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#自己紹介

酒場の親父の半生(長文やでぇ💦)

【2020年6月17日現在の自己紹介】・進行する薄毛に医学の力を借りて戦っている、38歳。 ・餃子をメインとした酒場の親父をしてます。 ・兵庫県尼崎市在住。同じ歳の妻と2歳の息子と同居。 ・餃子をメインとした酒場4店舗、セントラルキッチン&通販部門の工場を営む小さな会社を経営。社員は12名。アルバイト含めて約30名の零細企業。 ※2022年5月 障がい者雇用を目的としたB型就労継続支援施設「ワークスペース満太郎」を開設。 ・ここでは飲食店経営にまつわること、経営者とし

都会型貧困男が田舎で人生をリセットした話し  自己紹介

僕は2019年まで東京のイラスト制作会社で働いていました。 高卒で働きはじめた百貨店の仕事を辞めて26歳の時に幼い頃から得意だった絵を描く事を活かして東京のイラストの制作会社に就職ました。  会社は中小企業で最初の手取りは17万程度。 貯金がほぼゼロの状態で上京してきた為、東京の高い家賃を払って食費、光熱費を払ってしまえば手元には殆ど残らない状態。 しかもリア充に憧れていた僕は飲みの誘いがあればほぼ断る事なく、小遣い枠は全て飲み代に消えていき、当然貯金なんて出来ません

借金→自己破産→ヒモで、「働く」から逃げまくってきた無名作家の卑劣半生

 ご訪問いただき、ありがとうございます。天坂大三郎(てんさかだいざぶろう)と申します。年齢は42歳で、職業は一応小説家ですが、無名のため、小説家としての収入はほとんどありません。(2020年2月現在の月収30円)  はい、そのくせ、かれこれ20年以上、あまりちゃんと働いていません。「あまりちゃんと」なので、少しはアルバイトなどもしてきましたが、独身時代は、主に借金で凌ぎ、今の妻と出会ってからは、要するにずっとヒモ状態でした。だからといって、完全なクズではありません。なぜなら

自己紹介①演劇オタク少女が大学で中国語を学びゲーム開発者になるまで

はじめまして! 香港仕込みのほっこり系陰陽五行マスター・ゆみたんです。香港で陰陽五行を教えたり、個性の生かし方や人づきあいのコツをアドバイスしたりしています。 「アメリカと中国に住んだことがあって、どっちの国の言葉も理解できて、米中新冷戦の激戦地・香港に住んでいるゆみたんが、陰陽五行という東洋哲学を通して今の世界を観たらどう見えるかをつづったらおもしろいんじゃない?」 そんな友人のふとした言葉がきっかけで note を始めることにしました。 まずは自己紹介から。という

フォトグラファーになった理由。

こんばんは、フォトグラファーのくぼたです。 ウェディングやお子さん、ご家族の撮影をしているライフフォトグラファーを自称しています。 今日はよく聞かれる「どうしてカメラマン(フォトグラファー)になったのですか?」という質問にnoteという場をお借りしてお答えしたいと思います。 僕がフォトグラファーになろうと思ったのは、自身の結婚式を経験してからです。 18歳で中古のフィルムカメラを購入してからどハマりしてずーっと写真を撮るくらいには写真が好きでしたが、周囲にいるフォトグ

新卒4年目で営業からデザイナーに転職した話

文章を書くのが苦手なので敬遠してきたのですが、休業中に色々考えて自分の課題を克服したいなと思いブログを始めました。 過去の自分と同じように転職に悩んでる人や、デザイナーに興味がある人に少しでも参考になればうれしいです。 ◎自己紹介 私は1994年の早生まれで社会人歴でいうと5年目になる歳です。 大学時代は『文化構想学部』という何をしてるかわからないと言われる学部の、『表象メディア論系』というさらに何をしてるかわからないと言われる専攻で学んでました。 どんなことを学ぶか

母の死が、僕を漫画家にした。

「なぜ漫画家になったの?」漫画家になってから一番頂いた質問かもしれません。 僕の創作の原点はドラゴンボール。僕もこんな風にカッコよく絵が描きたい!と思ったことが絵を描くきっかけなので、「漫画が僕の絵の原点だから」で答えとしては合ってるのですが、 僕をよく知る人は、 でもそれだけで付属校受験を蹴って美大に進学したり 8年務めたアイスメーカーで『ガツン、とみかん』のデザインなどを担当していたのに、辞めて漫画家一本にしたり マチネの漫画版を1ヶ月半自宅に引きこもってオール

38歳からの転職活動①リーマンショック後の超氷河期で苦戦

前回からのつづきです。 印刷会社を辞めたのが2010年の1月末でした。 この時期はリーマンショック後にあたり、 デフレ不況の就職氷河期に相当する超氷河期 年齢も38歳。 普通に考えて転職活動は容易ではないと 尻すぼみしてしまうところ。 でも、私は天然なところもあって、 「何とかなる」という変な自信がありました。 それは、何度も転職を繰り返してきた事から 行動を続けていけば、自ずと道が開けると 思っていたからです。 しかし、そんな思いとは裏腹に厳しい 現実を突き付

私、僧侶。29歳。何から解放されたいかって、そりゃあ◯◯から解放されたいです。

自信を持って自己紹介できたことがありません。 私はこういう人です!(ビシッ) こういうことをしています!(バシッ) 今後はこれを目指しています!(ジャーン) こんな立派に自己を紹介できたことはなく、私の自己紹介にはいつも(一応…)という枕詞が必要でした。 (一応…)こういう人です… (一応…)こういうことしてたり… (一応…)今後はこれを目指したいなーとか… そこにあるのは、自信のなさ。 自分の僧侶という肩書きへのうしろめたさでした。 寺に生まれ、当然のように目の前