呆れながらの「お前っぽいなw」の幸福感
今日、中高大と学校が一緒の親友が逗子に遊びに来た。最近できた彼女と一緒に。
昼からビール飲みながらご飯食べて、海に行って砂のダム作って、勢い余って服のまま海に入って、海から30秒の家帰ってシャワー浴びて、お酒飲みながら音楽かけてぼーーっと夕日見て、沖縄料理屋でゴーヤチャンプルを食べた。
そんな今日の感想を一言で言うとしたら、
「なんか、ずっと嬉しかった。」だと思う。
こうやって自分が好きだと思う人がちゃんと会いに来てくれて、きっと照れくさいだろうに彼女も会わせてくれて、一緒に楽しいと思えることをする。
人生に、「この瞬間だけは失いたくない」と思う瞬間があるとすれば、きっとこういう時間なんだろうと思う。
好きな人と好きなことをする時間。
親友の彼女は少し控えめで、でもいい意味で砕けてて、親友の言うことでよく笑う子だった。
その子や、親友とその子の様子を見て、
どこか兄弟の恋愛を見てるみたいな恥ずかしさと気持ち悪さはありつつも、
なんかずっと嬉しかった。
2人の時間とか空間みたいなものが想像できて、
そこにいる親友はきっと幸せで、
そのイメージがもてることが、多分嬉しい。
沖縄料理屋でなんでもない好きなお笑いとかよく見てたドラマとかの話をしてて、なんの話だったか忘れたけど、
「お前昔からそういうとこあるよなw」
「お前っぽいなw」
そんなことを言われた。気がする。
それが、またまたすごく嬉しかった。
そのとき、
自分が好きだと思える人からもらう、
半ば呆れながらの「お前っぽいなw」「そういうとこあるよなw」は
とてつもない幸福感をもたらすな、と思った。
自分のことを理解しようとしてくれた上で、
でも理解できない部分もあって、
それでもその部分も含めて「まあお前がいいならいいんじゃね?」って認めてくれてることを感じるからだと思う。
無条件に自分の存在を認めてくれているような、そんな感じ。
ちなみにこのとき、「お前っぽいな」の笑いの表現は、「笑」じゃなくて「w」の方がいい。
ふだん笑を表現するときは「笑」を使うタイプだけど、ここでは「w」がいい。しっくりくる。
より口語的なイメージで、かつ少し俗的なというか、ある意味での雑さを感じる様な、そんな感じ。
ちなみに。
自分にとって好きなものや好きな人、大事なものや大事な人をちゃんと認識して、そうやって「この瞬間だけは失いたくない」と思う様な瞬間を絶対に失ってたまるかと、改めて思った今日だった。
そして、きっと僕の好きな人たちが、僕が本気で考えて何かを決断したときに必ず「お前っぽいなw」で優しく肯定してくれる様に、
僕も好きな人たちのことを目一杯優しく「お前っぽいなw」で肯定したいなと思いましたとさ。
おしまい。
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