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もっと早く知りたかった自分の発達障害(グレーゾーン)

これまで、モラルハラスメント、毒親と、自分自身の生きづらさについての記事を書いてきましたが、今回は発達障害について書こうと思います。


確定診断には至っていないので、手帳などを取得しているわけではないですが、過去の受診で自閉スペクトラム症(ASD)の可能性がある、といわれました。

ASDの症状は、専門のサイトを引用させてもらうと、このようなものです。

対人関係や社会的なやりとりの障害

自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害(ASD)の基本特性の一つは、「対人関係や社会的なやりとりの障害」です。

人との関わりが苦手で、場の空気を読みとり、比喩や皮肉、相手の気持ちや暗黙のルールを理解することとなどの難しさ、言われたことを表面的に受け取ってしまうなど、社会的な場面での困難さが持続することを指します。

こだわり行動

自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害(ASD)のもう一つの基本特性は、「こだわり行動」です。

物の配置、物事の順番、勝敗、自分のやり方への強い固執、興味や関心の極端な偏りなどを指します。こだわりの程度や種類はひとり一人異なります。

そのほかにも、手先が不器用、感覚刺激に過敏・鈍いなどの特性が見られることもあります。

https://life.litalico.jp/hattatsu/asd/#hattatsu-diagnosis
自閉スペクトラム症(ASD)とは?診断や特徴、子どもへの対応について

社会人になってから、何度か心身の調子を崩し病院にかかったことがありましたが、ASDの可能性を告げられたのはごく最近のことです。

上記のような典型的な、人間関係への苦手意識やこだわりの強さ、興味の偏り、感覚の偏り(視覚優位など)のほか、カウンセリングを通して見えてきた、私の生きづらさに繋がっていた『発達障害ゆえの症状』が見えてきたのです。



カウンセリングを通して分かった「これが発達障害だったの!?」という症状


間違ったことが許せない

私は、間違ったことに対して反発心を持ちやすい子供でした。
コミュニケーションに難があったせいか、「黙って正しいと思うやり方を通す」ことが多かったです。
正しいことであれば何をしても間違いないはずだと思っていたからです。

例えば、全校や学年集会のとき、出席番号順で座らなければならないところをいじめっ子が詰めて座り、私の席がなくなったとき、いじめっ子が根負けして譲るか先生が見回りに来るまで自分の席の前に立ち続けたり。

今考えれば結構おかしいですが、当時の私は大まじめで、(当時カトリック系の学校に通っていたこともあって)「同じ聖書を読んでいるのに、なぜいじめをするのだろう」「悪いことをすれば地獄へ行くのに人をいじめるなんて」「正しいことをしていれば周囲はわかるはずだ」などと考えていました。
でもそれがもとで、余計にコミュニケーションの齟齬を生んでいた気がします。正論や正しいことばかりでは回らないことは、今ならわかります

社会人になってからは、学生時代よりは多少自分の言葉で伝えることができるようになりましたが、逆に思ったことをそのまま言ってしまったり、暗黙の了解を破ってしまったりしました。
会社に勤めていたとき、「昔この会社は〇〇だった」と言った社長に対し、日報で「それって〇〇法違反ですよ」と指摘してしまったり。

振り返ればかなり病的に、正さずにはいられないというこだわりがありました
そして、一つでも、過去のことでも、正しくないことがあればその人、その組織はそういうものだ、と判断してしまう節がありました
(ヘルマン・ヘッセの小説「少年の日の思い出」でいう「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と言うことに近いかもしれません)

この性質は親に対しても同じで、「『親』なのになんでこんなことをするんだろう」と思ったり、毒親育ちを自覚した後は「親になる資格がないのに親になってしまった人間だ」と感じてしまったり。


カウンセリングのとき、過去のいじめに触れ「こんなことがあって、あの人のことを許せないんです」という話をしたとき、医者の先生は「そう思った理由はそれだけですか?」と訊いてきました。他の例がすぐに思いつかなかったこともありますが、私は「一つでも事例があれば判断には十分だ」と思っていたので、首をかしげました。
この質問が、私に発達障害の可能性がある、と判断されるきっかけになりました。


人が何を考えているのかわかってしまう

私はずっと「人が何を考えているのかわかってしまう」と思っていました

学校でいじめられていたとき、誰かが自分の悪口を言っているのが聴こえなくても雰囲気でわかってしまう。相手の表情や声のトーンの微妙な変化で機嫌を察することができる。人が自分を嫌っているのがわかる。

なので、実際にASDの可能性がある、と言われるまでは、自分に発達障害という言葉が関係あるとは、露ほども思っていませんでした。
一時は自分のことをHSP(いわゆる繊細さん)だとも思っていました。

受験期や就職期になかなか進路が決まらないとき、親の態度が冷たくなり(そう感じ)、「親に嫌われた」と思い抑うつ状態になっていました。就職後も自分を「社交不安障害」だと思い、薬をもらっていた時期もありました。


ですがそれも、場の空気や相手の気持ちが読めないゆえに「過大に妄想」してしまっているのだ、と言われました。

初めは信じられませんでしたが、先生からは、いつもネガティブな方向にばかり人の気持ちを考えてしまっている。必ずしもそう思っているわけではない、そもそも人の気持ちは外から推し量れるものではない、という視点が持てていない、という話をされ、はじめて不思議と腑に落ちました。

要するに自他境界、「自分と他者は別のものである」という視点が欠けていたのです。

思えば、カウンセリングの本などでよく見る「『嫌われているのでは?』と思う。嫌われるのが怖い」という気持ちも、自他境界の欠如を指摘されるまではピンときていませんでした。過去の私の中では、嫌われていることは可能性ではなく、確定事項だったからです。
ですがそれすらネガティブに偏った妄想からくるもので、私自身が勝手にネガティブになり、ないかもしれないネガティブを拾っているだけだったのです。(実際に虐められたことについては言語道断ではありますが…)

ただ、これについては、毒親育ちやいじめを受けた過去ゆえの自他境界のあいまいさ(自他境界を引かない相手から長年影響を受けていたこと)からきている可能性もあるため、100%ASDのせいとは言い切れません。
ですが、先生の話を聞いて初めて『自他境界を引く』という視点に気づき、そこから解毒や脱モラにもつながってきたことを考えると、あながち間違いではなかったと思います。


同じ轍を踏まない

私は、『同じ轍を踏まない』ようにずっとしていました。
ところが、その結果上手くいかない、ということがたびたびありました。

例えば、
・「父の洗濯物はプラスチック製の硬いハンガーに掛けて」と言われたことがあり、それを忠実に守って5年ほどそのやり方を続けていたら、「なんでお父さんの洗濯物ばかり硬いハンガーに掛けるの?」と言われた
・母にいつも「ちゃんと私のやり方を見ていないからできないのよ」と言われていたので、いつも母が家事をするときそばで見るようにしていた。初めてのバイトのとき、そばで作業を見ていたら「なんで見ているの?仕事しなさい。わからないことがあれば質問しなさい」と言われた
等のエピソードがありました。

これは「以前に言われたり、失敗したりして学習してしまったやり方をずっとしてしまう」「言われたことをいつまでも覚えている」というようなこだわりでした。
「このやり方で怒られた」「このやり方で怒られなかった」というような経験則でものごとのやり方をパターン化してしまい、それに固執し、環境が変わったときに適応できなくなっていたのです。

また、単純に「自分と関連の強い事柄をずっと覚えている」ということでもあります。何年も、下手すれば十数年前に言われたこと、されたことを昨日のことのように覚えていて、「あんなことがあったからあの人はああいう人だ」と思ったり、「あれってどうなったんだろう」と考えることがあります。

発達障害とつきあいながら

私が確定診断されなかったのは、困りごとがあっても、社会生活に長期に大きく支障をきたすところまでは行っていなかったからです。
でも辛いっちゃ辛いんですけどね…。

でも、この名前がついたことで、これまで経験した様々なことが腑に落ち、その対処法があることも知ることができました。

もっと早く知れていたら、と思うことは正直あります。とてもあります。

もっと早く知れて療育を受けられていたらコミュニケーションでつまづかなかったかもしれない。合理的配慮を受けられていたかもしれない。
発達障害だとわかっていたら、子供の頃、親からあんなに厳しくされなかったかもしれない。
お医者様は「わかりやすく特徴が出ている」と言っていたのに、親が気づかなかったということは親は私に興味がないのかも、愛してないのかも…なんて、ぐちゃぐちゃ考えてしまうこともあります。

でも、今は絵のお仕事もでき、今までで一番精神が安定できているので、今からの生活や心をよくしていく方向にシフトしたいと思っています。


先生からは「社会生活への不安を克服するためにはまず働いたほうがいい。動かず考えていることが不安につながる」と言われたので、現在は絵のお仕事と並行して、自分のペースでできる、出勤のあるアルバイトを週に何日かしています。

今も人間関係に苦手意識はあります
雑談などが苦手でできないことや、顔色や機嫌を伺いがちなところ、以前に学習した癖が抜けないところ(最近は相槌の『はい』が多すぎると指摘されました。返事をしないと「聞いてるのか」と言われる職場に以前いた影響かもしれないです)などがあります。

ですが、『人の気持ちを勝手に推し量るのではなく、現状で判断する。言われていないことまで気を回さない』ことをあえて意識して、声のトーンなど機微を拾わないように気をつけています。すると、「あの人は厳しめな物言いをするけど、至極まっとうなことを言ってるだけだな」「あの人はぶっきらぼうな言い方だけど、悪意があるわけではない」「今の指示が簡素なのはただ忙しいだけだな」と、これまでなら勝手にネガティブな気持ちになっていたであろう場面でも、少しずつ客観的に見ることができるようになってきました。
また、無理に苦手を克服する(コミュニケーションを取ろうとして空回りする)よりも長所を伸ばす(私の場合は絵の仕事に注力する)こと、職場での関係はあくまで仕事の関係、と割り切ることを心がけています。

やり方のこだわりが出てしまうところはまだ若干ありますが、なるべく人に聞いて判断する(これまでは対人関係が怖くて聞かずにいることが多かった)、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥という心持ちで仕事をしています。

人のやり方に異議を唱えたくなってしまうこともたまにあります。ただ、その点はあえてニコニコ受け流し、無理にコミュニケーションしないことで今は何とか切り抜けています。

それでもしんどいときは自分にご褒美を用意したり、絵の作業に没頭したりして、なるべく長時間ひとつのことについて悩まないようにしています。

ASD、発達障害というものが自分ごとになってからまだ日が浅いですが、名前がつくことで自分自身の問題や対処法が明確に見えてきました。これは今までもそこにいた発達障害との新しい付き合い、リスタートだと思っています。生きづらさはまだまだありますが、これからの長い人生、発達障害と折り合いをつけながら、日々を過ごしていきたいと思います。




心がしんどい時にいつも読んでいる本

私の座右の銘の一冊

イラストレーター・松峰(まつみね)の活動

私の絵のメイキングを掲載して頂いた技法書

トークに和みと癒やしを、LINEスタンプ『もふもふ秋田犬スタンプ』


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