小樽をめぐる随想
今日の札幌はくもり。朝5時過ぎに起きて準備をしていつも通り近くの手稲山にロードバイクで登りに行く。手稲山は霧雨が降っていてヒルクライムのゴールの標高500m地点の温度は0℃。そこから全身濡れたままのダウンヒルは流石に寒すぎた。山にはまだ雪が降り積もっており、中腹のゴルフ場ではゴールデンウィークのオープンに向けて一生けん命雪をとかしていた。
今週は土曜日が仕事だったのだけれど、ワークライフバランス確保のため?土曜日に仕事をしたい場合は平日休まなければいけない。いい世の中になったものだと思う。ついこの間まで土曜日は普通に仕事をしていた。20年以上前に就職活動した時には「完全週休二日」と募集要項に書いてあったはずだけれど、そんなことを企業は全く守る気もなく、好きなだけ残業させていた。そうやって不当にかさ上げしてきた日本の企業がずる無しでどこまで生産性を維持できるのか、ブラックな業界の最前線で突っ走ってきたサラリーマンとして見届けたいと思う。
と言うことで平日の休暇。と言っても普通に支店長から電話がかかってくるし、メールが飛び交うしで正直落ち着かない中での休暇だ。
家にいても仕事のことが気になるので、休日だと混む場所に行ってみようということで、妻と二人で久しぶりに小樽に行ってきた。小樽は札幌から行くのはとても近いし、交通の便もよい。家の前のバス停から10分おきに高速バスが出ていて45分で小樽まで行ける。とは言いながら別に小樽にあまり用事もなく、この前言ったのがいつか思い出せないくらいだ。多分10年ぶりくらいだと思う。
観光地化しているエリアは小樽駅の一つ手前のJR南小樽駅のほうが近い。南小樽からオルゴール館、ガラスその他のおみやげ屋さんの立ち並ぶエリアを歩くと、平日でも観光客が大挙して歩いていた。その多くがが海外からの観光客。コロナ前は札幌は中国からの観光客であふれかえっていたけれど、今の小樽は中国の方はあまり目立たず、アフリカ系やインド系などこれまでほとんど見かけなかった国の人たちが目立つ。安い日本万歳と言うことだろうか。
小樽運河を抜けて小樽港の近くへ行くと、見たこともないくらい大きな船が停泊していた。遠近感がおかしくなるほどの大型客船。調べてみるとカーニバル・ルミノーザという92,000tのクルーズ船で乗船人数2200人。こんな巨大な船を海に浮かべて世界中を旅する人類。もう少しつつましく生きたほうが良いと思うのは私だけだろうか。
観光地を抜けて今回の目的地ニトリ美術館へ。旧拓銀小樽支店を改修した美術館だ。小樽は明治大正時代は北のウォール街とよばれており、銀行が立ち並んでいた。その建物のいくつかがまだ小樽には残っており、このような歴史的建造物こそが観光の目玉になるべきだと思うのだけれど、このあたりは閑散としており、日本人も海外の観光客も少ない。駅前のアーケード街もシャッターが軒並み閉められており、一部の観光地化したエリアがにぎわい、とても食べられない値段の海鮮丼を売る人たちとそれを食べる観光客でごった返す、いびつな地方都市になっていた。
ニトリ美術館ではティファニーのステンドグラスコレクションや(アメリカの教会の窓から外して持ってきた、と書いてあってなんとも言えない気持ちになった)、酒井抱一、伊藤若冲、藤田嗣治、平山郁夫、東山魁夷、岡本太郎、キスリング、ユトリロ、シャガール、ルノアール などなどテーマは不明だけれど有名どころの作品がたくさん集められていた。藤田の絵の脇には「なんでも鑑定団で10億円の鑑定結果でした」とわざわざ書いてある俗っぽさがなんともいえない感じ。「カフェにて」という美術の教科書に出てくる有名な画だけれど(何枚かある同じテーマの作品のうちのひとつ)、10億円ですと隣に張り紙されていて、モデルの奥さんもなんとも言えない表情を浮かべていた。そんな有名な作品をごった煮のように並べてくれるニトリの税金対策社会貢献活動に感謝。
そんな中、高村光雲の木彫作品はなかなか見ごたえがあった。
牛を引く聖徳太子の像の牛のたたずまいや、聖徳太子がもつ手綱の非常に繊細なディテールなど、息をのむような作品。75歳の時の作品だ。高村光雲の作品はほとんど初めて見たけれど、こんな木彫を最晩年に作ることができた人生はきっと幸せだったのだろうと思う。そういえば葛飾北斎が86歳の時に描いた龍の肉筆画も展示されており、何歳になっても尽きない創造力はほとんど狂気の世界のような気がする。
以下解説のページリンク
70歳、80歳になっても人生を掛けて取り組める仕事を持つ人達たちがうらやましいような気もしつつ、人生をかけてやるべき仕事を見つけてしまった人達の正気と狂気のまじりあう世界を垣間見たような気がした。
アラフィフで日々の仕事に疲れていると言っている場合ではない気もするけれど、ちょっと疲れて休みの日にぼんやりとそんな作品を見ることができる平穏な人生も悪くない気がするのは、きっと私がどこから見ても立派な凡人だからだろう。
それでよかったと思える自分の人生も、そう悪くない。
そして私は、明日からまた、私の仕事をする。
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