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発言に責任があるのと同じように「沈黙」にも責任がある

「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉があるように、”賢い人”は迂闊なことを口にしない。

特にブログやSNSのように記録が残り、誰からでも叩ける機会のあるこの時代においては、何か思うところがあっても沈黙しておくほうがリスクが低い。大人の対応=スルー。

自分も、写真と実名を出したTwitterをやるようになってからは、この姿勢が染み付いてしまっていて、よっぽどのことがない限り誰かや何かを批判するような発言は避ける。だって、個人が発言したところで社会に大きな影響を与えられる可能性は低いけれど、一方で主義主張の異なる人に叩かれたり、いつか自分にブーメランが返ってきたりといったリスクはきっちり生じるのだ。
自分のことを第一に考えるなら、迂闊な発言は避けて、そっとしておいた方がいい。これが今の世の仕組みなのだろう。

先週、気候変動に関するnoteを書いたけれど、この話題もとにかく複雑で、入り組んでいることが調べるほどにわかった。

まず、気候変動が起きているかどうかについても批判的、懐疑的な意見がある(本屋にいくと肯定派と否定派の本が横に並んでいたりする)。対策についても、緩和するのか、適応するのか、果たして人類にそんなことはできるのか、一つの合意が取れているわけじゃない。インパクトの大きいエネルギー問題や化石燃料依存の業界のシフト等もとにかくセンシティブ。身近なところで言えば、エコバッグやエシカルな消費など個人ができるアクションについても、「実はかえって環境負担が大きい」とか「グリーンウォッシュだ」とかつっこまれる可能性が多分にある。「なんとかしよう」と意識高く行動している人の重箱の隅を、別の意識高い人がつついていたりする。

だけど、それでも、書かないことには現状を肯定していることになってしまう。問題意識は自分の脳内で感じてるだけでは何も発露しないし、同じ問題意識を持つ人と気付きあうこともできない。

この問題を世代間対立にはしたくないけれど、自分を含むミレニアル世代は、CO2排出量ネットゼロの国際的なリミットである2050年に60歳くらいという、明らかな責任世代・主役の世代のはず。難しいことには口をつぐむほうが”賢い”けれど、沈黙していることで割を食うのは未来の僕らや次の世代だ。そんなことを考え出すと、本を読んだり、友人と話してみたり、SNSに話題を出したりという強い動機が湧いてきた。

専門知識があるわけでもないし、アクションもそんなにやり切れていない。飛行機にも乗ってしまうし、やっぱり牛肉もまだ好きだしと矛盾を抱えている自分からでも、沈黙よりは価値のある発言と行動をしていこうと思った。


※ シニフィアンの朝倉 祐介さんがブログか著書かで、mixiの経営時代を振り返って「不作為の罪だけは無いよう努めてきた」と書いていてハッとしたのを思い出した。

※ Martin Luther King Jr.(キング牧師)はこんな名言を残している。

You are not only responsible for what you say, but also for what you do not say. 
- Martin Luther King Jr.
人は発言のみならず、沈黙にも責任を持っている。


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