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透明なことば

表現では、基本的に主張を明確にし、読み手を積極的に惹きつけ、感情を揺さぶられることを求められる。

これを「色のある表現」と名付けるのであれば、僕は「透明な表現」を模索したいと思う。今書いているのは言葉なので、「透明なことば」といってもいい。そこには一見、強い主張も、感情も、抑揚もない。

ある意味で、透明な水、のような存在だ。山から湧き出ている本当においしい水に出会った時、それ自体は透明であり存在感もない。けれど、口にした瞬間、透明な身体全体に行き渡り、細胞がひとつひとつ、生き返っていくような感覚が湧き上がってくる。

情報量の多い現代世界では、そもそも透明なものには存在自体に気付いてもらえない。だからこそどうしても色のある表現が求められてしまう。でも、そうだとしても、僕は透明な表現、透明なことばを探求していきたい。

読み手は、色の存在自体に反応する。しかし、透明なことばは、透明が故に、その人の壁や鎧をするりと超えていってしまう。淡々と、ただあることをそのままあるように書くといってもよい。それは、真実の表現、とも書くことができるだろうか。

それは、人の心、また魂と呼ばれる場所がもしあるとするならば、そこに直接訴えかけてしまう存在にならないだろうか。僕は、そんな透明なことばを使えるようになりたい。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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