過去の殴り書き消化(2021/11/17~2021/11/21)

こんばんは。まると呼ばれている者です。このたびはnoteでの、自己開示や情報発信を行おうと思い投稿させていただきます。

このような拙い文章を読む人がいるのか分かりませんが、この文章たちも発信されずにいさせるのはかわいそうなので発信させてください。2021/11/17の日記から愚痴くさいもののように感じますが、温かい目で見て欲しいです。

加えて、大体の文章が途中で終わっていますが、それも自分自身ということで許してください。

いつかはこの文章たちも綺麗な分に書き直して昇華させていきたいな。

では、殴り書き日記(?)をご覧くださ

2021/11/17

感受性豊かな時期に旅へ出る、多感な時期だからこそ旅に出ると発言する人がいた。その方は年齢でいうと50ちかくでいわゆるおっさんに近づいている。
20代の時に旅に出た理由が感受性豊かなうちに行った方がいいという理由は、どうも後付けがましい。なぜなら、感受性は相対的なもので現状の感受性が豊かか乏しいかのケージは不明であり、今の立場から過去の自分の感受性ケージは確認できるが、低下しつつある感受性を見ないで「今感受性豊かだ!」なんて分かりやしない。
上記のことが気になり、友人に今を感受性豊かだと感じるかと質問してみた。友人は感受性を磨き続けば豊かになると発言していて、磨き続けてきたので今は感受性豊かだと感じていると最終的に述べた。主観的な意見でよくわからない。
そもそも感受性自体が曖昧で主観的な概念に過ぎないと気づいた。だから。感受性どうこう言うとのはあほらしくなってきた。
世界をこれっぽちも知らなかったあの頃は様々なことに感動をしてきたが、今ではワンピースのチョッパーが出る映画やsingという映画で登場するゴリラの親子のシーンしか涙が出なくなってしまった。こんな人間が感受性がどうこういう人を見ると妬ましく思えるからこのように文字に起こしたのかも知れない。ああ、悲しい。ああ、むなしい。
昔はたくさん感動した。昔は世界が虹色に見えた。昔は楽しかった。こんなにも昔のことを補正して語れるのに、なぜ未来に希望をもって生きていけないのか。おっさんになると涙腺が緩くなって涙が出やすくなるとはよく耳にするが、見方を変えればそれは感受性が豊かになったと捉えてもいいのかも知れない。だから、今過去を嘆いている諸君は将来年を食って涙腺が緩くなることを目標に頑張っていこうな。おしまい。


2021/11/17
奢ったときの対応がわからない。年を取り年下にご飯をおごる機会は勝手に増えて、その都度対応も身についていくものだと思っていた。しかし、現実はかわいい顔をしてへこへこしていたらおごって貰うような乞食精神が肉体をもったような生き方をしていて奢る機会を逃していった。そんな自分でもこの場合は奢るのが一般的だと思う機会がやっと回ってきた。普段は財布のひもは堅く結ばれいるが、この方と出かける時は奢らなければという思いが四肢に指示をして支払いを行う。奢って貰ったときは道化を演じることもたわいもないことだったが、奢った際にはどのような対応をすればいいかわからなくなる。


2021/11/19
面接を受ける機会が多くなっている。面接に最初要求されるのは外見から発せられる外見的情報である。それは人によって


2021/11/19
アメリカの多様性?大谷翔平がMVPになった。そのときの発言でアメリカは二刀流を受け入れてくれたというものがあった。常識外れな発想でのびのびできる環境にいたからおこなうことができたのだろうか。日本にいたときの大谷さんがどんな評価だったのかがわからないが、

2021/11/21
教育において、目的を提示しない課題は誰のためにあるのか。


ここまで読んでくれてありがとう。まだ殴り書きストックはあるから、また消化させてくださいね

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