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迷惑な隣人が教えてくれたこと

最近、隣の部屋の住人が引っ越した。
その時から、今までどうしようもなく嫌だった今の部屋を好きになった。

それはたぶん、部屋での生活が幾分か快適になったからだと思う。その理由はもちろん、隣人Aがいなくなったからである。

変化点を事実ベースで語るとすれば
・扉の開閉による振動、衝撃音がなくなった
・部屋にたむろして語る声が聞こえなくなった
・廊下などで、人とすれ違う確率が減った

ことが挙げられる。

その隣人Aがいなくなったことは、寮全体としては小さな変化なのだが、僕にとってはとても大きな変化になった。ポジティブな意味で。

どのように感じたかというと、冒頭に示したことに帰結されるのだが
・静かな空間が得られ、物事に集中できるようになった
・自分の空間で、他人を意識することがなくなった
・騒音を我慢することによる、社会的不平等感がなくなり、反社会的な感情がなくなった
・部屋に居ることが快適に感じられるようになった

これらにより、結果的に部屋が好きになった。

3つ目に関しては、少しメタ的な視点になる。
騒音を感じる時にはまず「騒音」に対して、不快感が生まれる。管理者にも相談したが結果的に我慢することになったが、続けていると「なぜ自分が我慢しなければならないのか」「なぜこんな人間が隣人なのか」など、自分が理不尽な出来事を受けているように感じ始める。
そうなると、周囲への敵意が生まれて、これがひどくなると反社会的パーソナリティが形成される。

僕はそこまでは酷くならなかったが、精神衛生上は確実によくない。

なぜ他人の存在を感じないことを快適だと感じるのだろう。これは僕のパーソナリティに起因するものではなく、人類共通の傾向だと推測している。

よくある説明を創作して見れば、狩猟生活をしていた時、自分の村を襲ったり食べ物を奪おうとするような、危害を及ぼす人間・動物を退ける必要があった。戦闘状態に至る前の危険察知として音は重要だったため、その名残が残っているのだろう。
それで、自分の領域内で音を感じた時にはより大きな不快感を感じるように脳が作られているのだろう。

おそらく隣人Aが彼女や親友などであれば、不快感は覚えなかっただろう。
つまり、受け手側の本能的な反応に加えて、その現象をコントロールできないという不能感も、不快感の増幅に繋がっていると思う。

良好な人間とならば、話し合いで解決すればよい。
もしくは、良好な関係でなくとも、興味のある人間であっても問題ないだろう。

このように考えると、良好な関係を築く能力が高い人は、結果的にストレスを感じる機会が少なくなるのだろうか。もしくは、関わる人間が増える分だけ逆に増えるのだろうか。

少なくとも、周囲に良好な関係の人間しかいないことが、幸せの条件であることは間違いない。

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