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韓国映画「幼い依頼人」と日本映画「護られなかった者たちへ」を見比べて気が付いたこと

映画で、社会の底辺を描くときは、製作する側に、かなりのエネルギーが必要なのではないかと以前「護られなかった者たちへ」の映画評で書いた。
いい人なのに、何も悪くないのに、無力なだけで不幸になってしまう、そんな映画では、なんだかモヤモヤ感だけが残ってしまうと。

あのとき感じたモヤモヤ感とは何なのか。それが、この映画「幼い依頼人」を見て、わかった気がした。それは、無力で普通の人は、ちゃんと自虐するときは自虐しなければ前に進めないということだった。

<「幼い依頼人」ストーリー>
ロースクールを卒業して出世の道を突き進むはずだったジョンヨプは何度も就職に失敗し、姉の勧めで臨時に児童福祉館に就職する。ある日、継母から虐待を受けている“ダビン”姉弟に出会うが、さほど深刻に考えていなかった彼は、また来るという言葉だけを残して去る。数日後、法律事務所に就職したジョンヨプは電話を受けダビンの鼓膜が破れたことを知る。ジョンヨプは継母からダビンを引き離そうとするが、かえって誘拐犯扱いをされ、その後弟ミンジュンの死に加え殺人の被疑者とされたダビンを見て衝撃を受ける。何もかも間違った方向に進んでしまったと感じたジョンヨプは、真実を明かすため、ついにダビンの弁護士になることを決心する。

この主人公ジョンヨブを演じるのは、イ・ドンフィだ。あれ、この人、脇役でよく出てくるアクションもできる演技派俳優で、パク・ボゴムヒョンビンとも共演したことがあるし、イカ・ゲームに出ていたチョン・ホヨンの実の恋人じゃないってわかる人は、かなりの韓流通だと思う。

このイ・ドンフィが、映画の前半では、利己的で物欲に弱い弁護士の卵を上手く演じている。主人公のジョンヨブは、自分に自信がないわけではないが、屈折していていいかげんな、どこにでもいる普通の小市民である。それが、ある事件をきっかけに、正義に取りつかれたかのようになって、ヒーローへと変わっていく。このあたりの、普通の人が、一瞬でヒーローに生まれ変わっていく様を見せつけて、社会問題を扱って感動的な映画に作り上げちゃうところは韓国映画のお家芸なのだ。

この普通の人の精神面が、「社会問題」という矛盾に向きあった時、一気にヒーローまで駆け上がっていくあたりの演技を、わたしは、名優ソン・ガンホになぞらえて、「ガンホ流」と呼んでいる。(勝手に呼ぶな)
だって、韓国映画の「タクシー運転手」「弁護人」をみてもわかるように、ソン・ガンホはこれをやらせたら本当に上手いから。それは、まるで、韓国映画のお家芸を表現する「ガンホ流」の家元みたいだ。
そして、この映画のイ・ドンフィは、まるで「ガンホ流」の若頭のようであった。

ふりかえって、今の日本の映画ではこのように、主人公の普通の人を自虐的に描く手法があまりない。というか弱い。普通の人の持つ狡さやいいかげんさ、身勝手さをこれでもかと描いて、だけど、そのうえで、覚醒していく魂の高貴さを描くという風にならない。
だから、感動するまで至らずに、モヤモヤ感だけが残るのだ。

二つの映画を見比べてたとき、「普通の人は無力だがずるい」だけど「普通の人でも、たったひとりでも正義のために闘うことがある」といったような普通でない物語に、わたしは飢えているのだなと思った。

たとえば、生活保護の現場のケースワーカーはセコい小役人だったけれど、ある事件をきっかけに変わって、社会的弱者を救っていく、というような映画は日本では作られないのだろうか。たとえば、他の設定でもいい、どこにでもいるようなどうしようもない小市民ぶりをこれでもかと描いて、だけど、人は変われるんだということを見せる映画はできないのだろうか。
たぶん、今のこじんまりとした日本映画界では、内からでも、外からでも、なにかのギアチェンジがなければ、それは無理なような気がする。
そして、それは、たぶん、日本社会のあり方と同じなのだろう。



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