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[INFJ]自己紹介×高校・浪人時代

こんにちは。まっちゃの秘密基地です。

INFJの性格になった過程を中心に記事にしてみました。

前回、小学生時代・中学生時代の内容を記事にしています。

今回は、まっちゃの学生時代について、高校時代、浪人時代についての記事になります。

ぜひ最後まで読んでほしいです。


1.高校時代

  •  楽観的(P)→判断的(J)な部分が出始める高校生

  •  MBTI: INFJ(提唱者)

  •  私立の高校・偏差値は55 ( 理系 )

  •  サッカー部

  •  学校テストは5教科300点くらい


高校時代を一言でいうと、「社会への厳しい一歩」です。

そして社会不適合の一部分が表れていきます。

その過程でINFJ( 提唱者 )に性格が変化していきます。

高校時代について、①サッカー部での生活②(受験)勉強などその他と分けて紹介していきます。

①サッカー部での生活

私立の高校に入学して、伝統のある名門学校のサッカー部に入部しました。

練習はとにかく走るメニューが中心でした。

とにかく「根性」で走る昭和っぽい練習メニューが多かったです。

頑張ってAチームの練習に参加できるくらいの能力をもっており、体調がよければ参加することもありました。

ただここで問題が発生します。
それは倦怠感などから体調不良が頻繁に発生することです。
当時を振り返ると練習の厳しさ生体バランスの乱れが原因でした。

3か月に1回、2~4日動けなくなり、学校を休んでいました。

当時はまだHSP(繊細さん)などの情報があまり出ていなかったので、「気合が足りない」、「甘えるな」等で片付けられてました。

まっちゃ自身も自分自身をよくわからない状態で悩んでました。

そして学校を休むとBチームに落とされます。

たびたび休むのでBチームでの練習に取り組みますが、やっぱり体調不良で休日の練習試合も休むことも頻繁にありました。

不参加が原因でメンバーや先生(コーチ)からも信頼を失い、距離が離れたこともありました。(当然です。)

他者からすれば迷惑な存在だったと思います。

相手からの見られ方も気にしていて、ストレスの原因だったと思います。


高校2年の時、新チームでのスタートしたときは最後の1年は頑張ると心に決めていましたが、アキレス腱をけがしてしまい練習を参加することができませんでした。

そして夏の私学大会で引退したのを覚えています。

今でも、すごい後悔してます。


②勉強などその他

授業・成績
私立の学校ということもあり、服装や校則が中学以上に厳しくなりました。

サッカー部は授業中居眠り禁止、真面目に聞かないといけませんでした。

高校2年時に数学が好きで理系に進学。

頑張っていましたが成績は5教科300点でした。

評定は3.6くらいだったと思います。

・受験勉強

結果としては受験勉強は失敗します。
浪人時代の章で詳しく説明します。

・恋愛

学内ではあまり目立っていませんでした。

教室からあまり出ず、廊下や他のクラスに出ていませんでした。

でも数人からアプローチをもらいました。

ただ部活や自分のことで精一杯で恋愛どころではなかったため、お断りしていました。


・修学旅行

高校2年生から3年生にかけての春休み1週間ドイツ・ベルリンに修学旅行に行きました。

まっちゃにとって一番いい思い出が修学旅行です。

内容は①収容所・教会・美術館の見学市内の散策、②サッカー観戦でした。

ベルリン市内に美術館や教会は街中たくさんあります。

まっちゃはベルリン森鴎外記念館に行ったのを覚えています。

海外に記念館をつくられているのに感動してました。

公園や広場でゆっくりする人も多く、散歩や軽く運動する方がたくさんいてびっくりしました。


サッカーの試合観戦は元日本代表選手「酒井宏樹」選手が所属していたハノーファーVSレヴァークーゼンの試合観戦しました。

初めての海外での試合観戦だったため、すごく興奮しました。

やはりブンデスリーガのサッカークラブ・スタジアムは日本とは熱気が違います。

国民全体がサッカーが好きで、サッカーを愛しています。

その中で活躍している酒井選手はすごくかっこよくみえました。
(よくいじられているとメディアなどでよく見かけますがそのギャップがたまりません)

こんなにサッカーが愛されているのかと本当に感動しました。

ドイツに修学旅行に行けて本当に良かったです。

初めての海外でサッカー観戦できたのは貴重な経験でした。

カメラを置き忘れて、失くしたのは残念でした。
( 結構写真撮っていました。(泣) )

海外(ドイツ)にいったことで、知見が広まったのは間違いありません。


③高校時代のまとめ

全体的に振り返ると、P(楽観的)からJ(判断的)になっていきました。

そしてINFJ(提唱者)になったのだと思います。

P → Jに変化した理由は、学校の規則等の影響で社会の厳しさを知り、自立しないといけないようになっていったからだと思います。

当時はすごく生きづらい高校生活をしていたと思います。

もっとはやくMBTIが流行っていれば、自分を知ることができ生きやすくなっていたと思います。

高校時代で厳しい社会の世界を一歩踏み出しました。


2. 浪人時代

  •  毎日受験勉強する浪人生( 理系 )

  •  MBTI: INFJ(提唱者)

  •  河合塾 ( 国公立・理系コース )

  •  教育学部志望

結果

結果からいうと、大学受験は失敗します。

当時、大学進学を志望理由として「小学校教員」になることでした。

理由はシンプルで小学校生活が楽しかったからです。

当時の志望校は関西学院大学(関学)の教育学部でした。

現役時代は国語があまりに苦手で理系受験にできる関学を志望します。

高校3年・春から受験勉強を始めてましたが、1年間では成績が上がらず不合格。

浪人時代でも国語の成績が上がらず、冬前に関学のみを志望します。

浪人時代の結果として関学教育学部・初等教育コース補欠合格。
( 繰り上げ合格はしませんでした。)

結果として、後期受験で立命館大学情報理工学部に合格して入学します。

合格が決まって、親がとても喜んでいたのを覚えています。


浪人時代を振り返って

浪人時代を一言いうと、「人生の分岐点」だったと思います。

小中高時代はまともに勉強していませんでした。

中学校時代と高校3年生の時に通ってた塾でしか勉強していませんでした。
(まともに家で勉強したことがありません。)

現役時代は部活の後悔からの反動が源で、勉強に取り組んでいました。

受験勉強でも後悔したくないと思い、夢中に勉強していた記憶があります。

ですが、成績が上がらず、失敗。そして挫折していました。

結構、気分が落ちていたのを覚えています。
(大学受験で悩んでいる人にはこの気持ちわかってほしいです。)

高3・3月は勉強せず、もう一度進路について考えました。

でも「小学校教員」になりたい気持ちに諦めきれませんでした。

浪人時代も夢かなえたいと思い勉強に取り組みました。

浪人時代は1(基礎)から勉強し直し、理解を深めていくにつれ楽しくなっていったのを覚えています。

模試の偏差値(関学)はずっと「C」か「B」で、春 → 秋にかけて成績が上がりました。

受験当日はすごく緊張していたのを覚えています。

手ごたえ的には合格したと思ったのですが、補欠合格でした。

今では運がなかったと思います。

そして後期受験まで延び、立命館大学の入試を受け、合格しました。

入試の記憶は今でも鮮明に覚えていて、会場が大阪・茨木キャンパスで、建物をみた時、ここで大学生活を過ごしたいと思いました。

午前試験がうまく行き過ぎて、昼休憩には、施設の公園で子供と一緒にサッカーをしたのを覚えています。( 笑 ) 


全体として、大学受験以前にはなかった勉強の習慣が身についたのは浪人時代毎日勉強をしたからだと思います。

本当に分岐点だったと思います。


3.まとめ

今回は「自己紹介×高校・浪人生時代」について書いてみました。

MBTIは高校からINFJだったと思います

執筆中、懐かしい記憶を引っ張ってきました。(笑)

次回は大学時代について記事にします。

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またINFJについて記事を書いていこうと思いますのでフォローしていただけるとモチベーションが増えます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

つづく

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