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自由すぎる発想が怖い

家族がいるのにどこかにふと飛んでいきたくなる。だから話したくなるんだって、話すことによって私がここに必要とされてるって教えてほしいし実感したんだって主人に主張した。だって、そうしないと自分がここにいてもいいのかわからなくなるから。

ここに自分がいていい理由の一つが家族で、主人で子供たちで。ただ、子供たちは主人がいればなんとかなる。だけど、私がここにいるのは主人の強い希望があるから。私を必要としてくれているから。私だって主人が必要だし、きっと一人で行ったら寂しくなる。恋しくなる。

海外旅行が好きなわけじゃない。国内旅行だって一人ではあまり行きたくない。うん、旅行が好きなわけじゃない。娯楽はただの消費みたいにしか思えないから。・・・言い過ぎかな。

もし、私が必要とされている理由がないのなら、NGOで海外で働いてくるねってでていっちゃいそう。森林再生を手伝ってくるんだ、とか難民支援、ストリートチルドレンへの支援に行くんだとか。いわゆる海外ボランティアってやつ?

あとは、海外のワイナリーのお手伝いとか。草刈りでもいいのよ。なんでも。農業の手伝いをしてくるとかね。

ただ、帰ってきたとき、私の居場所が果たしてあるのかわからないけど。家族が待っていてくれるかは、また別問題。

私の好き勝手、わがままだから待たなくていいし。申し訳ないからさ。支えてほしいと思うけど、きっと求めてはいけない。判断が鈍るから。

どうしてこんな気持ちが湧き上がってくるのかわからない。

恵まれているからかもしれない。その恩恵を他の人に恩返ししたいのかもしれない。

この前も主人にこんな話を真剣にしたら、相変わらず思考がぶっ飛んでるねって。そう言われても別に気にならないけど、毎回真剣に話し合う場がなければ私はふらっと、気球のごとく飛んでいっちゃいそうで。主人に錨の役割をしてほしい。

子どもたちが大きくなったら一緒に旅行行きたいね、とかロードバイク乗り回したいね、とかいろいろあるけど、でも、ほんと、自分がどこかに行っちゃいそうで怖い。誰かに留めてほしい。最近それが加速しているような気がする。

主人はわからないけど、私はふらっと海外旅行に一週間くらいならいけそうな気がする。派遣だからね。子供たちは学校があるけど、この体験には代えられない。

私は私。

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