見出し画像

起立性調節障害奮闘記1(中1発症、現高1) 

初めに

娘は中1の時、目指していた一貫校に合格し、学校に通い始めて一か月頃から、起立性調節障害になりました。最初は起立性調節障害という言葉すら知りませんでした。初めての学校での運動会の時、徒競走で走っている時に、意識を失って倒れ、膝を大けがした時から、症状は出ていたようです。
 「なんか変だったんだけど、頭は動かしてるんだけど、足がふわってなって思うように動かなくなったと思ったら、転んだ後に、痛くて転んだって分かった。」
 と言っていましたが、その時は私も何が何やら分からずにどうしたのかな?とにかく足が酷いから病院に行こうと、病院に連れて行きました。今思えば、娘は走っている時に意識がなくなったので、手をついたり、人が咄嗟にとれるような防御する動きもできなかったのです。当時は、転んだにしてもなんでこんなに酷いことになってるの?と驚きました。血はもちろんのこと、膝がえぐれるほどの傷を負っていたのでした。

 娘が朝全く起きられなくなり、学校に行けなくなるまでに時間はかかりませんでした。なんだか今日は具合が悪いと言っている日もありましたが、学校には行っていました。その期間は1週間か、2週間か。ところが、ある日突然、娘は朝起きなくなってしまったのです・・・。揺さぶっても大きな声を出しても、娘は全く起きません。学校に嫌な人が居るのか?昨日遅くまでゲームしてたのか?等相当に問い詰めました。でも娘から帰ってくる言葉は、
 「別にそんなことない。」
(え?でもあんなに大きい声で、めちゃくちゃ揺さぶってるのに起きないし、絶対にわざとでしょ???)
最初の三日間くらいは、起きた所から、学校に通っていました。そして、ずっと頭が痛い頭が痛いと訴えてきます。そんな訴えも、熱がなかったので、仮病だろうから、すこし厳しくしないと、中学受験は適当にしたのに受験に受かったから気が抜けてるんだわ、と本気で思っていました。
 私は普通よりも、自分がものすごい朝に強いタイプ&ショートスリーパーの為、娘の状態が本当に全く理解できませんでした。しかも、自分でいうのもなんですが、当時の私は、早期教育お受験ママでした。多分普通の人が聞いたらひくレベルです。幼稚園は少人数制インターナショナルキンダーガーデン、ハイレベル小学校受験をし、地域一番校に通っていました。主人や、周りの家族全員が高学歴(東大慶応医者官僚)だったのに、自分は稼ぎは普通の人よりもいいですが、正直大したことない学歴なのでどう育てたらいいかが分からず研究しまくった結果です。子ども達は、幼稚園に入る前(なんなら胎教)から、習い事も両手で数えきれないほどにしていました。自分は大学生の時代から起業したり、副業をしたりと、かなり忙しくしていたタイプだったので、それをそのまま育児に当てはめるとそういうことになるべくしてなっていたという感じもあります。
 そういう背景もあって、娘の訴えには何か精神的な問題があり、嫌な事から逃げたいから、こんなことをしているんだと思っていました。また、私はかなり脳内が古い人間(24時間働けますかリゲインが大好き・36協定?知らねぇわの世代)で、起きてる間は稼げるけど寝てたら稼げない。仕事=娯楽、体調悪くても薬で抑えられれば全然余裕で仕事できるよね。とか思ってましたので、娘のこういった状態に対しても、どう考えても気合いの問題だろ!?と思っていました・・・。毒親とはまた違うタイプなんだと思いますが、子供にとっては毒親と同じレベル?それ以上?に大変な親だったと思います。もはや起立性×無敵親という今世紀史上最悪!と思われるパターンでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?