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映画「峠」を観て、改めて感じた小説と物語の力について

司馬遼太郎の長編小説「峠」が映画化されたので観てきた。

小説は1968年の新聞連載で398万部の大ベストセラー。と言っても司馬遼太郎の小説中では14番目の売れ行きだそうで、一番売れている「竜馬がゆく」は2400万部、二番目の「坂の上の雲」は1900万部というけた違いの発行部数。ベスト20の徳川慶喜を題材とした中編「最後の将軍」が220万部だから、今後こんなベストセラー作家は二度と日本に現れないだろうと思う。

峠に話を戻すと、原作が55年前の作品。それがいまだに映画化されるというのもすごい話だ。主人公の河合継之助は幕末の越後長岡藩の家老。

薩摩・長州・土佐を主力とする維新軍は抗戦の意思がなく会津藩との講和の調整を申し出る河合に対して維新軍への恭順を迫る。それは、会津藩を攻め込む際の先鋒を命じられることを意味していた。

強大な武力を持つ維新軍に理不尽な要求を突き付けられた長岡藩は戦争を選択し、圧倒的な兵力、武力の差がありながら徹底抗戦し、長岡藩との維新軍との戦争(北越戦争)は戊辰戦争最大の激戦となった。どこかで聞いたような話のような気もする。

坂本龍馬や西郷隆盛など、維新の英雄の世界を大いに語ったのも、ほかならぬ司馬遼太郎だけれど、維新の混乱の中で様々な立場の人間の様々な決断、行動により歴史が作られていき、それは誰がよい、誰が悪いという簡単な話ではないということがわかる。あと200年くらいたたないと、幕末、明治、昭和の歴史的評価は固まらないのかもしれない。今はまだ関係する人たちがたくさんいるのが日本の近代なのだ。私が子供の頃にはまだ明治生まれのじいちゃんが元気にしていたし、そのじいちゃんのお父さんは江戸時代の人だったのだ。たくさんいる山口出身の総理大臣。つい数年前まで山口県の総理大臣が「美しい国日本」を作ろうとしていた国では、長州藩の正しい評価などできない。


映画を観てまず感じたのは「あの大作を2時間にまとめるのはさすがに難しい」ということだ。原作は上・中・下の3巻。司馬遼太郎の小説は8巻くらいある小説も普通にあるから、特別長いわけではないけれど、それでも映画にするには情報が多すぎて2時間ではエッセンスすら伝えるのが難しい。

私としては、小説を読んでから映画を見ることをお勧めしたい。2時間の映画ですら倍速視聴するのが令和時代の流行のようだけれど、1960年代の小説を3冊分読んでから映画を見ないと浸み込んでこないことも、確かにあると私は思う。


「峠」というタイトルには強い意味があると私は理解しているのだけれど、映画ではきっと伝わってこない。

長岡から江戸や世界に向けて出ていく河合継之助や長岡藩の人たち、江戸から戻ってくる人たち、戦争で攻め込んでくる敵軍。敗走する長岡軍。すべてが同じ峠を通ってやってきて、峠を通って出ていく。雪深い長岡から離れられない人たちは峠を通っていく人たちを見送り、帰るという手紙があれば毎日いつ帰ってくるかと、峠が見えるところまで迎えにくる。

峠はそんな閉じた古い世界にとっての唯一の外部とのつながりだ。そして江戸や世界とつながっていたはずの峠からある日、大軍が攻め込んでくる。世界や未来を見据えながらも、理不尽な戦争に巻き込まれる河合継之助と長岡藩。


世界とつながりのメタファーでもあり、外部の暴力とのつながりのメタファーでもある「峠」。それは今の世界でもほとんど同じだと思う。

どことでもつながっていて、開かれているように感じられるネット全盛の現代。実際は「峠」のように世界とのつながりは暴力とのつながりでもあり、あらゆるものに開かれてしまえば、それはあらゆる暴力にさらされることを意味する。

現代においても物理的、情報的、感情的にあらゆるものを開くことができる技術が確立したからと言って、開くことによる理不尽な暴力性を制御できない限りは、それは無条件で開かれるべきではないと私は思う。


人間はそんなに強くない。大きな暴力の前では人間は本当に無力だ。

制御不能な暴力に抗う人間の儚さと、それでも戦おうとする人間の強さについて、小説「峠」とその主人公河合継之助は教えてくれる。


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