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定期的に訪れるからだの痛みと付き合っていくこと

古傷が痛む時期に入った。

詳細は省くが、昔、怪我をして弱くなったパーツがあり、それが数ヶ月に1度ぐらいで痛み出す。医師曰く、免疫や抵抗力が落ちてきたときにぶり返すらしい。怪我自体は珍しいものではないが、私のようになってしまうのは100人に1、2人だとか。お気の毒に、と言われる。自然によくなるケースもあるが、ひどくなれば身体を動かす度に激痛が走る。いい歳した大人だが、ウワーンと泣き喚きたいぐらいに痛い。脂汗をかき、呼吸は自然と浅くなり、眉根を寄せて表情を繕う余裕がなくなる。そういう時期はなるべく動かず在宅で仕事をするようにするが、お手洗いに行くにもお布団へ行くにも身体を動かさないわけにはいかないわけで、QOL爆下がりである。この時期はメンタルもガタ落ちだ。「どうして私が」「しんどい」「なんでこんな目に」「苦しい…」と悲劇のヒロインモードまっしぐら。いよいよ我慢が厳しくなったらタクシーで病院へ走り、処置を依頼する。この処置も痛い、が効果はてきめん。歩いて帰宅できるぐらいには回復する。抗生物質と漢方薬を処方され、1週間以内にもう1回ぐらい痛みだして処置を行うか、あるいは苦くて不味い漢方を顔を顰めつつ日に3度服薬していれば1ヶ月後にはきれいさっぱり治る。その繰り返しだ。

この古傷とは付き合って7年ほどになる。7年という歳月、私とて何ら学んでいない訳ではない。身体がしんどいモードに入った時、少しでも自分の心が救われるように心掛けていることがある。不幸にもこの病(怪我の後遺症)に選ばれてしまったが、世の中、見た目ではわからなくとも慢性的に何かしら痛みに苦しんでいる人はいるだろうし、落ち込んでばかりいても仕方がない。病気ではないが、生理痛だって定期的に女性が苦しみがちな痛みであるわけだし。気圧変化に影響を受ける偏頭痛持ちの人もある時期は大変そうであるし。私の症状とて少なくとも100人いれば1、2人の同志がいるのだ。前置きが長くなったが、このnoteはそんな私の心の持ちようを記している。

1、避けられないものとして諦めて受け入れる

こういうご時世なのでうがい・手洗いをしっかりして、ご飯を好きなだけ食べて、時々ジムで運動をして。身体にはそこそこ気をつけていても症状が出る時は出る。そういう体質の人は個人の努力不足ではなく、なる時はなる。それ自体を責めないことだ。「あ、また嫌な予感がするな…あ、痛み出したぞ」と事実を受け止めるに留める。難しいが、身体は嫌でもしんどくなるのだ。心まで自分で追い込むことはない。

2、症状の記録を残しておき、参考にする

いつ異変を感じたか、いつから痛み出したか、いつ病院へ行ったか、どれくらいで回復したか、その時々で必ず記録を残しておくようにしている。ケースの多くは異変を感じて3日目ぐらいに痛み出し、病院へ駆け込むことが多い。つまり脂汗をかいて苦しみに耐える時間はせいぜい数日なのだ。終わりは必ず来る。また、前回はいつ頃から痛み出したか、周期も参考になる。

3、楽になる状態を覚えておく

私の場合、お風呂だ。ゆっくり湯船に浸かってリラックスするのがどうも良いらしい。温めるのが良いのか患部の痛みも少し楽になる。痛みが出そうな時、痛みが出ている時期は休憩を含めて1日1時間半以上浸かっていることもある。

4、逆に運がいいと思う

これはもう精神論を通り越してスピリチュアルな話になるが、100人のうち1、2人の選ばれし不幸があるなら、その逆も然り。普通の人が手に入らない幸せも手に入る可能性があるということだ。禍福は糾える縄の如し。きっといいこともある。痛みでのたうちまわっている時はなかなかそんなポジティブな発想には至らないが、「逆に良いこともある!」なんて気休めの言葉もしんどかった時の記録の隣に記しておく。エビデンスも何もない、馬鹿馬鹿しいと一蹴するに足りる無茶苦茶な論だ。しかし、痛みに耐えてガチガチになっている身には、その荒唐無稽さにふっと肩の力が抜けるのだから不思議である。痛みは物理的な処置でしか取り除けないが、心は自分次第で幾ばくか楽にはできる。

さて、まずくて苦い漢方でも飲もうかねぇ……。



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