるし、私だってこの状況がなければnoteを始めていなかったかもしれない。けれどそれが学生でなければできないことかと言われたら、そうではないのだ。学生にしかできないことを、私はもっとやりたかった。


さて、残りわずかな学生生活はどう過ごしたものかなどと考えつつ、曖昧な進路と先行研究の山と取り損ねた免許と睨み合う、そんな日々です。


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