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比叡山・おみくじ発祥の地でおみくじを引いたら、想像の斜め上だった話

比叡山には最強のおみくじを引ける場所がある。

京都府と滋賀県にまたがる山、比叡山。平安遷都以降、天台宗開祖・最澄が延暦寺を開いてから、王城鎮護の山として都の鬼門を封じてきた一大宗教都市である。特に延暦寺の総本堂である国宝・根本中堂はひどく厳かだ。暗い堂内を照らしているのは、最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年間消えることなく灯され続けている「不滅の法灯」。焔が微かに揺らめく世界には、極彩色の草花が描かれた大きな柱、秘仏を守り重々しく閉ざされた漆塗りの厨子、……誰しも敬虔の念を抱かずにはいられないだろう。

とはいえ、今は観光客にも開かれたお山だ。歴史あるお堂だけが全てではない。比叡山ドライブウェイからの景色は眼下に琵琶湖を臨み、晴れた日は爽快なドライブが楽しめる。ガーデンミュージアム比叡は美しい花々が植えられ、お洒落なカフェも併設されている。バス停近くにある広い売店にはお土産物が充実。交通手段は自家用車だけでなく、バスもケーブルカーもござれだ。この山のどこかで命懸けの厳しい修行をしているお坊様もいるのだろうが、我々一般の観光客に見せる顔は「よくある観光地のひとつ」である。

そんな中、やはりここは宗教都市で信仰の場なのだと体感できる場所がある。そこが元三大師堂だ。比叡山は先に述べた根本中堂を中心としたエリア・東塔、現存する比叡山最古の建築・釈迦堂を中心とする西塔、そして横川中堂を中心にしたエリア・横川と大きく3つに分かれる。その横川にある元三大師堂こそが、最強のおみくじが引ける場所である。

元三大師堂は元三大師をお祀りしているお堂だ。元三大師とは、第18代天台座主で、比叡山延暦寺の中興の祖として知られている御方である。その元三大師の住坊跡地に建っているから元三大師堂。別名:四季講堂と呼ばれ、村上天皇の勅命により、四季折々に法華経の論議が行われたそうだ。

この元三大師だが、「角大師」の異名を持つ。伝説によれば、元三大師は異形の姿となって疫病神を追い払ったという。頭の左右に大きな角を持つ、その姿は夜叉。鬼神へと変じて魔を封じたのだ。角大師の姿を写したというお札は「魔除けの護符」として今も京都や滋賀の民家の玄関先でしばしば見掛ける。元三大師の信仰は今なお息づいている。

元三大師はおみくじの創始者ともされている。元三大師が観音菩薩より授かったとされる五言四句の偈文(げもん:偈の文章のこと。偈とは、韻文の形を持つ詩歌・詩句)100枚のうち1枚を引かせ、偈文から進むべき道を教えたのがおみくじの原型なのだそうだ。おみくじの種類によって、番号と五言四句が記されているものがあるが、これは偈文100枚が由来とされている。よって、元三大師堂は「おみくじ発祥の地」といわれているのだ。

比叡山のおみくじ発祥の地で特別なおみくじが引けるらしい、と噂を聞いて私はやってきた。大学卒業を控えた、山上では残雪溶けきらぬまだ浅い春の日であった。今は電話での完全予約制だそうが、当時は窓口でおみくじを引きたい旨を伝えるだけでよかった。窓口の人は作務衣姿の若い男性だった。剃髪しているから、この方もお坊様なのだろう。おみくじを引きたいと伝えると「ここのおみくじは他のところと違って元三大師様のおみくじです。出た内容には従いますか?」と念を押されてたじろいた。おみくじを引くのに、そんな脅しのような声掛けがあるだろうか。しかし、このおみくじ目的で私ははるばる比叡の山を登ってきたのだ。ケーブルカーでだが。腹を括り「はい」と答えた。お納めは1000円なり。高い。普通のおみくじは100〜300円ぐらいが相場だというのに。学生のお小遣いでも払えない金額ではないが高い。窓口で短冊を受け取り、名前、年齢、相談したい内容を書いていく。

当時、私が相談した内容はこうだ。

「就業先は本当にあの会社でいいのか?」

諸事情あって就職活動がうまくいかなかった。当初の志望業界とは違う、大阪の小さな印刷会社になんとか内定をもらい、4月から働くことになっていた。しかし、内定受諾後も思い描いていた未来とのギャップに正直迷いがあった。そこで前々から気になっていた元三大師のおみくじを引きに行こうと思い至ったのだ。

短冊を見せながら正直な気持ちと共に判断して欲しい内容を話すと、暫くして奥から別のお坊様が登場。恐らく中年過ぎの年齢からしてもベテランの風格だ。後で知ったことだが、元三大師に使えるお坊様は、比叡山の中でも群を抜いて長い毎日7時間の読経のお勤めが課せられるらしい。ひええ。それは滲み出るオーラが違うというものだ。

私と、同じくおみくじを引きにきたもう1組(高齢の母親と息子らしき2人)は、お坊様に導かれ、御本尊(元三大師である)の正面に座すお坊様の少し後ろについて腰を下ろした。お堂に朗々と読経の声が響き出す。ご祈祷だ。何の経典を読んでいるのかはわからないが、かなり本格的だ。正座して読経の終わりを待つ。どれくらい経っただろうか、お経が終わり、お坊様はおみくじを台に乗せて持ってきてくださった。おみくじを引くのは私ではなく、お坊様であった。

「結果が出ました」

お坊様はまずは私へ。

「良い結果が出ました。人に恵まれ、お金も貯まると出ています」

そう言って「吉」と書かれたおみくじを渡された。吉は大吉の次に良い結果だ。勘違いしている人も多いが、中吉や小吉と吉なら実は吉の方が上である。おみくじには色々と書いてあるが、成る程、確かに要約するとそのような内容であった。

「えー、土地を売ろうかどうかという話ですが、ちょっとあまり良くない結果が出まして……」

2人に向かってお坊様は話し出す。私の話はもう終了したらしい。短い。なんて呆気ない。しかしそれよりも、

(土地!?売る!?)

どうやら親子は土地転がしでお金が動く話を判断してもらいたかったらしい。

(えっ、そんな商用な内容で来たの!?めっちゃ気になる!!)

もっと話を聞いていたかったが、「あなたはもう帰って大丈夫ですよ」とお坊様が私に言われたので、それ以上の話は聞けなかった。

さて、おみくじの答え合わせだが、結局、私はその会社に入り、4年間働いて退職した。ぶっちゃけてしまえば会社は長時間労働が横行するブラック企業だったが、人間関係は悪くなかった。苦手だと思っていたお局様がおめでた退職したり(お局様は何年も子どもが欲しかったそうだが、なかなか恵まれなかった)、関連会社の方やお客様に大変可愛がってもらった。給与は低かったものの、忙しすぎて無駄遣いする暇もなくお金は貯まり、更に退職時に未払い残業代を請求できたことから(ややこしくなるのでこれはまた別の話)まとまった大金が入ってきた。更にハードな経験をもとにして年収アップで転職もできた。しんどい4年間ではあったが、結果おみくじ通りだった。

おみくじ発祥の地のおみくじは、このように特別なおみくじである。そして、気楽に引けるものではない。もし人生に迷い、元三大師に教えを請いたくなったら一度、比叡の山を訪ねるのもよいかもしれない。


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