恥ずかしさを伴うポジティブな劣等感
僕は哲学が好きだ。正確には、哲学の根本にある考え方を学ぶことが好き。僕の思考は、哲学に大きな影響を受けている。
この前のGWで講談社kindle本のセールがやっていたので、気になった本をいくつか購入した。僕が今読んでいるのは、野矢茂樹の『語りえぬものを語る』である。
実は、野矢茂樹の本を読むのはこれが初めてではなく、ほかにもいくつか読んだことがある。どの本も、分かりにくい考え方を場合に応じて単純化し、平易な言葉で語られていて、理解しやすい。
その中で、『サピア・ウォーフ仮説』というものに出会った。これは、言語相対仮説とも呼ばれており、言語と概念の関係を語るうえでは欠かせない、有名な定説らしい。
これが何かというと、本文そのまま引用すると
『言語は経験を組織化する。それゆえ言語が異なれば世界把握の仕方が異なる』というものである。
価値観(概念枠)は用いる言語に基づいて作られているため、言語が異なれば世界の見え方が変わる。
この仮説を知って、僕はうれしさとともに少しの恥ずかしさを感じた。
嬉しさというのは、新たな先人の足跡を見つけられたという感動である。私も日々の思索の結果、世界の捉え方は言語によって異なるだろうと考えてたため、「過去に同じことを言った人がいて、それが定説になっているのか!」と驚いたのである。
まあ、今思えば、自分が考えることなんて過去に誰かが考えていることなんて当たり前だが、そこまでの調査をしなかった。
恥ずかしさというのは、「今更これを知るのか」という不甲斐なさを反省する気持ちも混ざったものである。これまでも気になった思考・思想・哲学に関係する本は読んできており、初心者は脱したと勝手に思っていたが、所詮は他人の畑。自分が無知であるということを思い知らされた。
もっと、考えて、調べて、多く考え方を吸収していきたい。
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「自分が考えたと思っていたことが既に常識となっていて、少し恥ずかしい思いをする」というのは誰もが経験したことがあるだろう。ポイントは、「自分だけが知らない状態、周りに比べて遅れていると感じること」であり、ここまで抽象化すると多くの経験が思い当たる。
別に好きな人がいることを僕だけが知らずに告白するとか、誰よりも早く・完璧に解けたと思った問題をクラスみんな解けていたりとか。
実際に僕が経験したことがあるわけでないが、本質的に似たような経験をしたことはある。
劣等感という後ろ向きな言葉とも違う、恥ずかしさを伴うポジティブなこの現象を表す言葉は、日本語にあるのだろうか。
このような認識の細分化が、考えることの醍醐味だと思う。
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