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母不在。父に塩辛

ハンガリーへ行くはずが実家暮らし74日目。
父のつまみにイカの塩辛をつくった。

妻と暮らしている時は基本部屋にテレビを置かない。
何のポリシーもないが、買うお金がもったいないし、テレビニュースってなんかもう、なんかもう、だよね。
けれど実家にはテレビがある。実家にはなぜこんなにもテレビがあるのか。こんなにもというのは台数のことではなく、ほぼずっとついている、父母が起きている限りずっと休まず、こんなにも、こんなにもリビングを支配している、こんなにも存在意義を主張する。ある。そこにテレビはこんなにも在る。
 どこかの偉人が、

"もしテレビよりも人間が興味深い生き物であったなら、皆リビングの角に人間を置くだろう"

といった皮肉を放ったらしいが、本当にそういう時代があったのだろう。実家というのはそういう"ある時代"のまま止まってる現象を保ちながら古びていっている。かわいい。けど僕だったら面白い人間を置くけどな。いや僕はプロジェクターを、いやアレクサで十分では、いやオリーブの木を。多様。というぼくらの時代。かわいくない。だが苛々しない。

亭主関白ではないが故のプレッシャー

もうすぐ65歳になるサラリーマンの父が、毎日仕事から18時に帰ってくる。帰ってきた父はまず庭の自家製の畑を愛で、風呂に湯を入れる。
湯がたまるまでの間にグラスに氷を目一杯いれ、そこに黒霧島をパックからトクトクと注ぐ。本当に擦り切れギリギリまで注ぎ、そこに梅干しを一つ落とす。風呂から上がってきたときにキンキンに冷えている算段である。
 この父親の庭→風呂→台所、というルーティンを快いものにするために、父の帰宅までに僕が裏回し、やらねばならないことがある。それは

庭の洗濯物を片付け、風呂掃除を済ませ、閉められる雨戸は閉め、キッチンはキレイに整え、かつ晩飯の準備をしておく。

つまりは父の目に入るところどころ全て、違和感のない環境をつくる、というミッション。父の通る道に塵ないよう。といえば大袈裟であるが、あたりまえのことをあたりまえに。
母がずっとそうしてやってきたことなんだなぁと思うと敬礼しながら母に手紙を書きたくなる。

父は亭主関白というほどではない。だからこそ困ったりする。振り切ってくれよ、というこのもどかしさはどこにぶつけたら良いのかわからないジレンマである。
亭主関白ということばはもっと圧があり、暴力的であり、曲がらず、どしんとしているが、我が家の父は、圧がなく、というかちゃんと抑えていることが伝わり。暴力がない、が秘めた暴力性は感じ。曲がらず、ということはないが曲がりにくく。どしん、とはしていない優しさのある人。というよくいえば中立性のある、なにより稼ぎのしっかりあるいい男なのだが、悪くいえばこちとら見えない影と闘い続けさせられているような心地がずっとある。

僕もそれを感じるせいか、父には何も言われていないが忍び寄る圧から逃げるかのように、18時、父の帰宅時間になるとそわそわし、トイレのドアをしっかりと閉めてみたり、部屋に蚊が飛んでいないか気になったり、無駄な扇風機が回ってないかチェックするクセがついてしまった。

ただ根本は、父は優しい人。褒めることはしないが下手に怒ったりもしない。それがまた困ってしまうのは、だからこそ、こちらとしては完璧でありたいと思うようになる。御恩と奉公に似ているのか、母の教育がそうだったように思う。

お父さんは素晴らしい人

父が情けない姿をみせたとしても、歳をとり諦念を背負って焼酎を呑み過ぎていても、すっかりテレビっ子になっていても、僕にとっては父は"素晴らしい人"というレッテルが貼られてあり、それはそれで父も大変だなぁと思うが、そんな父に認められたい、という想いが確かにある。認められたいというか、父の迷惑になったり、失望をさせたりしたくない。僕の父親には、周りをそう思わせる才能があるように思う。

そんな父に、今日も晩飯をつくった。
父は白い飯を食べない。焼酎をグラスに2.3杯のむため、そのアテを二品ほどつくらなければならない。また食卓が彩っていないのがおそらく好きではないため(おそらくと言うのは、父に聞いたわけではないが父の言葉の節々にその感があるため)、メインを一つに、あとサラダなんかをつくる必要がある。
母から、父の社食のレパートリーを事前に伝えられている。それを考慮し、昨日の晩飯ももちろん慮り。プラス旬も慮ると良い。

ただ父はそんなに慮る必要があるのか疑うほど、濃い味が好きであり、濃ければなんでもいいんじゃないかと、作り手としてはつまらないことになる。けれどそうじゃないのかもしれない、そうじゃなかったときのために、しっかり作りたい。そう思わす父の能力。

今は妊婦の妻もいてくれるので手伝ってもらうが、妻も僕の徹底には少し興味深そうである。  妻の実家の父親はthe亭主関白だが、妻の家族は全員女であるため、あまり父をたてる、というような感覚は薄いように思う。それぞれの家庭の父のあり方、みたいなものがあるのだろうし、父への感謝を表現する方法は各々だが、
うちはこうして、父を失望させず、父に気持ちよく就寝してもらう。これに尽きると思う。どんだけ父の金食い虫であろうとも、この尽力を忘れてしまったらそれこそ僕は人間失格となる、その自覚だけは強くある。

父が風呂からあがり、バスタオルで身体を纏う音が聞こえてきたら、準備していたフライパンに火をつける。箸を並べ、取り皿を用意して。サランラップをはずしてスタンバイする。
妻の協力もあり、慌てることなくこなすことができる。慌てることも父を不快にさせる一つの項目であるため、何事もなかったかのようにアテを食卓に並べる。
今日はイカの塩辛をつくった。あとはみょうがとかいわれの和物、ミルフィーユカツ、しめじの味噌汁。

味噌汁は昆布だしだけが僕の好みだが、父の好きな濃い味のために鰹出汁も合わせ味噌を濃い目にする。みょうがをチョイスしたのは父が好きな素材であるから。カツは冷蔵庫にあるバラ肉を炒めるのではなく巻くのではない方法で調理するべきだったため(2.3日間の献立と被らないように)
そして、今日のスーパーで迷ったのは、イカの塩辛をつくるかどうかだった。

父親はイカの刺身が好きだ。ただ、既製品を好みやすい。
というのも、アニサキスを恐れているためである。
迷ったが思い切ってスルメイカを二杯購入して、捌いた。
肝を慎重に剥いで、アニサキスをくまなくチェックし、塩辛にするためにいかそうめんにし、酒でのばして肝醤油をつくりそこに漬けた。

漬けて1時間したぐらいに一度味見したがパンチが足りない。臭みもあともう少し消したい。ということで京都で買ったお気に入りの七味をまぶし、ネギを刻んだ。うん、美味い。

ただし僕が美味いからといって、父が美味いとは限らない。ただそれでも、ぼくのこの美味い、は父の舌が憑依している僕の舌がうなづくものであるため、これは父も認めるはずだと確信して、父の前に出した。

父は部屋の角に置いてあるテレビを見ながら焼酎をすすり始めている。テレビに小声で話しかける父、年をとったがキュートだ。昔よりよく笑うようになった。父が塩辛に箸を伸ばす。僕は妻と台所でミルフィーユカツを揚げているが父の動きが見える。てか見てる。パクりと食べる。まず、必ず発するだろうなと想定していた言葉が台所まで届く。

これ、お前がつくったんか?

これがネガティブなのかポジティブなのかはまだ分からないが、父がこれを聞く理由は一つ、このイカは衛生的に大丈夫か?という懸念からである。アニサキス死んどんのか?っつう。
 ごまかすように、あーそう、つくった、と小さな声で返す。本当は既製品だとウソをつく予定だったが、父にウソがつけなかったし、もしかしたら一縷の望みとして、なんじゃこのうまい塩辛は!という味王になった父が発した問いかもしれないから。曖昧な返事は父に届いたかわからないままカツを揚げ終わり、僕らも食卓についた。

結果としては、父は早々にツルリ、ペロリ、もうペロンペロンにたいらげた。塩辛においてはもう啜ってた。おいしい、父は一言もそう発声できない人だけれど、確実に身体で、態度で、うめえっす。ごちそうさまです。と言っていた。ごちそうさまですなんて父は言ったことがないけれど、母はこうやって父の"ごちそうさま"を受け取っていたのかな、と思った。

妻も嬉しそうに"お父さんわかりやすいね"と笑ってくれた。

姉の看病がいつまで続くか分からない。
ということは母が実家でゆっくり生活することも、いつになるのかはわからない。
もちろん。それぞれがそれぞれ、今やるべきことをやるだけ。そう言われている気がしてるから、僕は何も苦ではない。
女性が男性の、つまりは嫁が夫の機微を日々読み取り、生活の中で喜びをみつけていく。
なんでもないことだけれど、イカを捌くとき、
イカの皮がすごく上手に剥ぐことができた。
塩の加減が父の好みに合った。京都土産で買った七味が今日の肝の味にマッチした。並べた箸が綺麗に並んでいた。焼酎の氷がいつもより時間をかけて溶けていった。秋がきている。

そしたら父が、気持ちよさそうに就寝した。
もう風が涼しいと僕らに伝え二階へあがっていった。

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