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華流ドラマ感想「明蘭~才媛の春」の恋愛と結婚の描かれ方(3)

 ネタバレになるので、書くのはやめようと思ったけど、やっぱりここまで観たら、自分の記録として残したくなってしまったので、書くことにする。

 あくまで、私的ドラマ論、個人的な見解です。

1. レットバトラーのような男性主人公の顧廷燁 

 ラブ史劇の男性主人公と言ったら、御曹司と相場はきまっているものの、このドラマでは、ちょっと違う。キャラクターが「風と共に去りぬ」のレット・バトラーのような、「清濁併せ吞む」ワイルドな男なのだ。
 このドラマのもとになった小説の作者も、「風と共に去りぬ」は意識して書いているような気がする。
 そもそも、顧廷燁は、生い立ちも複雑で、苦労人だから、いわゆる俺様的ツンデレではない。だから、レット・バトラーよりずっと明蘭に優しいのではあるが。

 顧廷燁のレット・バトラー感を出すために、明蘭の初恋の相手である斉衡を、アシュレ・ウイルクス風にキャラ設定している。

 明蘭は、スカーレット・オハラと違って、「能ある鷹は爪隠す」タイプだが、学問というより実学に長けているところは、スカーレットと被るかな。

 この3人は、三角関係といえば三角関係だが、ドラマ前半を「高嶺の花の理想的な男性」斉衡、後半を「荒波を共に切り開く」顧廷燁との恋模様としていることで、しっかり分けて描いている。

「風と共に去りぬ」のスカーレットは、レットもアシュレも2人とも愛するけれど、どちらの愛も結局掴めない。大きな挫折と喪失感こそが彼女の「恋愛」だった。世の予定調和に逆らい続けるスカーレットだったから。
 しかし、それでも、「また、わたしは立ち直るわ。結局、明日という日があるのだもの・・・」というラストが感動を呼んだ。

 だが、このドラマの明蘭は、どちらの愛も掴むのだった。
 まあ、身分違いの斉衡とは、結ばれなかったけどね。
 余談だが、「結婚と身分違い」って軽いテーマではない。現代だって、このドラマにでてくるような、いやそれ以上の中傷をして、いわゆる身分違いの恋(格差婚など)をつぶそうとする輩が多いのは同じなのだ。悲しいことに。

 しかし、時代は着実に変わっている。スカーレットがレット・バトラーと幸せになれる時代がきたのだ。
 私的には、スカーレットが、レットと結婚しても、結局上手くいかないのは、いわゆる目覚めた女性の宿命なのだという暗示のように感じていた。
 でも、大衆に人気の恋愛小説もその時代の影響を受けて、傾向が変わっていることを感じさせられた.


2.  日中韓の恋愛ドラマがA.S.E.A.N.諸国に与える影響

 TVドラマ制作には何かと規制が多い、特にアジアのドラマ制作をリードする日中韓では、政治的・思想的カラーについては、スポンサー筋も敏感に反応する。
 しかし、恋愛ドラマは、視聴者のターゲットを女性に向けていると思われているせいか、規制があまりうるさくないようで、面白いものが作りやすいのではないか。これも女性蔑視の裏返しなのだろうが、優秀な人材が集まって、いいものができることを期待したい。

 日中韓のドラマはASEAN諸国で人気でよく観られている。そしてASEAN諸国の女性のほうが、日中韓の女性より、総じて結婚願望が強く、熱い。

 歴史をみれば、もともと「恋愛」と「結婚」は別物だが、社会の基本単位である核家族の維持のために「恋愛」と「結婚」をくっつけた理想の形としての「恋愛結婚」ができた。
 
 だから、恋愛ドラマのハピーエンドは結婚でなければならないし、男性主人公は結婚相手として理想の男性でなくてはならないのだ。
 そして、今や、アジア女性の共通のコンテンツになった恋愛ドラマの男性主人公をみると、日中韓のドラマで描かれる理想の男性像はほぼ同じようになっている。
 日本でも中国でも韓国でも、お国柄によって、理想の男性像が変わることはなくなったのだ。韓国女性がいいと思えば、日本女性もいいと思うし、日本女性がいいと思うなら、中国の女性もいいと思う。
 理想の男性像の共通認識が、日々更新されていて、それは、ASEANにも広がっていくわけである。

 わたしたちは、ドラマというコンテンツを使って、女性の人権を尊重する優しく頼りになるパートナーとしての男性像を見ることができるのだ。


3. 明蘭と顧廷燁の子の名前「団」を深読みする

 顧廷燁は政権交代により、地位も権力も手にする。明蘭に惚れ込んで、身分違いだが、得意の権謀術数を使って正妻に娶ることもできた。
 しかし、明蘭が本当に自分を愛しているという実感が持てない。

 明蘭は、明蘭で顧廷燁に感謝はするが期待はしない。期待しすぎて傷つくのが怖いのだ。

 しかし、顧廷燁が、陰謀によりすべてを失い獄中にあるとき、明蘭はある決断をする「けして別れない、屈しない、諦めない」と、さすがにその詳しい内容はネタバレになるので書かないけど、このシーンには泣かされた。
 このシーンで、顧廷燁を演じるウイリアム・フォンは、普通に食事しながらつまり食べながら、淡々と別れ話を切り出すけれど、涙流している。対する明蘭を演じるチャオ・リーインも笑いながら悪態つくように言い返すが、静かに涙を流していて・・・二人とも演技上手すぎ。

 そのとき、明蘭が生まれたばかりの子どもの名前を「団」と付けたというのだけれど、「家族団欒の団よ」というのだが・・・

 待てよ、それは団結の「団」じゃないの。と、ここで、私的には、このように香港の民主化闘争と重ね合わせてしまうのだった。

 だすると、「知否知否応是緑肥紅痩」の紅い花と、「中国共産党」のことをかぶせていたりして・・・なんて、こういう思い込みが激しい人ほどドラマにハマりやすいのだよなあ。



 

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