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やり遂げたかったこと、天才にはなれないこと


8月最後の日、初めて小説を公募に出した。

創作大賞の作品を書き終えてすぐ、むずむずする勢いのまま見切り発車で書きだした小説。正直書ききれる自信はなかった。創作大賞のために4万字書いたばかりだったし、それとともに書くことへの執念も薄れだしていたから。

でも、書かねば、と思ったのには理由があった。その公募は、24歳以下にしか応募資格がなかったのだ。24歳、今年しかない。しかも真っ先に見つけた公募がたまたまそれだったから、何かしらの運命のようなものも感じていた。これは今、私に書けということだ、と信じることにした。

物足りない、と思っていた。どこかで変わらなきゃ、とも思っていた。私にとってそのもだついた手元を動かしてくれるのが、小説だった。エッセイでも日記でもなく、こういうときは小説じゃないとどうにもならないものなのだ、私の場合。


8月末の締切にギリギリ間に合いそうだったので、先週はギリギリ完成しなさそうだった作品を空き時間に急ピッチで進めた。原稿用紙30枚以内、ちょうど1万字くらい。ギリッッギリ規定オーバーしていたので削りたいのに、付け加えたい箇所も次から次へと溢れてきて非常に困った。1万字って書きたいことがなんにも書けない、収拾がつかない。

だけどひとまず、ひとまずは応募完了。やると決めたことをきちんとやり遂げたこと、自分の頑固さが顔を出してくれたことに今回ばかりは感謝した。

今回も夫には、締切直前に助け舟を出してもらった。完全なる皐月まう専属編集者(編集者ではない)。
私たちは天才にはなれないよね、と夫と話した。関西人のくせにオチが苦手な私は、私が天才だったならきっと衝撃的なラストを描けるのに、と嘆く。だけどそもそも物語の流れが天才のそれではない。最後だけが天才でも浮いてしまうだけだ。わしらの敵はいつだって天才よなあ、と夫が言った。

天才の物語は書けないけれど、創作大賞の作品を読ませても「まあいいんじゃない?」程度だった夫に今回「すげーいいのに!……オチの前までは」と言わしめたことは、誇りに思いたい(オチは本当に苦手です)。私は編集者としての夫を割とかなり心から信頼している。正直審査員に認められなくても、夫にさえ認めてもらえれば私は私の作品に意味を見出せると思う。


もっと早く行動に移していればと、事あるごとに感じていた。幼い頃、私はおそらく早熟タイプで、もっと早くどこかしらで何かを出していれば何らかの形で日の目を見ていたかもなあ、と意味もなく振り返ることが今でもたまにある。そこまでデビューしたり有名になったりしたいわけではないけれど、なんとなくもったいないことをしたような気分になっていた。

ところが最近はそれと同時に、でも、今この時じゃなきゃだめだったんだろうな、と考えるようになった。いつだって、やるべきタイミングで動けるように人間はできている、そんな気がする。

織田作之助が小説を公募に出しはじめたのは24歳のときだったという。まだまだ遅くない、私は決して遅すぎない一歩を踏み出した、それだけでいいじゃないか。

ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。