ハードは変わらない。

さて、デザイン的にはけっこーダサいですがこれをみて思った事があります。

まず、1つ目がピクトグラムです。
携帯のピクトグラムがスマホに変化しています。

これは、時代の変化に沿った形で携帯がスマホに変わったんだと思います。

最初に写真を撮った時にはそれくらいに考えていたんですが、そこでは無いものに引っかかり始めたんです。

それが2つ目。
スマホとカバン。これは偶然左右に振り分けられていますが両方とも今では鍵と財布などを入れるハード的な側面を持っているものじゃ無いかなと思ったんです。

携帯はスマホになった事によってカバンと同等の位置にまで昇格したんですね。
財布はスマホの中に入り
鍵もスマホの中に入りました
なんならノートや電話、手紙、カメラ色々なモノがスマホに集約されました。

でも、まだそこに集約されていないモノがあります。
そう、カバンです。

このピクトグラムの中で唯一スマホの中に取り込まれなかったモノはカバンだけなんです。と言うよりもカバンはスマホを入れる事に使われています。

そもそもカバンの概念って
何かを入れて持ち運ぶためのモノ。
なんですよね。
だからまだ無くなっていない。
これが、ノートを入れるものとか具体的なモノだったらスマホに代替えされてたと思うんです。
しかし、スマホによって代替えされている部分は大きくあります。
それでもカバンが無くならないのはその自由度の高さがあるからでは無いかなと思います。

鍵は家などを開けるためのもの
財布はお金を入れるためのもの

と言った風にある特定のモノに対応するものは情報化の時代において淘汰され消えゆくのでは無いかと思っています。
中に入れるもの自体が情報化されてしまったり、そのもの自体が情報化されてしまうからです。

それでもなお、残るのは抽象的に

何かを入れる

などの考え方すごくざっくりとした括りのものだけなのかなと思います。
自由度が高くその中で繰り広げることの出来る幅がある事がこれからのハード設計には求められるんじゃ無いかなとこのピクトグラムから考えました。

じゃあ建築としてはどうだろうと考えると、建築の大きな概念は

人が使う箱

だと僕は考えています。
と言う事は、人が無くならない限り建築自体は無くならないのですが、それを作る側の人がいらなくなってしまうんじゃ無いかなと思います。

ただ人が使うだけの箱ならロボットでも作れる様になってしまう。
だからそこにプラスαできる事が重要なんじゃないかと思うんです。

その建物ができることによって周辺にどの様な影響を与えるのか。コミュニティはどう変化するのかなど場の文脈を読み取りながらそこに新しい場を作り出せる仕掛けを同時展開して行けるのは人しか出来ないことなんじゃないかなと思っています。

つまり、概念として大きなハードである建築やカバンもその中に入るものによって機能やシステムを変化させさらに、新しい形を模索していかなくてはならないけれど
鍵や財布の様に形自体が現実世界からなくなってしまう事は無いんじゃないかと言う事です。

#ハード #概念 #デザイン #建築 #ピクトグラム #スマホ


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