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鑑賞規程

フィクションと現実は異なるが、無関係では無い。

フィクションの背後には作者の五感が根付いている。

映画やドラマ、アニメなど、我々がいつも受容している幸福の果実は、多くの人間の価値創造の成果なのである。

価値創造の過程は、作品だけで評価して欲しいという意図なのか、それとも過程には価値がないという姿勢なのかわからないが、基本的に大々的に公開はされない。少なくとも、メインでプロモーションされることはない。

この行為は作り手側からしたら当然の行動だと思う。

もし公正な試験の場で、試験に臨むまでの努力を図々しく主張している人がいたらどうだろう?その人の点数の良し悪しにかかわらず、違和感を感じると思う。

この経緯もあり、一般的に作品の価値はその成果物だけで評価されている、と私は認識している。

個人的には鑑賞者として、もっと作り手に尊敬の念を持ちつつ鑑賞をしたいと思っている。お金とかじゃなく、想いや態度の面で。

つまり、鑑賞者に求められる思想教養(=Appreciating Code)があるのではないかと思う。

余談だが、最初thinking codeにしようかと思ったが、とても良い単語に出会えた。appreciateの意味は「真価を認める」「感謝する」であり、本記事で私が伝えたいメッセージを合っていると感じている。

さて、本題に戻ります。

似たような考え方はすでにあり、服務規定(Dress Code)が挙げられる。

では、なぜこのような規定はなぜ存在するのか。参考になった記事があるので参照してみて欲しい。

https://note.com/qzqrnl/n/n1cabc0c49b36

この記事では規定の存在理由を、「みんなでひとつの空間をつくる」ためだとしている。この考え方には共感できる。

では、今回の話に置き換えてみよう。

我々は作品を鑑賞するにあたりどのような空間を作るべきなのだろうか。

個人的には「作り手に感謝をして作品を楽しむ空間」だと思っている。異論がある方はいると思うが、一旦これを正と仮定して次の検討に移る。

では、「作り手に感謝をして作品を楽しむ空間」を作るために、我々鑑賞者は何をすればよいのだろうか。

問い方を変えよう。

私は、上で述べた空間は鑑賞者が当然為すべき義務だと考えている。それを踏まえて問い直せば、「作り手に感謝をして作品を楽しむ空間」を作るために、我々鑑賞者には何が求められているのだろうか、ということになる。


個人的に思いついたのは以下の3点である。

1. フィクションにおける「整合性」と「現実性」を理解する

2. 作品の背景知識を理解する

3. 作品制作のプロセスにも着目する


それぞれ少し説明をしようと思う。

1. フィクションにおける「整合性」と「現実性」を理解する

あえてもう一度言うが、フィクションと現実は異なる。

もちろん魔法や時代設定などの違いもあるが、そのようなマクロな違いを抜きにしても現実と全く同じことはあり得ない。

例えば時代設定を現代だとしても、「誰の」「どのような場面を」「どのように」描くかで、それが持つ意味は違ってくる。

おおまかにとらえるて単純化しすぎると、全て同じに見えるかもしれないが創作物には多くの変数があるのだ。

「現実性」とは、リアルの世界でありそうかどうか ということである。

「整合性」とは、フィクションの世界観で矛盾点がないか ということ。

フィクションに「現実性」を持ち込むと、感情輸入できなくなり、フィクションが持つ面白さを全く感じることができないだろう。この鑑賞態度は間違った鑑賞態度だと言えるだろう。

一方で、「整合性」の視点はより作品を理解する上で役にたつ。「どうやってその整合性を持たせたのだろう」「なぜここまで詳細に世界観を作りこんだのだろう」といった疑問は、作品の内容だけでなく、背後にある作り手の思想まで及んでいるという点で、とてもポジティブな疑問であると思う。

作り手の思想や、多くの人で作品ができあがっているという視点に経つことで、作品や作り手への感謝の気持ちも湧き上がるのではないかと思う。


2. 作品の背景知識を理解する

これは作品の観賞後、後追いでよいと思っている。

基本的な必須知識は、作品の中で説明されていなければならないと思う。もしそれがないならば、それは単体作品としての「整合性」がとれていない。

例えば伝記映画ではこの項目は重要になるだろうと思う。

伝記映画は基本的にその人物の経歴に少し脚色を加えているが、それはフィクションであるため問題はない。

私は、伝記映画の面白さは その偉大な人物の姿を「映像」という最も直感的に理解しやすい形で知ることができる点にある と考えている。大きすぎる脚色はNo Thank you だ。

その人物が生きた時代やその人物を理解することで、「なぜこの人物を今取りあげたのか」「なぜこの人物のこの時代を切り取ったのか」という疑問に大して、自分なりの答えを持つことができると思う。

このように自分ありの意見を持つことが、より人生を豊かにする作品鑑賞に繋がると考えている。


3. 作品制作のプロセスにも着目する

映像作品を作るのはとても手間がかかる。

私も詳しくは知らないが、監督、脚本、アニメータ、俳優、サポートスタッフなど挙げていけばきりがない。

1つの作品が数年かけて作られることを鑑みれば、映像作品は東京スカイツリーと同じである。小さな作品でも一軒家ぐらいにはなるんだろう。

違いは「存在の仕方」だけである。

建造物は静的な性質がある一方、映像作品は時間軸があるため動的な性質を帯びている。

鑑賞後には、幸福感や喪失感に似たカタルシスを感じるが、それらは実態として視覚で捉えることはできない。そのため、鑑賞後にはその素敵な体験を忘れてしまい、「面白い」「冗長だった」「面白くない」「あのキャラかっこいい」という断片的な気持ちだけが記憶に残留してしまう。

これがある種、膨大な動的コンテンツが"消費"される理由の一つだと考えている。

また同じような視点で言えば、制作のプロセスも一般的に鑑賞者に積極的に開示されておらず、視覚で捉える機会は少ない。映画のエンドロールでその場面が流れたりする作品はほとんど無いのが例として挙げられるが、では「エンドロールに作品の制作過程を見せるべきか」というとそう単純な問題でも無いと思うので、この話は一旦置いておく。

だからこそ、鑑賞者は積極的にそのプロセスを知る、もしくは創造する努力をする必要があると思っている。「どうやってこの戦闘シーン描いたのかな」「このCG何時間かかるんだよ、、」「この台詞、このタイミングで言うか〜」みたいな作り手目線で作品を見るのも、個人的にはとてもおすすめである。


まとめ

鑑賞規定(Appreciating Code)として3つ考えてみました。

1. フィクションにおける「整合性」と「現実性」を理解する

2. 作品の背景知識を理解する

3. 作品制作のプロセスにも着目する


つらつらと書いたので矛盾や例外はあるかもしれませんが、現時点での私の思考を共有しました。以上です。

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