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Google検索で知った気になってしまう

使っていますか?Google検索。私は毎日のように使っています。一瞬でも分からないことがあれば、検索窓にキーワードを打ち込んでいます。今や呼吸のように当たり前の習慣となっています。でも、ふと気づきました。知らない言葉を偶然知ることはできないのでは?と。そう、Google検索って何らかの目的を持たないと使えない機能なのです。(当たり前ですが)

お馴染みの検索画面。未入力では動かない

そう、「目的」がないと使えない

例えば銀座でランチできる場所を探します。検索窓に打ち込むのは「銀座 ランチ」出てくる出てくる、膨大な数の検索結果。その中から、ぐるなびなり、食べログなりで一覧を見たり、今いる場所に近い所からランチを探す。たまに個人ブログを見たり。でも検索結果が4,860万件あっても、実際にクリックするのは1ページ目の一番目か二番目。それ以降は無視。有益な情報があるかもしれないが、永遠にたどり着くことはない。さらに選択して見ている情報も、誰かが作った情報を取り出す行為でしかない。まるで箱に入った情報をつかみ取りするイメージ。

何かを入れない限り情報は引き出せない

さらに、同じ検索でも言語によってたどり着く情報が違う

その国をとりまく文化や習慣によって同じ単語を検索しても出てくる検索は色々ありました。

日本語以外にもたくさんの言語の情報が

日本語で「美味しい食事」を検索

美味しい食事の画像検索

英語で「美味しい食事」を検索

Delicious meal(美味しい食事)の画像検索

ヒンディー語で「美味しい食事」を検索

स्वादिष्ट भोजन(美味しい食事)の画像検索

日本語で「ダイエット」を検索

日本語での「ダイエット」

フランス語で「ダイエット」を検索

フランス語での「diète(ダイエット)」

タイ語で「ダイエット」を検索

タイ語での「อาหาร(ダイエット)」

もしかして、物事を偏った情報だけで判断していたのでは?

何をするにしても最初に検索をしていた。でも、その検索キーワードはあらかじめ自分で打った言葉。そして結果で出てくる情報も誰かがインプットしたものであり、さらにそれを取捨選択していた上での理解であり、偶然の出合いはなく、知らない言葉であれば、ますます検索すらしない。さらに国が変われば言語も変わり、出てくる結果も全く違う。美味しいご飯も国が変われば品が分かる。

長年インターネットを使いこなしていたつもりだったけど、ほんの一部分だけを見て理解した気になっていた。世の中にはまだまだ知らないことだらけ。狭い世界に生きて、悩んでいたかもしれない。

気が付いた。じゃあどうする?

(たまには)ネットを休んで、街に出る。そこには分類・整理されていない世界が広がっている。その訳のわからなさから受け取る情報が、実は世界を広げる面白いアイデアの発見や偶然の出合いにつながるかもしれない。
例えば、

  • Amazonではない、リアルな書店に行く

  • オンラインショップではない、リアルな店舗に行く

  • 目的のない旅に出る、またはいつもと違う道で通勤する

  • 趣味や興味のある分野の講座で色々な人と話す

これらを意識的にしていこうと思う。知らないことを知り、その上でGoogleで検索してみても良い。また、検索時も同じ単語を英語で検索するだけでも世界は広がりそうです。

おまけ:ランダム検索の「I'm Feeling Lucky 」ボタン

最近まで知らなかった、「I'm Feeling Lucky 」ボタン。選択するとその日の気分に合った検索が出ます。


笑いたい気分と出ました。
コメディー映画が出て来た