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遠郷

MOROHAの「遠郷タワー」という曲がとても好きだ。泣いてしまう。

私は、高校を卒業して 写真の専門学校に通う為 18歳で東京に上京した。

東京に出たいが為に、必死に大学受験を乗り越えた兄は

「簡単に東京に上京した」妹に腹を立てていた。


専門学校はとても刺激的だった。

9割が私と同じように 上京してきた子達だった。

「とにかく個性的である奴が 勝ち」

みたいな雰囲気があり 私も日々 古着屋さんを巡っていた。

2年間の専門学校生活だったけれど かけがえのない仲間に出会えた。


最初に暮らしていたのは 女子寮。

別の専門学校や 大学に通う同年代の子達が暮らしていた。

その中で、私は3人の女の子と仲良くなり 毎日のように4人で過ごしていた。

ある一人の子の部屋にはコタツがあり、週末は集まって桃鉄をしたり

漫画をただただ皆で無言で読み漁ったり。

ある一人の子が大学のサークルの先輩を好きになり

バレンタインの日に ヘアメイクの学校に通っていた一人の子に手伝ってもらい

おめかしをして出かけて行った。

「帰ってきた。集合!」という連絡が来た時は胸が高鳴り

「先輩と、、、付き合うことになった!」と報告された時は

寮長さんに怒られるほど 4人で大騒ぎした。

夏になると あえて門限(23時)ギリギリにコンビニへアイスを買いに行き

門限ギリギリでダッシュして帰り スリルを楽しんだ。

今は私以外 皆地元に帰ってしまった。


東京で初めてバイトしたのは 居酒屋だった。

18歳の私を直ぐに採用してくれた当時の店長さんには、感謝の気持ちで一杯です。

皆、一番年下だった私を とっても可愛がってくれた。

お笑い芸人さんが 調理場で働いていたので

よく2階を貸し切りにして 芸人さん達の打ち上げが行われた。

いつも最後の最後まで とても賑やかだった。

常連さんもとても多く 中には一人で来るプロレスラーさんもいた。

ある日「プロレス見たことある?」と聞かれ「ないです」と言うと

招待してくれた。行ってみるとリングサイド前から2列目。

そしてまさかのデスマッチだった。

蛍光灯の破片は飛んでくるし 血も飛んできて 泣きそうに怖かった。

それなのに 今ではプロレスが好きです。

(でもデスマッチは怖いので観に行かない)

店舗の近くの電気会社で働いている常連のおじさん達からは

お年玉をもらったり お駄賃をもらったりもした。

劇団員さん達もよく来ていて 声が低い私は

「宝塚歌劇団のオーディション受けたことある系の人ですか?」と聞かれたりした。

いろんなお客さんがいて 学校よりも居酒屋でのバイトの方が楽しかった。

まだ10代だったけれど クローズの4時(AM)まで働かせてくれた。

クローズ後は皆でお店でご飯を食べたり

お店近くのお好み焼き屋さんに行ったり。とってもとっても楽しかった。

茄子が嫌いだった私だけど 調理場の人が作ってくれた

茄子が入った賄い料理が美味しくて 茄子嫌いも克服した。

私が働いて1年ぐらい経つと店舗の建て替えになってしまい

残念な気持ちを胸に 別の飲食店のバイトに変わった。

それでも、当時一緒に働いていた人達とは今でも付き合いがあるし、今でも皆が大好きだ。


いつか母が言っていた。

「”実家”があるって羨ましい」と。

母は生まれてからずっと名古屋暮らし。

「夏休みや冬休み、長い連休に”実家に帰る”っていうの、してみたかった」と。

辛いことがあると 北の国からの純のように

「もう地元に帰ろう。帰って父の会社を手伝おう。」と思うことは多々あった。

けれど、「帰る場所がある」というのは 物凄く特別なのだと思う。

東京から 遠くはない郷だけれど

「帰る場所」はいつだって 大きい存在だ。


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