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刺激を求めたのも今や昔。「いまは日常が大好き」ささいな幸せを愛おしむ剱樹人さん夫妻、その土台は家族3人の食卓に

今回取材をしたのは、ベーシスト・漫画家として活動する剱樹人さんのご家族。妻でコラムニスト・コメンテーターの犬山紙子さんと、4歳の娘さんと3人で暮らしていらっしゃいます。
剱さんは、犬山さんとともに暮らすようになった当初からずっと、主な家事を担っているそう。現在、日本の共働き家庭では、夫の家事・育児時間は妻の1割程度だとされています(*)から、それが逆転している剱さん夫婦は、少しめずらしい家族の形だと言えます。
ですが、そんなイレギュラーを取り立てて語ることもなく、「とにかく毎日が楽しい」と幸福感たっぷりに仲の良さを見せてくれたおふたり。8年間で築いた家族の“普通の日常”におじゃましました。
(*男女共同参画白書 令和2年版より)

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バラバラでも楽しい。約束事のない食卓

「今日はお鍋にしました。寒かったんで」

一雨ごとに秋が深まる10月の夕暮れ時、剱樹人さんはキッチンに立ち、晩ごはんの調理を始める。リビングからは、妻の犬山紙子さんと娘さんがキャッキャとふれあう声が聞こえてくる。

剱さん(以下、剱)「子どもの食わず嫌いが多いから、野菜は全部細かく切っちゃうんです。ごまかして食べさせるために(笑)」

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迷いなく作業を進めつつも「料理の基本とか切り方とか、あんまりわかんないんですよね」と我流を気兼ねする様子の剱さん。この家の食事自体も“自分たち流”で、食卓にはなんの決まり事もないのだという。この日は17時から、3人揃って早めの夕食だ。

「ごはんの時間がもっと遅いこともあるし、僕ら2人のどちらかは食べない時もあるし、まちまちです。2人とも忙しい時は、子どもの分は保育園で、夜も給食をお願いしたり。なるべく家族揃って食べられたら嬉しいけど、無理はしない感じですね。みんな食の好みもバラバラなので、同じ食卓で食べるものが違うこともよくあって」

3人で外に夕食を食べに行くことも多いそう。お店選びの定番を聞くと、リビングの2人から「ファミレスが多いよね。デニーズ大好きだもんね」「うん!」と声があがった。

「最近は家族で自転車にハマっているので、サイクリングがてらごはんを食べて帰ってくることも多いです。昼間に妻と2人で自転車に乗ってランチに出かけることもよくあります」

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キッチンからひと続きの場所、壁にくっつけて配置する大きなダイニングテーブルは、引っ越しを経ても、ずっと活躍する大事な家具のひとつ。以前はお互いの友人たちが毎夜ひっきりなしに訪れて、このテーブルを囲んでいたのだそう。リビングとキッチン、少し声を張って夫婦の思い出話に花が咲く。

犬山さん(以下、犬山)「家に帰ったら、知らない人がたくさんいる! なんてこともよくありました(笑)」
剱「お互い様です(笑)。10人近く集まることもあったよね。持ち寄りも多かったけど、ずっと僕が料理を作ってることもあって」
犬山「そうそう、つるちゃん(剱さんの愛称)いろいろ作ってくれたよね。手巻き寿司とか、カレーとか、シチューとか。あ、あとおでん! みんながこのテーブルの前に、給食みたいに並んでたの覚えてる」
剱「あとうちのキッチンで勝手に料理する人もいたり」
犬山「いたねー(笑)。みんな自由に過ごしてた感じだよね」

会話の流れのままに、剱さんから「お鍋できちゃったけど」と控えめな完成報告が入る。「ありがとうー!」と軽やかで明るい声とともに、犬山さんもキッチンへ。料理は剱さんが担っているが、任せっきりではなく、必ず犬山さんと相談するという。

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「そうだ、巨峰があるよ」「出しましょう。りんごジュースもあったよね」「(娘さん)、りんごジュース飲むー?」

「(娘さん)に昨日の残りもあげようかと思って」「いいね、気に入って食べてたもんね」

「あ、餃子あるよ」「いいね。冷凍餃子っておいしいんだよなあ」「うまいよねぇ」

2人でキッチンとテーブルを行ったり来たり。テンポよく今日の食卓の相談を重ねる様子に、この家の日常が素のまま現れていて、微笑ましい。

そうして食卓の用意が整ううと、犬山さんは「つるちゃんありがとう! おいしそう」と再びお礼を口にする。2人は壁に向かって横並びに座り、娘さんは端っこの席につく。テレビも2人の顔も見える特等席だ。

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この日のメニューは、ゆず風味のお鍋に、餃子、デザートの巨峰。娘さんには昨日作った新メニュー、コーンのリゾットも。

「いただきます!」休日の夕食がスタートすると、食卓らしい家族の会話が弾む。

「今日は何鍋なの?」「この間のスープに、今日はちょっとゆずを入れてみた」「ほんとだ、ゆずの風味がする!」「ちょっと野菜で味が薄まってるかな」「これぐらいがよくない? おいしいよ」「そう? よかった」「(娘さん)、野菜も食べてね」

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2組の夫婦の共通点。価値観のルーツは両親に

剱さんは祖父母と共働きの両親、3歳下の弟の6人家族で育った。どんな家族だったか尋ねると、「どうだったかなあ」と悩む剱さんの隣で、犬山さんが「自由な感じだよね」と義実家の印象を語る。それをきっかけにして剱さんも遠い記憶を探してくれた。

「両親ともに仕事もあったし、それぞれに趣味の多い人たちで。食事を揃って食べることも少なかったです。父も厳しくなくて、進路とか就職とか、僕らの生き方について意見を言われたこともなかったですね。

だけど仲はよかったと思いますよ。べったりする感じがなかっただけで。なんていうか、個人が自立した家だったのかなと思います」

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18歳で家を出て、大阪で10年間暮らした後、上京。犬山さんが出演していたイベントで2人は出会う。しばらくしてお付き合いがスタートし、同時に同棲生活も始まった。その時に話し合い、犬山さんは仕事を頑張る、剱さんは本当にやりたい仕事をやりながら家事を担当する、という役割分担を決めたそう。

剱さんは家事が得意だったわけではなかったが、その家事っぷりは「最高だった!」。聞けば「夜食を作って待っていてくれた」「お弁当を作ってくれた」「部屋がきれいだった」といくつも“ありがとう”のエピソードが飛び出す。照れもなくストレートに、これまでの感謝を言葉にする犬山さんは、とってもキュートだ。

結婚をしても、もちろん2人の分担スタイルは変わらない。結婚を報告した時、剱さんのご両親は息子が家事を担うことを、「普通のこと」のように受け入れた

犬山「初対面で『私、本当に家事が苦手でして……』って洗いざらい話すと、ご両親ともにすんなり受け入れてくれて。それどころか、お義母さんは『じゃあ樹人にレシピ教えようか』って。なんて理解のある方なんだ! とすごく嬉しかったですね」

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以来、剱さんのお母さんは、過干渉することなく、適度な距離感で2人を手助けしてくれる存在。コロナ禍前は、2人の仕事が忙しい時期に合わせて、月に1回程度、長野から娘さんの面倒を見に来てくれていた。今日の食卓に並んだ巨峰も、お母さんから送られてきたもの。

一般的にイメージされる家庭内役割分担にとらわれず、自分たちなりの家族の形を見つけ、仲睦まじい関係を築いている剱さんと犬山さん。それぞれが働き、個人が自立した家族を築いた剱さんのご両親。剱さんのルーツをうかがって、2組の夫婦の関係性はなんだか似ているな、と想像する。

「うーん、似てるのかな。たしかに家父長制的な意識がないこととか、両親から影響を受けているところはあるかもしれませんね。一緒に暮らしていた頃は意識したこともなかったけど、両親とも、昔にしては少しめずらしい価値観をもった大人だったと思います」

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愛する我が子との5年間「犠牲はありません」

2017年1月、娘さんが誕生。執筆活動など、妊娠中もできる範囲で仕事を続けていた犬山さんは、産後3ヶ月で仕事に復帰した。育児が加わったことで、当然負担の総量は増加したはずだが、剱さんはなんでもないような口ぶりで、この5年間をふり返る。

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剱「家事も育児も根詰めないようにしているので、そんなに大変なことはないですよ。今はロボット掃除機とかホットクックとか便利な家電も導入したし、外食も多いし。なんでも自分のできる範囲でって感じです。前は毎日部屋の掃除もしてきれいにしてたけど、今は全然。自分たちの部屋は気にしなくていいとか、折り合いをつけてやってます」

犬山「そうそう、これもうちの“折り合い”だよね(笑)」

ぽんぽんと笑顔で叩いたのは、ダイニングの後ろに置いてある大きな段ボール。犬山さんこだわりの家具で統一されたおしゃれなリビングには少し不似合いだが、これは娘さんの大切な秘密基地。好きなキャラクターやおもちゃで、かわいらしくデコレーションされている。

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剱「どんなことも選択の中心は娘になりましたね。でも、だからといって自分が何かを犠牲にしている感じはありません。お互いに友だちと会ったり、コンサートに行ったり、好きなことをやっているし」

犬山「そうだね。子どもを産む前は『自分の時間を我慢するようになるのかな……』と思っていたけど、全然そんなことなかったです。子どもにまつわることが本当に“自分の”喜びになっていて、自分のやりたいことの方向性が変わった感じがしますね」

目を見合わせてそう話す2人からは、我が子が生まれたことの喜びがまっすぐに伝わってくる。ひとときも目を離せない、大変な育児の真っ最中であっても「犠牲はない」とおだやかに語ることができる理由。それは夫婦のコミュニケーションにあった。

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剱「なかなか仕事の忙しさが読めないので、つど話し合って、お互い無理がないように負担を調整している感じですね。仕事柄お互いが家にいることも多くて、顔を合わせる時間も長いですし、普段からコミュニケーションの多い家庭だと思います。

なにより、彼女がしっかり舵取りをしてくれているんですよ。僕は、あまり自分から忙しさや体調について説明することがないのですが、彼女がいつも僕の様子にも目を光らせてくれていて」

犬山「いつも『昨日は何時に寝たのー?』とかって聞いてるよね。あとは、昼間に疲れ果てて寝ちゃってるのを見つけたら、忙しいんだなと思って外食を増やしたりします」

すると、ごはんを食べ終わった娘さんが剱さんの元にスッと寄ってきて、小声で「ごちそうさまでした」とぽつり。「あなた普段そんなこと言わないじゃん!」と思わずトーンの上がった声でからかって、剱さんは嬉しそうに片手で娘を抱き寄せる。「おいしかった?」「うん」「よかった」というひそやかなやりとりに、剱さんがどれだけ家族とのコミュニケーションを愛おしく感じているのかを垣間見た気がした。

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8年間で築いた関係が、日常を慈しむ余裕をくれた

剱さんと犬山さんがともに暮らすようになって8年。その間に家を3回引っ越し、1人の家族が増えて、仕事も大きく変わっていった。様々な環境の変化を受けて、互いの内面も大きく転換した。

犬山「ほんっとに変わったよねー!(笑)」

剱「ほんとにね。彼女が花を買ってきて飾るようになるとは(笑)。僕は僕で、金継ぎにハマったり」

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犬山「ははは。そうそう、家の中とか、家のものとかをすごい大事にするようになったよね。2人ともさ、昔は外に刺激を求めるような生き方してたのにね。だからこういう仕事してるわけだし」

剱「うん、僕は本当に博打みたいな人生を送ってきたから」

犬山「お互いそうだよね(笑)。前はたぶん『何かを成し遂げたい』、『誰かに認めてもらいたい』って気持ちがあったと思うんですけど、今は全然ないんです。今日みたいに『コーンのごはんをバクバク食べてくれてる!』とか『ゆず風味効かせてくれてるんだ』とか、そういうささいなことが幸せだし、そんな日々を心から求めてる。今は3人でお散歩してるだけで、幸福感で満たされるんですよ」

犬山さんの言葉は明朗で、パーッと光りを放つよう。対照的に隣の剱さんは、ゆっくりと、考え考え口を開く。

剱「うん。なんていうか……。日常が大好きっていうか」

とてもシンプルで「普通」な言葉。でも、だからこそ本音が深くしみこんでいるような、温かさをもつ言葉だった。

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そんな夫の台詞に声を上げて笑い、「いい言葉だなあ!」と嬉しそうな犬山さん。そのリアクションに少し照れながら、剱さんは噛みしめるようにくり返す。

「ははは。うん。今は、日常が大好きなんですよね。昔は『このイベントが楽しみ!』って日々の原動力にする“目的地みたいな日”があったと思うんですけど。今は、先のことを見なくてもいい感じがします。本当に今、普通の日常を大事にしていて、そういう日々が楽しい

妻がしょうもない動画を見て笑ってたり、子どもが夢中になってYouTubeを見てたり、そういう“日常”を見てる時間が、僕にとってはすごくいいんですよね。ああ、いいなあって思う」

手振りを交え、ひたむきに言葉を探して語る剱さんは、曖昧な「いい」という言葉を2度口にした。剱さんの胸の中には、言葉では言い表せられない幸せが、確かにあるのだ。

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日常を慈しむ目が育まれた理由はなんだったのだろう。

犬山「私は、つるちゃんが横にいてくれて、家族っていう土台ができたおかげだと思っています。どこか満たされていない気持ちがあった頃は、日常なんてどうでもよくて、わかりやすい愛情や承認を求めて動いていたと思うんです。自分自身がなんとなく不安定だった感じ。

でも、とことんいい人で思いやりの深い彼と出会って。一緒に楽しく暮らすために私も変わろうと思ったし、2人でもたくさん話をしてきました。その結果として、大好きで大事な人といい関係が築けている。それが土台になっているんですよね。“私の土台”がちゃんとあるというか。

そのおかげで、日常の小さなことに目を向けられる余裕ができたんじゃないかなと思っています」

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そこには、剱さんの「日常が大好き」同様、隣に座る夫への愛情と、家族で暮らす幸福感がにじんでいた。ともに家庭を築くパートナーとして、これ以上ない賛辞と感謝を受けた剱さん。はにかみつつ、こんな未来像を語ってくれた。

剱「ずっと楽しい8年でした。妻とはいい関係でいられているし、仲が悪くなる気がしないんです。そして、娘が産まれて、また一段と楽しくなった

これから娘が成長したら、娘とも、妻と僕みたいな関係をつくれたらと思っています。2人でつくった関係が、ちゃんと“3”になったらいいな、と。それぞれ無理せず、自分の好きなことを大事にして、悩みができたらなんでも気軽に相談できる。そんな3人バランスのとれた関係がいいですよね。

日々、日常のささいな幸せをすくいあげて、そういう家族をつくっていけたらいいなと思います」

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最後に「家族という土台は、みんなで顔を合わせて『おいしい』って言う食卓の時間が元になっている」とも語ってくれたおふたり。お互いの言葉を、優しい笑みで嬉しそうに見守る表情がそっくりでした。
シンプルな自然体の言葉で、「当たり前の日常」の素晴らしさを教えていただいた今回の取材。何年経っても、互いを称え合い、感謝を伝え合う姿は、まさにパートナーシップを体現しているようでした。

取材:松屋フーズ・水沢環 執筆:水沢環 写真:吉屋亮 編集:ツドイ